「三菱社」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「三菱社」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

方今天下の富を云へば三菱社の右に出るものある可らず。維新の前後に上國の富豪は大抵皆滅亡して、今その

殘る者の中にて三井は最も盛なりと雖も、此三井にても三菱に比較したらば實質の力に於て或は讓る所ある可し。

其餘に至りては全國屈指の大家と稱するものにても、三菱の十分一に及ぶか及ばざるの間に在るのみ。事柄は異

なれども、在昔德川政府の時代に日本國の石高三千萬石の内八百萬石を德川直轄の領地と爲し、其餘の二千二百

萬石を大小の諸侯に分與して、大諸侯と稱する者にても大凡そ德川の十分一に過ぎず。以て天下の全權を中央政

府の一手に掌握せしが、今日三菱社が其大資本を以て日本の經濟社會に臨むの勢は、德川政府が八百萬石の實力

に據りて諸侯を制したるに異ならず。到底當る可らざるものと斷念するの外なし。左れば三菱の財産は最早一個

人の私産として視る可らず、我國の經濟社會に於ける金力の一政府として認む可きものなれば、其一擧一動も亦

一個人の運動にあらずして、經濟社會の一事件として注目せざる可らず。如何となれば該社の方針如何に由りて、

廣く人民の休戚に關することある可ければなり。扨我輩が此金力政府の事情を視察するに、一種特別の殊色を固

有して、他の得て企て及ばざる所のものあるが如し。第一、その資産は前に云へる如く日本第一にして、然かも

遙に上位に位し、他の衆富豪を臨み見れば獅王の羊群に於けるが如く、一顧一眄これを喜憂せしむるに足る可し。

單に資力の強弱を比較しても斯の如くなる其上に、第二、三菱社は創立以來僅々二十年の間に産を成したるもの

なれば、百事都て新鮮にして家に拘泥す可き舊習慣を見ず。云はゞ金力政府中に情實なき有樣にして、冗費冗員

の憂を知らざるものなり。之を他の舊大家の、古例舊慣に束縛せられて運動自由ならず、便利と知りながらも事

務の整理改革を斷行するに苦しみ、無益に金を費して效能少なきものに比すれば、同年の論に非ず。第三、該社

前社長の時代より能く人を用ひて、今日に至るまでも其心を失はず。新舊社員に有爲の人物多きは他家他會社の

及ぶ所にあらず。今後ますます社運の盛大を致して、今の資産を二倍し三倍するも社員の力能く之に堪ふ可きは

普く世人の許す所なり。三菱社は金に酩酊する者にあらず。常に能く金の貴きを知りて之を重んずる者なればな

り。第四、世間に資本の大なる大會社ありと雖も、大抵皆株式の組織にして、當局の重役々員等は株主の代表者

たるに過ぎず。或は種々の因緣よりして永く其會社の全權を握る者なきにあらざれども。兎角その運動の不自由

なるに反して、三菱は則ち然らず。何千萬圓の金權を社長の一手に掌握し、左右に腹心の謀主あり、參謀あり、

内には銀行部の理財士あり、外には交際の社員あり、聲援の社友あり、礦山なり、鐵道なり、製造局なり、各地

方の要處には出張員を派出して氣脈を本社に通じ、幾多の部局運動を共にして方針を誤ることなき其有樣は、腦

神の命ずる所に從て四肢の運動するものに異ならず。之を要するに、他の諸會社の組織は衆庶會議の政體に似て、

内の議論の喧しき程に外に對するの力に乏しと雖も、三菱は純然たる獨斷の政治風にして、運動の活潑を極め、

其神出鬼沒の働は他人の得て臆測す可きに非ず。經濟社會の恐るゝ所と爲るも偶然にあらざるなり。第五、明治

維新以來我國に於て新に家を成し事業を起したる私人又會社の類は、大抵皆政府の筋の保護を蒙る者にして、陰

に陽に政府に依賴して奇利を利する其代りに、陰に陽に其筋の干渉は免がる可らず。時の執政の一聲を聞けば、

不利と知りながらも先づ其意を承けて、或は事を起し、或は金を貸し、又或は空しく他人に金を與ふることさへ

*一行読めず*

を得たることありしかども、前年共同運輸會社と合併して今の郵船會社を生じたる以後は、全く政府との關係を

絶ち、純然たる一個私人の資格を成したるに付ては、眼中復た政府を見るの要なく、資産は則ち三菱の私有にし

て、苟も法律の咎めざる限りは此私有を何樣に使用するも政府の知る可き所に非ず。況んや近年は法律の進歩著

しく、其精神は都て人の私有を保護するものにして、三菱の爲めを謀れば新法の發布、多々ますます自家の便利

たる可きに於てをや。羽翼既に成りて法界の天、亦その翼を舒ばすに可なり。復た何等の要用ありて政府の筋の

私恩を求めんや。貴顯の門に出入して主公の鼻息を窺ふが如きは、家道の經營十數年の夢のみ。昔夢一覺、今は

則ち金力政府の基礎を固くして、經濟の天下は草も木も其風に靡かざるものなし。思ふに數年のむかし、三菱が

政府の鼻息を窺ふて私に進退したる其代りに、今後は主客の勢を異にし、政府が理財の事に關して漸く三菱の鼻

息を窺ふの要用を發見するに至る可きや疑を容れず。政府の力と雖も財政上に之を敵として抵抗することは叶は

ざる可し。唯今日に至るまでは官尊民卑の餘風、尚ほ未だ収らずして、金力政府の威權も十分の光を放たず、或

は自分に於ても左程と思はずして、自から自家の價を低評することもあらんなれども、立憲國會の政風いよいよ

其實效を呈して、法律一偏の世の中と爲るに於ては、思寄らざる事相を見ることある可し。學者の宜しく今より

注目す可き所のものなり。                             〔九月二十三日〕