「國家教育とは何ぞや」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「國家教育とは何ぞや」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

今の官邊にて教育の事を談ずる者の言を聞くに教育は國家須要の機關にして其生存に欠く可からざるものなり而して國家は一種の有機體なれば本體の生存を謀るには其四肢なる各機關を發達せしめざる可らず即ち教育の如きは其機關の重要なるものなれば國家は國力を以て其發達に任ぜざる可らずと云ふに在るものゝ如し國家の有機體なるや否やは自から是れ學理上の論なれども暫く論者の説に從ひ有機體として之を論ぜんに我輩は〓々其説の事實に迂なるを發見するものなり抑も有機體に四肢諸機關の發達を要するは勿論にして生存活動の爲めに止む可らざるものなりと雖も扨その諸機關の發達は如何にして之を遂ぐ可きや或は植物もしくは下等動物の如きものに於ては其發達も甚だ簡單にして或は時に人工を施して之を助長し又は抑制するも生存に妨あることなし即ち植木屋が庭木を造り鳥屋金魚屋等が鳥魚を養ふて其形を變ぜしむるが如きものなれども國家と名づくる有機體の成長發達は決して斯くの如くなる可らず〓に有機體とあれば其諸機關の發達は必ずや銘々の役目を達するに適當なると同時に何れも其發達の程度を同等一樣にして苟も長短不規則の奇觀ある可らず如何となれば其各部分の發達にして長短不規則なるときは其働も必ず一樣なること能はずして以て其全體の生存活動を爲すに適せざればなり之を人の身體に喩へば其心身の發育成長平均を失はずして始めて健康を保つを得るは勿論又その身體の中にても手足胴體ともに均一の發達を成すに非ざれば之を完全の人間と云ふ可らざるが如し左れば國家は有機體なりと云ふと雖ども其全體の生存活動は局部の諸機關が平等一樣に發達して各適當の役目を〓らざるに在ることは誠に明白の理にして所謂國家論者の〓〓も此邊に存することならん果して然らば論者が其機關の一部分なる〓育の〓にのみ重きを置て只管その發達を謀り甚しきは〓〓私立の業務をも妨げんとするは果して各部一樣の發達を害せざる可きや否や我輩の特に聞んとする所なり抑も〓育を以て國家の機關と爲すは我輩に於ても異論なき所にして政府が或る度に於て之を奬勵保護するは固より妨げなきのみならず或は必要の塲合もあらんと雖も〓に國家の一機關なりとするときは其發達は必ず他の諸機關の發達と程度を同ふせざる可らずして其運轉を管理するの地位に在る當局者に於ては最も注意す可き所なるに當局者は實際に今の〓育の有樣は他の事業の發達に割合して如何なりや又その不釣合の發達は如何なる結果を呈す可きや等の事實談には毫も頓着せずして唯〓育は國家の機關なり國家の機關は國力を以て發達せしめざる可らずとて單純至極の論理に據り政府の力を以て〓までも〓育に干渉せんとするは所謂國家説に狂して其利用を〓りたるものと云はざるを得ず〓育は國家の機關なりと云ふと雖も國家の機關たるものは獨り〓育のみならず又國家の機關なりとて其發達は必ずしも政府の力にのみ依〓す可きに非ず兵制の如き法律の如き又商賣工業の如き何れも國家の機關に相違なしと雖も其中には政府にて自から手を下す可きものと然らざるものとの區別あり要は唯是等の諸機關が悉く一樣に發達して其利用を〓らず以て眞實機關たるの役目を全ふし以て國家の生存活動を遂ぐるに在るのみ今日の實際を見るに我國民が公共の〓育の爲めに費す所の金は莫大にして國の經濟に割合して不相當なるは數に於て明なる所なり然るに當局者は其實際の如何を問はずして單に之を發達せしむ可しと云ふ蓋し其案の如くにして之が爲めに公共の金を費すこと〓々多ければ〓育は多々〓々發達す可しと雖も過度〓育の害は之を如何す可きや或は政治家の見は學者識者と異にして永遠の利害は敢て知る所に非ず唯目下の急を救ふに在りと云はんか然らば其結果の論は第二として現に〓育の機關のみ發達を逞ふして他の諸機關と不釣合を呈するは果して有機體なる國家の健康運動に妨なきや否や人體に於て一局部の發達、他に割合して不釣合なるものは之を稱して片輪者と云ふ國家に於ては之を何と唱ふるや論者は國家を解剖して國家は一私人より組織するものにして國家即私人、私人即國家なりと云へり一私人に於て片輪なるものを國家に於ては完人と稱す可きや如何、或は〓育は國家の機關なれども其機關たるや他の諸機關即ち兵備法律商賣工業等と異にして是等の諸機關を運轉する人物を養成するものなれば之を喩へば〓育は腦膸にして兵備法律以下は身體四肢の如きものなり故に〓育の發達を謀るは即ち國家諸機關の發達を致す所以なりとの説もあらんか〓々以て漫に〓育を奬勵するの非なるを見る可し凡そ人間の生理に於て腦膸の發達十分にして身體の健康これに伴はざるは害の最も甚しきものにして即ち才子の常に多病にして學者の多く短命なる所以なり人に於けるの多病にして學者の多く短命なる所以なり人に於けるの多病短命は國に於ては衰運亡國の〓に現はれざるを得ず今の國〓の實際に於て漫に〓育を奬勵するは恰も此病を冒すものにして前に云へる過度〓育の弊害とは即ち此事なり論者は假令ひ其責に任ぜざるの積りなるも國の長計は之を許す可らず即ち國家の生存を害するものにして此〓より見れば論者も其論の目的に立返りて自から考ふる所ある可きなり畢竟論者の如きは文部省又は大學など官邊の城内に立籠りて單に自家の用意にのみ忙しきことなれば自から實際の事實に迂にして適ま國家云々の説を聞けば之を屈強の利〓として却て其利器を〓用するを免れざるは其〓誠に憐む可しと雖も若しも論者にして少しく實際に着目し今の日本の經濟は如何なる有樣にして各種の事業の發達は凡そ如何の釣合なる有樣にして各種の事業の發達は凡そ如何の釣合なるやを調査し而して我國民が公共の〓育に費す所は幾何にして之を經濟の程度と各事業の發達とに比較して果して當を得たるものなるや否やを沈思黙考せば必ず多少發明する所にありて自から言を謹しむに至る可し此〓に就ては我輩の〓ば陳辨したる所なれども近來論者が頻りに國家云々の説を蝶々するが故に我輩も亦その國家云々に就て聊か一言を試むるのみ