「北海道は尚ほ未開地なり」
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時事新報に掲載された「北海道は尚ほ未開地なり」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
近來新聞紙の傳ふる所又北海道に遊びし人の云ふ所を聞くに北海道は兩三年來大に面目を改めて復た舊時の北海道にあらずとて頻りに彼地の事情を喋喋する其有樣は恰も北海道今日の進歩は殆んど内地に讓らずと云ふものの如し然れども其所謂内地に讓らずとは北海一二地方の繁昌模樣は内地に異ならずとの意味か或は全道の風光内地に同しと云ふものか先づ其別を明にせざるは立言の法に非ず一二地方の繁昌内地に異ならずとは如何にも事實にして函館小樽札幌の如きは人口二萬の多きに達し家屋の構造市街の繁昌寧ろ内地府縣廳所在地に優るあるも劣る所なし唯市街の壯麗斯の如きのみならず市外近方の有樣とても少しも内地の田舍に異なる所なく歳時に種を蒔て菜穀を收め又函館近在には水田さへ既に開けて今日は札幌の近邊にまで處處に水田を見るに至れり此等の有樣より推す時は北海道は内地に異ならずとは全くの事實にして我輩も勉めて其事の廣く世人の知る所とならんことを希望して止まざる所なれども右一二の地方は北海全道何百萬分の一に過ぎず其他は依然として蓁莽荊蕀道を蔽ひ平原廣野天に連り膏土沃塲空しく放棄して顧みられざるは是れぞ尚ほ北海道今日の眞面目にして世人が徃徃一二地方の進歩に迷ふて全道の如何に評を下だすは之を喩へば人の面部に一二■((「黒」の旧字体のれんがなし+「占」)+れんが)+れんが)の黒子あるを見て直に其人を黒色人種なりと云ふに異ならず其妄見誤謬たる固より明白なれば齒牙に掛くるに足らざるほどのことなれども滔滔たる天下時としては之に欺かれて方向を誤る者なきにあらず蓋し斯る〓説の由て起りしは種種の源因ある中にも其一二を擧れば兩三年來北海道漫遊者の増加したるに際し上流士人と稱する輩は汽船或は汽車に乘りて東京より函館に安着し小樽札幌を經て室蘭に至り僅僅二旬餘の間に全道中最も便利にして困難少なき塲所を撰び倥偬經過して以て北海の要領を得たりと爲し北海道は殆んど内地に異ならずなど附會想像の説を作して得得たる者あり又或は少壯の士にして北海道に赴き何がな着實なる職業を求めんとして思はしき機會もなきより己れの手慣れたる筆紙を借りて内地風の政治論を製造すれば遂には眞面目なる土着の人までも之に乘せられて恰も一種の春意を催ほし三五の友人一席の茶話も北海全道の輿論なりと稱し或は地方會議を開かんと云ひ或は國會議員を撰出せんと云ひ果ては一切の人事政事を擧げて内地と同樣ならしめんとする者さへなきに非ず都て是れ事の實際を離れたる虚空談と云ふも不可なきが如し抑も北地目下の有樣は前に述べたる如く尚ほ純然たる未開地にして移住民の營業に利を得ること容易なると共に失敗することも亦容易なり勞すれば興り、逸すれば敗す、正に營利の戰塲にして利益の外に餘念なき多忙繁雜の最中に地方の自治と云ひ國會議員の撰出と云ひ眼前の利益に縁なき政論を論ずるも有爲の實業家にして誰れか耳を傾る者あらんや况んや漸く内地の風を移して衣冠文物を正さんと云ふが如きに於てをや唯徒に人の冷笑を買ふに足る可きのみ從前北海道に限りて税法を殊にし徴兵を免ずるが如きも海陸の營利開拓を奬勵するの精神ならん事宜に適したる政法と云ふ可し衣食足りて禮讓興るとは古人の語なれども我輩が今この語法を借用して北海道を評すれば利益興りて人事整ふと云はんと欲するものなり税法も法律も地方の自治も議員の撰出も今日は論ず可き塲合に非ず目下彼の地に於ける人事政事の要は唯移住者をして自由自在に利を得せしむるに在るのみなれば官民共に此一方に着目して人言に惑ふことなく以て北地に固有する天與の利源を利し文物の整頓は之を數十年の後に期せんこと我輩の冀望する所なり