「公債證書と銀行預金と損得如何」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「公債證書と銀行預金と損得如何」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

明治十九年十月整理公債證書の發行以來政府は頻頻七分利付の金祿公債を償還して今年今月は全く了る可しと云ふ抑も此整理法は政府の爲めには至極利益なれども其政府に利益なる通りに人民の私に取りては至極不利なるものなり明治九年八月金祿公債證書條例を發行したるときに明治十年より華士族平民の家祿を公債證書にして毎年兩度その利子を渡す可し元金は五ケ年据置き六ケ年目より大藏省の都合に由り毎年抽籤の法を以て消却し都合三十ケ年間に悉皆これを消却す可しと約束したるが故に之を所有する者は明治三十九年までの間に時時當籤す可きも十五年より起算して二十五ケ年間のことなれば年に平均しても毎年二十五分一の元金を返さるるのみにて其餘は相替らず七分の利子を請取る可しと信じ資力の厚薄に拘はらず理財の事に不案内なる者は皆これを無二の財産として所有し彼の舊藩士族又は孤兒寡婦の輩は例へば額面千圓を秘藏して毎年七十圓の利子を請取り一ケ月五六圓の生計を以て安心する者も少なからざりしに不意に元金を償還せられて通貨と爲り之を以て更に公債證書を買はんとすれば五分利以上のものを得べからず即ち七に付き二を■(にすい+「咸」)ぜられたる割合にして一年七十圓の家計に二十圓の相違を生じたるは一家の大不幸と云ふの外なけれども世間に之を怪しむ者もなし畢竟日本は古來士族國にして經濟論の粗大なるが爲め斯る劇變にも驚かざることならん其是非得失の議論は之を他日に讓り我輩が爰に經濟社會の注意を促さんとするは目下の有樣に於て五分利付公債證書を所有するの利害如何の一■((「黒」の旧字体のれんがなし+「占」)+れんが)なり金利の割合は世界の大勢に於て次第に下落に赴くものなりとの説もあれども左るにても我國に於て其下落の變動は餘り劇しくして之を目して世界の大勢に伴ふものとは思はれず徳川時代より明治年間に至るまでも金融社會に一割以下の利子は先づ以て稀にして成規の利子一割二分と定まりし程なりしに明治十七八年の頃より紙幣の急縮に隨て商况の大不景氣を致し資金の用法に苦しむ折■(てへん+「丙」)、政府より五分利の公債を發し其價格を維持するの一策として益益金利を追下るの工風を運らし無力なる人民社會は此政策に風靡して支ふ可きにもあらず遂に全國の金利は五分の標凖に止まりて從前に比較すれば正しく半を■(にすい+「咸」)したり如何に世界の大勢なりとて一國數百年來の金融法を一朝に變化して利子の割合を半■(にすい+「咸」)するが如きは人事に行はる可き常態なりと認むるを得ず畢竟するに我薄弱なる金融社會に對して有力なる政府の力を振ひ以て一時の變相を呈したるものなれば今後若し政府の理財法を改めて金利の割合を自然の成行に任することもあらんには金融社會も漸く基本色を現はし復た五分利の標凖に安んする者なきは斷して疑ふ可きにあらず利子の標凖既に五分以上に上り或は一割内外にても活溌に運轉して危險を見ざるときは整理公債證書に百圓の價格なきは數に於て明に前知す可き所なるに然るに目下の實際に於て尚ほ其價格を維持して低落の勢なきは國民が今尚ほ變相に迷ふて實際の數理に心付かざるものと云ふ可し或は人民より政府の筋に向て抵當又は保證等に用るものは必ず公債證書に限るの法を設けあるが故に其向きの金融者は公債その者の利を利するにあらず其政府に對する金融上の効能を利して止むを得ず之を所有することなれども此種の金融に縁なき人人が恰も世襲財産の心得を以て五分利の公債を所有するが如きは不利の甚だしきものと云はざるを得ず如何となれば政府が人爲の低利策を止めて世間の金融に活氣を生じ利子の割合次第に昇騰するときは百圓の公債は八十圓と爲り又六七十圓に下る可ければなり或は云ふ公債證書を以て世襲財産とすれば唯五分利を目的とするのみ元價の昇降は意とするに足らずとの説もあれども今日こそ五分利に安んず可きなれ若しも他年一日慥に七八分の利益ある可き新案を生するときは今日の五分は决して得策ならざりしを悔ることならん然かのみならず前節に云へる七分利の公債證書を整理して五分利に變化せしめたるは財政當路者の方寸に生したる一策にして既に天下に之を怪しむ者もなしとすれば今後第二の當路者が第二の方寸を運らして五分利の公債を三四分に整理することなきを期す可らず七は五に■(にすい+「咸」)したれども五は四に■(にすい+「咸」)す可らすと云ふも其理由甚だ薄弱なるが如し斯る塲合に臨み人民は果して能く政府に向て之を拒むの覺悟ある可きや否や我輩の保證すること能はざる所なり經濟の事を容易に見て實地の勘定に緻密ならざるは我國會の特色とも稱す可き性質なれば公債整理の事などに就ては國會は恃むに足らざるものと知る可し

右の所記にして果して大に經濟の實際に違ふことなしとすれば近來各地の資産家にして頻りに五分利の公債證書を買ひ又は金融の道に不案内なる向きの人人が之に依頼して生計を立るが如きは我輩の甚だ賛成せざる所にして慇懃に其不利を説かざるを得ず一説に公債證書の利益薄しと知りながらも他に資金の用法を見出さざれば先づ以て之を所有するの外なしと云ふ者あれども若しも左る事情ならば我輩は寧ろ之を賣却して銀行に現金を預るの利益を勸告する者なり銀行危しと云ふも危からざるもの亦甚だ少なからず日本銀行と華族銀行(第十五國立銀行)とは特別のものとして之を差置き方今基本の確實にして營業の活溌なる大銀行は三菱銀行(第百十九銀行)三井銀行(私立)正金銀行等を始めとして其他にも尚ほ信用の堅きものある可し既に三菱銀行は定期の預金に五分五厘の利子を廣告し三井も大抵同樣なる可し之に金を預るの法も至極簡便にして何時にても三菱三井の門を叩て金を投すれば預りの證書を引替に渡し其後は唯期限に至りて利子を請取るのみにして受授の手數は公債證書の利子を請取るよりも易し殊に三井銀行には各地に支店も多きことなれば都下の人のみならず地方の爲めに一段の便利ある可し左れば銀行の性質をさへ吟味すれば之に私有金を托するの安全は疑なくして利益の割合は五分の公債に比して五厘の餘計を得るのみならず預金は永久の預金にして元金の増■(にすい+「咸」)なきに反して公債證書は時として相塲の變動甚だしく七八年前に時價六七十圓のものが今日百圓に騰貴したるは即ち今日百圓のものが七八年後に六七十圓に下る可き前徴と云ふも否と答ふるに辭はなかる可し兩者の利害損得斯くまでに明なる上は我輩は今の經濟社會に向て特別の事情ある者の外は公債證書を賣て銀行の預金に變しいよいよ公債を所有せんとならば其相塲の下落を待ち其時に預金を引出して之を買ふも晩からざることと敢て勸告を試むる者なり