「別欄の寄書に答ふ」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「別欄の寄書に答ふ」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

別欄の寄書に答ふ

此文に答へんとするには根底より立言せざる可らずと雖も豫て毎度我輩の論説したる所もあれば夫等は姑く論者の反覆省察を煩はすこととして事の要領を接するに文中「此十九世紀に必要なる教育は高價のものなり」とあるを辨解したらば餘は言を俟すして自から釋然たるを得べし成程教育は必要なるに相違なけれども十九世紀に高價を要するもの豈啻に教育のみならんや通商貿易なり殖産興業なり外交軍備なり拓地殖民なり何れも國の生存に欠く可らざる要務にして特に十九世紀の今日に於ては最も其急迫を見る所なれば漫に教育にのみ完全を期して高價をも辭す可らずを強ゆるは果して當を得たるものなるや或は又通商その他は國の要務といふと雖も是れ皆人を俟て後の事なり教育は人を造るが爲めなれば自から本末の差ありと云ふべき歟なれども凡そ國を成すに智の要用あると均く亦財の要用あり衣食の資を欠いて經濟の活動をなさんとするは所詮叶はざる事にして體力と智力と相應して始めて効を見るべき次第は論者の所謂有機體云々の談を更に熟考したらば思ひ半ばに過ぐるものあらんか左れば教育は必要にして其ますます高價を投ずるに從ひ結果も亦ますます完全美事なるべきも民力の之に相應せざる限りは他の事情に照して時節の到來を待たざる可らず論者が獨り其心中に雛形を描きて完全なる教育の程度を想像するが故に岩崎三井の外に教育を買ふ者なし抔と云ふことならん肉食は衛生に第一なれども貧民は之を買ふの錢なしと云はゞ論者は將に公費を投じて支給せんとするや否や營生的の學問は猶ほ衛生的の食料の如し病毒を蔓延せしむるものは公共の豫防費を投ずべきも夫れより以上の及ばざるが如く最下等の教育は經世の爲めに公費を要すべきも亦夫れより以上に及ぼすべきの理由とてはなかるべし學問も食料も國計民力と伴はざる可らざることにして人民既に岩崎三井に非すんば復た焉んぞ教育のみを岩崎三井に比す可けんや(文明の花たる最高等の教育は別論)况んや岩崎三井に非ずと雖も今の公立學校を全廢すれば民力に應じて之に代るの學校興り以て文明の進歩を助くべきは更に疑を容れざるをや唯無産の子弟に普及すること今日の如くなる能はざるべしと雖も是は却て望む所にして要、文明の進歩を妨ざれば暫く以て滿足するの外なきのみ授業料のみにて維持すること能はずと云ふは唯目下の時勢民情に於て然るが如くなるも天下の父兄たる者が漸く子弟の教育を重んじて其教育の價の安からざるを知り又一方には法律上に民財を徴収して漫に人の子を教ゆるが如き無理なる經濟法を廢し社會一般に子を教るの費用は衣食を買ふの要用に異ならずとの道理を會心するに於ては授業料に依頼して正當の教育を維持すること決して難からざる可し尚官公立學校の資本金と民間の私立校に寄附する資本金と其性質の同じからざる次第は不日之を開陳して教を乞ふことある可し

右の次第なれば有志の寄附を以て公費に代ふるはツマリ同一の結果に歸着すべし云々とて我輩の旨を推測したるが如きは頗ぶる中らざるものなり有志の寄附は隨意にして自から官公に屬する資金に異なりと雖も我輩は其寄附を計算して以て公立學校を廢するの理由となす者にあらず唯無用の政費を省くと共に教育をして民力相應の程度に立たしめんと欲するに過ぎず又慶應義塾の經濟上に困難を感じ云々とあれども其困難なると富裕なるとは人の容易に知る所にあらず義塾のことは兎も角も我輩が前號に於て私立學校の發達せざるは世に公立學校なるものあるが爲めなりとの一句を翫味せば論者の教育論も或は一變することあらんか