「我國海軍の造艦方針」
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時事新報に掲載された「我國海軍の造艦方針」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
我輩は本月四日の紙上に於て我國海軍の急務は專ら士官の學力實驗力と水夫の教育熟練とを進歩せしむるに在るを説き之を海外先進國の實例に照算して今より二十五年乃至三十年即ち明治四十九年より同五十四年の頃ともなれば我海軍士官の力も十分に進歩して上下共に彼の歐洲海軍國の同等士官と相匹敵するに至る可きが故に此年限の間に於て國家理財上の緩急を謀り漸を以て製造す可き軍艦の大小、種類、隻數及び之に要する金額を豫算し一定の方針に從て著手す可きを論斷せり
扨この二十五年間乃至三十年間を期し一定の造艦方針を守りて製造す可き軍艦は我海軍の中堅たる本體にして即ち甲鐵艦隊是れなり世間往往説を爲し〓〓〓なる巡洋艦或は多數の水雷船を以て巨額の費用を要する甲鐵艦に代ふ可しと云ふものあれども是等の巡洋艦水雷船は本體の補助手足にして前後〓左右〓とも云ふ可きものに過ぎず畢竟この説の如きは近時海軍形勢の一班を知りて未だ全貌を窺はざるものと云はざるを得ず
目下歐洲の諸強國に於ては何れも海軍のメーン〓〓〓イたる甲鐵艦の製造を進め〓〓〓之に從事すれども現に一萬噸以上の甲鐵艦を有するものは
米國 十一隻 佛國 八隻
伊國 十 隻 露國 〓隻
獨逸 四隻(但し製造の計畫中)
にして其餘は皆な〓〓〓の甲鐵艦〓に過ぎずと云ふ
今我海軍の造艦方針を一定するに當りて〓〓注意を〓するの■((「黒」の旧字体のれんがなし+「占」)+れんが)一にして足らざれども第一〓國に於ける海軍〓歩の有〓及び東洋に勢力ある歐洲海軍國の形勢を〓し且我國の富力と理財上どの程度緩急を量り且又我外交上に於て數箇國の聯合海軍を一時に引受くるが如き不都合なる政略なきものとして扨我輩の立案を以てす〓〓〓〓〓り一定の方針を守りて三十年後に至り左〓〓〓軍力を備ふるときは東洋に獨立して外〓を受くる〓〓〓く〓の工業、〓〓の繁昌を増し一國上下の〓〓〓〓〓て之を〓〓に保〓するに充分なる可しと信ずるなり即ち我海軍の本體たる可き甲鐵艦の隻數及び噸數は左の如し
一等甲鐵艦 (一萬噸) 六隻
甲鐵一等巡洋艦(六千噸) 十隻
右の外に輕駛なる巡洋、傳令、水雷船又海岸港灣用の防禦艦の如きも固より欠く可らずと雖も何れも皆此本體の補助手足たるものに過ぎざれば是種の船艦は隨時國庫の緩急を謀り臨時費を以て製造するを適當とす可し而して目下我國所有の〓遼、〓〓外十餘隻の〓艦の如きは皆この補助手足の部に入る可きものなり
右の如く我海軍の本體たる甲鐵艦隊は一萬噸の甲鐵艦六隻、六千噸の甲鐵巡洋艦十隻即ち噸數十二萬噸隻數十六隻と定めて其費用を算するに一萬噸の甲鐵艦六隻は費〓凡そ二千五百二十萬圓を要し又六千噸の甲鐵巡洋艦十隻は凡そ一千八百萬圓を要す可きが故に合計四千三百二十萬圓にして之を三十餘年間に費出するものとすれば毎年百四十四萬圓づつを費して凡そ四千噸づつを製造し得るの割合なり年年凡そ百五十萬圓を費すこと三十年間にして十二萬噸十六隻の甲鐵艦隊を備ふるは之を我國理財上の緩急に徴して敢て不當の計算ならざる可し
然り而して今より三十年間には造船、機械、銃砲、水雷等諸術の進歩其他種種の發明もあること必然にし〓右の計算に隨て逐年製造に着手するに際しても勿論是等の新式を利用せざるを得ざれば實際に於ては〓〓〓〓隻の合噸數を流用して一萬一二千噸より八九千噸のもの六隻を造くるも〓力に〓〓敢て〓〓ることなく〓〓額に於ても敢て差支なかる可し〓〓〓甲鐵巡洋艦も〓同じく七千噸より四五千噸までのもの十隻と爲すも差支なかる可し
扨その方針は既に一定したりとして毎年凡そ四千噸づつの製造は如何す可きやと云ふに目下我國所在の造船所のみにては間に合はざること勿論なれば其幾分は必ず之を外國に注文せざるを得ず外國に注文するには受負、契約、監督〓、仲人商又は成功の際〓航の方法等その宜しきを得ざれば一割乃至二割の冗費を免れざる可し今假りに四千三百萬圓の〓〓二千百餘萬圓のものを外國に注文して製造するとすれば此二割は四百萬圓餘なり决して少額のものに非ず而して是れ〓當局者の提理方如何に原因することなれば我輩は〓日海軍政〓の一篇を〓して之に論及することある可し