「又三菱社」
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時事新報に掲載された「又三菱社」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
財産の大なること三菱社の如きに達したるものは、最早これを一個人の私産として視る可らず、恰も經濟社會
に於ける金力の一政府なりとの次第は、前節に之を發言したり。既に政府とあれば自から固有の主義政略ながる
可らず。一利を見れば輕々これに走り其目的僅に齟齬すれば又忽ち退くが如きは一個人の事なれども、金力政府
の擧動は則ち然らず。小利益を近きに求めずして大成を遠きに期し、一度び目的を定むるときは、其行路に多少
の違算失敗あるも、一定の方針を守て狼狽することなし。之を喩へば小身者の經營は田園を耕して期年の収納を
利する者の如し。天氣順にして秋實豐なれば誠に妙なれども、旱損水害、時としては終歳の勞を空ふすることな
きに非ず。之に反して大家の經濟法は樹を栽るに等しく、其利を見ること遲きが如くなれども、一風一雨、都て
恐るゝに足るものなくして、永年の後に得る所は田園耕耘の比に非ず。左れば金力政府の政略は遠大にして遲々
たり、直行して屈する所なきが故に、其政略の事實に現はるゝ所を見れば、常に乾燥して潤澤に乏しく、方正に
して婉曲の裝を失ひ、時としては無情なるが如く、強硬なるが如く、頑固にして刻薄なるが如く、狡猾にして多
慾なるが如くなれども、此れは是れ政府たるものに免かれざる所の性質にして、強ち人の罪と云ふ可らず。例へ
ば現在の政府にても、其政を施行して法律上の實際に現はれたる所を見れば、無情無味にして曾て溫厚の趣なき
が如くなれども、政府當局の人物に接して個々の私を視察するときは、人情厚くして德行の濃なる者多きが如し、
有情の人にして無情の事を行ふは政府と名くる團體に固有するものと知る可し。故に今三菱牡の經濟も既に一政
府の體裁を成したる上は、其施政上に往々凡俗の細人情に戻ることある可きは當然の勢にして、怪しむに足らず、
又咎む可きにもあらず。例へば、人情より云へば、何千萬圓の財産を所有しながら僅に數千圓の受授に勘辨する
斷あるも左までの事に非ず、何百萬圓の所得より一、二百圓を棄るも論ず可き數に非ずなど思ふ者もあらんなれ
*一行読めず*
は九干九百九十九と爲る可きが故に、謂れなく其一を棄るの道理はある可らず。蓋し公明正大の主義に於て、苟
も法律上に取る可らざるものは、假令ひ眼前に降り來るも決して之を取らざる其代りに、與ふ可らざるものは秋
毫の微も之を與ふることなし。如何なる情實あるも、如何なる因緣あるも、漠然たる無形の德義人情談には耳を
傾く可らず。斯くありてこそ金力政府の基礎も立つ可きなれば、既往は知らず、將來を卜するに、三菱の政略も
漸く此邊の方針に向ふことならんと竊に臆測する所なり。
又金力政府の爲めを謀るに、目下日本に於ける經濟の有樣にては、直に資金の集散融通に關する事業は格別と
して、其の他の礦山、鐵道、製造、開墾、運河、航海等の如き、世に所謂實業を新に發起するは不利なるが如し。
凡そ新事業には必ず利益の大なるものあるが如くなれども、亦必ず之に伴ふ所の危險なきを得ず。起業卽ち冒險
とも評す可き程の事にして、今の經濟社會の有樣にて、此業を起す者は大抵皆資本に豐ならず、假令ひ無一錢な
らざるも、十貫目の力量にてありながら五十貫目を擔ふの姿にして、十中の八、九は中途に倒れざる者なし。甲
敗れて乙これに代り、又敗れて丙に讓り、一敗又一敗、その失敗して手を引く毎に、經營中に費したる所のもの
は自から積で事業の基本と爲り、九尋の山、僅に一簣の不足するが爲めに、功を成さゞるものこそ多ければ、此
時に當りて大家に閑却する資金を投ずるときは、勞は半にして利益は倍す可し。卽ち失敗者の多年辛苦したる勞
力と、空しく費散したる資本とを蘇生せしめて、新金主の手に歸することなれば、俗言に濡手に粟と云ひ、犬骨
折りて鷹の功名と云ふが如きは、正に是等の事情を表したるものなる可し。東京深川邊の或る材木商の言を聞く
に、遠國の山林を買ふて伐出すは甚だ利益あるに似たれども、資本金さへあれば必ずしも山林伐出しの業を起す
に及ばず、深川に居ながら八方に目を配り、金に窮して失敗したる者の材木を抵當にして金を貸し、又は見倒し
に品を買へば、其利益は山林の起業よりも却て多くして商賣に危險なしと云ふ。金の效力の大なること推して知
る可し。左れば竊に三菱社今後の政略を案ずるに、新に危險なる大事業を起すことはある可らず。鐵道に着目す
ればとて、既成のものに就て其株式を買入るゝのみにして、新線路を開くことはなかる可し。人或は大家の經濟
主義を知らずして、唯その大なるを見て多を求め、三菱は無二の富豪なるが故に、大鐵道を起業す可し、鐵鑛山
の事に着手す可し、北海道の開拓も、海外移住民の事も、三菱にあらざれば叶はず、今後追々是等の企ある可し
云々とて、專ら望を屬する者多けれども、我輩は全く所見を異にして之を信ぜず。鐵道は既成のものを買ふの利
益より大なるはなし。鐵鑛業とても自から之を起すよりも他人の發起して倒るゝ者あるを待つに若かず。況んや
北海道の開拓の如きに於てをや。無數の冒險者をして先づ手を下さしめ、數年の後に至りて既墾の地に持て餘ま
す者こそ多かる可〔け〕れば、其時を待て大に之れを買ふの便利に叶ふものなし。三菱は唯資金の集散融通の大權
を握りて經濟社會に臨み、其靜なること大山の如くにして動くことなく、百貫目の力量を以て十貫目を擔ひ、徐
々に時節を待つ者なり。世人が動もすれば國家の利害云々、人間の情誼云々とて、普通の陳腐論を持出して頻り
に之に多を望むは無益の沙汰と云ふ可きのみ。三菱は斯る陳腐論の爲めに動搖する者にあらざるなり。斯く云へ
ば三菱の其擧動は如何にも無情なるが如く、頑固なるが如く、刻薄狡滑なるが如くなれども、前に云へる如く該
社は既に一個人の資格を以て視る可らず、儼然たる金力の一政府にして、其社員の事を行ふも亦一個私人の私意
にあらず、金力政府の政略として認む可きものなれば、經濟社會の人々は之に向て愚癡を鳴らすよりも、常に能
く其動静に注意し、彼の金力の鋒を避けて自から守り、圖らざる間接の邊に奇禍を蒙ることなきやう用心す可き
*一行読めず*