「國防は國民と共に研究す可し」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「國防は國民と共に研究す可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

軍國々防の事は政治上一般の施設と其趣を異にし秘密を要するの事項少なからずして容易

に論斷す可きに非ずと雖も其所謂秘密とは軍略上技術上に關することのみにして一般の軍

務は必ずしも秘密に附す可らざるのみならず却て之を公にして國民と共に研究するの必要

を見るものなり蓋し立國の事業多しと雖も最も國費を要するの多きものは國防の事にして

兵員の養成を始めとし軍艦なり砲臺なり兵器なり鐵道なり何れも非常の費額を要せざるは

なし國の獨立保護の爲めとあれば其費額も敢て惜む可きに非ずと雖も一國の防禦は自から

其國の形成如何と其國力の程度如何とを酌量して茲に其方針を定む可きものなり單に其形

成のみに着目して國力の如何を問はざるが如きは之を目して無謀の處置と云はざるを得ず

左はり國防の事業は目下の急務なりと雖も一方に於ては之を國力の程度如何に徴して其事

を處理するの更に急務なるを思はざる可らず今日は既に國會も開て軍國の費用も其同意を

得るに非ざれば之を實にすること能はざるが故に國力の如何を顧みずして漫に着手するが

如き患は萬々これある可らずと雖も抑も國防上の事は單に費用の莫大なるのみならず其計

畫一たび定まるときは容易に動す可らずして後來の關係少なからざるものなれば事急なら

ずして又秘密に屬せざるものは廣く之を世間に公にして國民と共に其利害得失を研究し愈

よ之を明にしたる上にて事に着手するも决して遲しと云ふ可らず例へば軍艦の製造の如き

又軍事鐵道の敷設の如きは目下當局者に於て夫れ夫れの計畫あるよしなれども其事たるや

敢て一日二日の急を爭ふ可きものにも非ず又これを極秘に附す可きものにも非ずして而も

一方に於ては非常の費用を要し後來の關係も少なからざるものなれば當局者は其計画を定

むるに當りて國民と共に之を研究すること肝要なる可し或は國會は國民代表の府なれば其

議决さへ經れば即ち一般の國民に謀りたると同樣なる可しとの説もある可しと雖も凡そ國

會の議員が議塲に於て討議す可き事柄は兼てより世間の問題と爲りて自身にも之を研究し

又一般の與論も之を可否して其利害も略ぼ决したるものにして始めて其議决に與論を代表

することを得べきなれ若しも當局者が突然重要の議案を提出して會期の間に之を議せよと

あるときは議員たるものは殆んど當惑せざるを得ず夫れも何か緊急を要する事件にてもあ

らば一塲に討論を以て之を可否することもある可しと雖も前條の如き軍艦鐵道などの塲合

に於ては其關係する所少小ならず隨て容易に議决す可き性質のものにあらざれば斯る重要

の計畫を獨り當局者の胸中に存し置き突然これを議塲に提出するが如きは啻に議員の迷惑

のみならず當局者に於ても不利を免れざる可し如何となれば折角苦心したる計畫も其利害

の一般に明ならざるが爲めに却て否决さるゝの恐なきに非ざればなり左れば右等の問題に

して關係の大なるものは苟も秘密に屬せざる限りは豫め之を公にして輿論の向背を卜し且

つ一般の國民と共に之を研究するの必要なるを見る可し西洋諸國の例を見るに新聞紙もし

くは雜誌の類にて軍事を論ずるもの甚だ少なからず而して當局者の如きも時には署名又は

匿名を以て其論を賛駁することありと云ふ蓋し軍事上の事は獨り軍略技術等に止まらずし

て其利害は國民一般の感ずる所なるが故に輿論も常に注意を怠らず又當局者も常に輿論の

赴く所を察し或は互に論駁して以てu々その論を練り其漸く熟するに及んで國會議塲の問

題ともなり隨て又實際上の着手ともなるものなり今や我國に於ても國防上の議論漸く流行

して政府にても次期の國會には軍艦製造又は軍事鐵道敷設等の議案を提出す可しと云ふ何

れも重大の問題なれども今日の如く其案の趣旨世上に明かならずして兎角秘密にするの風

あるに於ては事の計畫は單に當局者の胸中に存するのみにして一般の國民は此等の問題を

研究するの機會なく又隨て其利害得失を詳にせざるの憾なきに非ず昨年の議會などにても

軍事に關する議案中には國防上の秘密なりとて兎角に説明を厭ひたる事項も多きが如く今

の軍事上には兎角秘密の談あるやうなれども元來秘密には自から限界あるものにして國會

議塲の議案と爲すものゝ如きは固より秘密の部に屬す可きものに非ず既に秘密に非ずとせ

ば成る可き丈早く之を公にして一般の輿論に質問すること肝要なる可し我輩は國防に關す

る重要問題は國民と共に研究するを以て上下一般の利uたる可きを信ずるものなり