「製鐵事業」
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時事新報に掲載された「製鐵事業」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
近頃政府の筋にて製鐵所設立の計畫あるよし傳ふるものあり其詳細は知らざれども聞く所
に據れば政府の軍事部内にては夙に其談を催ほし前年海軍大臣の一行が西洋諸國を巡回し
たる折にも製鐵の事に就ては篤と取調べたる事もあり爾後又政府の筋より今の三菱社に起
業を勸諭したる事もありし由兎に角に其計畫は一日の事に非ざるが如しと雖も我輩の所見
を以てすれば今の日本の社會に於ては官立なり民立なり製鐵の如き廣大なる製造所を設立
するは當分の間先づ以て覺束なしと思はざるを得ず或は政府の力を以て十分に保護したら
ば敢て困難ならざる可しとの説もある可しと雖も抑も製鐵の事業は其目的とする所、重も
に軍艦製造用の材料を造くるに在り而て近來軍艦用の鐵材は鋼鐵を主として厚さと云ひ容
量と云ひ非常のものを要するが故に此鐵材を製する製造所は其仕掛も非常に大ならざる可
らず隨て職工の熟練も尋常ならずして容易に馴るゝものに非ず且我國に於ては鐵の産出少
なからずと雖も今日の産額にては斯る廣大なる製造の需要に應ずるに足らざること明なれ
ば是れ又外國の輸入を仰かざる可らず目下の事實に於て資本も豊ならず熟練もなく又材料
にも乏しき日本國に斯る非常廣大の製造を起さんとするは果して國情の許す所なるや否や
少しく經濟の考あるものは直に其非計を發見することなる可し然らば則ち製鐵の事業は我
國の企及ぶ可きものに非ずやと云へば我輩は固より然りと答ふるものなれども又一方より
考ふるに今や日本に於ても頻りに軍備の擴張を唱へて軍艦は勿論、砲臺大砲等の製造も實
際に欠く可らず而して是等の製造は何れも製鐵の事業に直接の關係あるものなれば若しも
國中に於て製鐵所の設あるときは其便利云ふ可らず例へば今後我海軍に於て若干の年月を
期して幾十萬噸の軍艦を製造する事に决し假りに其半數を國内にて製造することゝせんに
其鐵材は悉く之を外國に仰がざる可らず左れば我に幾多の造船所ありて軍艦の製造に差支
なしと云ふも其材料を彼に仰ぐときは費用は寧ろ外國に注文したるの廉なるに若かざるの
みならず又萬一の事を云へば一旦歐洲中の一國に敵を生じて開戰の塲合に立至り假りに東
西の交通を絶たるゝことありとせんに其時に臨んでは軍艦なり大砲なり自國に於て製造す
るの外なしと雖も國に製鐵の塲所なきときは幾多の造船所、兵器局あるも其用を爲さゞる
可し故に此點よりすれば製鐵事業の計畫は軍事上の必要なりと云はざるを得ず進んで事を
起さんとすれば〓〓これを許さず退て外國の供給を仰がんとすれば〓〓〓て重くして且萬
一の不安心なきに非ず就ては〓〓〓〓に當局者の參考に供せんとする所のものは我〓〓と
外國の製鐵會社と約束を結び其會社をして日本の地に製鐵所を設けしむるの計畫是れなり
聞く所に據れば伊太利の政府に於ては今を距ること七八年前英國のアームストロング會社
と約束しネーブルス近傍のカストラマレーと云ふ所に一區の製鐵造船所を設けたるが其約
束は伊國の政府より年々必ず若干の注文を爲す筈にして又會社に於ても同地に製造所を置
くときは東洋諸國等よりの注文を引受るに英國に比すれば運送に都合よき等の事情もあり
て雙方の便利一方ならず既に此製造所に於て製造したる鋼鐵軍艦の類も少なからざるよし
又西班牙に於ても兩三年前伊國の例に傚ふて英國のパルマ會社と約束しヒルボアと云ふ所
に製造所を設け専ら鋼鐵軍艦の製造に從事中なりと云ふ今我國に於ても國中に製鐵所を要
するならば右の二例の如くアームストロング會社なり又は其他の會社なりに約束して之を
設けしむること敢て難きに非ざる可し其約束は茲に云々すべきに非ざれども先づ概略を云
へば政府より年々若干の注文することに定め或は夫にても彼の商賣上に引き合はずとなら
ば若干の利子を保證する等の箇條を定むるも可ならん斯の如くなるときは會社に於ても政
府と約束の注文もしくは保證ある其上に日本に製造所を設るときは東洋諸國殊に支那の注
文などを引受くるに就き非常の便利あるが故に喜んで之に應す可きは必然にして之が爲に
我國にuする所、如何を問へば外國に注文するよりは幾分か廉價の者を得て且つ早急の間
にも合ふ可きは勿論、又その職工の如きも幾分は必ず日本人を使用す可きが故に我國人も
次第に製鐵業の熟練を得るのみならず既に國中に製造の業起るときは材料の需用も揄チし
て隨て我鑛山業も大に發達すること疑ある可らず斯くて數年の間に我職工も相應に熟練し
材料も相應に産出し其他一般の事情自から起業に適當なるに至れば政府は其製造所を買上
げて之を官有とするなり又は之を民間に賣渡すも可なり是れ又最初に會社と約束す可き箇
條なりと知る可し右の方法に由るときは國中に製鐵の事業を起すも敢て難からずして却て
我國にuする所ある可し我輩は今日強ひて之を起すの要を見ざるものなれども若しも當局
者に於て是非とも其必要を認むるならば其方法は右の如くせば如何あらんと聊か參考の爲
めに記すものなり