「地租輕減」
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時事新報に掲載された「地租輕減」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
地租輕減
地租輕減の利害得失に就ては我輩が世の論者に先して極論したる所なれば其論旨の如何は讀者の既に知了せらるゝ所なる可し然るに前期の議會に衆議院に於ては軽減説多數を制して可決したれども未だ貴族院を經過するに及ばずして止みたり我輩は其説の到底事實に行はる可らざるを信ずるものなれども世間に尚ほ之を喋々するもの少なからずして或は本年の議會に於ても又其説を唱ふるものあるやも知る可らざるが故に聊か茲に論述して其注意を促すも無用の辨に非ざる可し抑も我國政の方針は進取を目的とす可きや退守を目的とす可きやと云ふに一國の事情より見るも列國の形勢より見るも我輩は唯進むを知て退くを知らざるものなり盖し此進取の一義は國中何人も見を同ふする所にして政府從來の政略も亦これに外ならず假令へ國會開設して政風一變すと雖も其方針に至りては今後とても必ず同樣なることならん國の方針にして既に進取の一方に在らんか地租輕減説の如きは全く架空の空論と云はざる可らず爰に進取の點に着眼して我國勢の前途を見れば進歩擴張す可きもの甚だ多く工業製造なり航海造船なり殖民移住なり其他立國の要務にして國力を以て保護振作す可きもの一々指を屈するに遑あらず然るに一方を顧みて國の財政如何を見れば誠に墓なき有樣にして今日の歳入にては大に不足を感ずるの情なきを得ず彼の政費節減とて政府の冗員を省き冗費を節するの説は勿論我輩の同意する所なるのみならず我輩の所見を以てすれば今の政費の如きは大に節減して三分の二と爲し又は二分の一と爲すも實際に差支なきを知ると雖も國の歳入に至りては啻に之を減ぜざるのみか更に大に揄ﾁせんことを期するものなり而して我歳入中の最も重大にして歴史上の由來も久しく民心に深き習慣を成したるものは即ち地租にして實に我立國唯一の税源として頼む所なるに漫に軽減の奇説を唱へて此重大なる税源に波瀾を起さんとす、如何にも解す可らざる事共なり軽減論者の言を聞けば唯漠然として斯民休養と唱ふる由なれども之を軽減して果して永遠に小民の負擔を輕くするの實効を奏す可きや否や甚だ疑ふ可し此事に就ては我輩別に所見あれども之を他日の論に讓り唯だ此處に於ては斯民休養の陳腐論を聞くも國家の大計は動す可らざるの一義を主張する者なり抑も日本の地租は立國幾千百年の歴史に生じたる税源にして其由來甚だ古く既に國の習慣を成して實際に苦情の最も少なきは此税源に固有する特別の性質とも云ふ可き程の次第にして僅に一塲の政論を以て動す可きものに非ず况んや國事ますます多端にして益々歳入の揄ﾁを要する今日の塲合に當りて之を減ずるなどとは思ひも寄らざる事にして輕卒の甚だしきものと云ふの外なし元來今の政黨の人々は改進々歩を目的として其主義綱領にも之を明言し又その黨名の如きも自由改進など何れも西洋諸國に於ける進歩黨の原名を直譯して之を用ひ以て自から得意とするものなれば我輩の所謂進取の政略に同意なるは今更いふまでもなく第一その黨名に對しても進歩の方針を取らざる可らざる筈なるに實際には其反對にして頻りに休養軽減の陳腐説を喋々し兎角保守退歩の傾きあるは進歩黨なる文字に對して不釣合なるは勿論、文明の新思想に富める壮年政治家の擧動として我輩の感服せざる所なり或は曰く其人々が地租輕減を唱ふるは斯民休養の理由を外にして亦自から一種の理由なきに非ず今日全國の撰擧區に於て撰擧權を有するものは多くは土地所有の人民にして其利害の關する所は専ら地租に在るが故に其人々が昨年撰擧の時に當り若しも當撰して議會に出るの日には地租を云々す可しとの意味をば陰に陽に宣言して撰擧人に約束したるの姿なきに非ず故に其人々が議塲に於て軽減を唱ふるは約束上止むを得ざるものなりとの説あり我輩は之を信ぜざるものなれども好しや實際に斯る約束やうの事ありとするも決して掛念するに足らず撰擧の爭いに種々の手段を用ふるは政治家の方便として深く咎む可きに非ず然れども既に目的を達して實際の事に當る以上は國家の大利害に着目して獨立の説を立るこそ政治家の本分なれ選挙人民の小利害の如きは之を顧みずして可なり國會議員は一國の代議士にして一地方の代議士に非ざればなり苟も我國の方針にして改進々歩に在るを疑はざるものは地租輕減の實際に無益なるを悟り速に其非計を思ひ止まる可し