「松方大臣の歸京を待つ/古着古道具の義捐」
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時事新報に掲載された「松方大臣の歸京を待つ/古着古道具の義捐」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
松方大臣の歸京を待つ
百聞一見に若かずとはキて物事を合點せんとならば百度び人の話を聞くよりも一度び其實地を見る方、遙に勝るとの意味にして一見の功能實に少なからずと雖も是れは畢竟平生の知見淺くして人情世態に通せざる人物に適用す可きのみ、數理に迂闊にして感情に制せらるゝ人物に相當す可きのみ苟も其見る所廣く其知る所密にして事物の數理に明なる者は必ずしも實地の目撃を要せず假令ひ或は其要あるも他に之よりも一層急なる要事あるときは又實地一見の暇ある可らず例へば親友の急病と聞き其病床に臨みて容態を一見せんとは友情の常なれども若しも醫藥の手當に急要あれば素人にて患者の樣子を見るよりも醫を招き藥を買ふの一方に周旋するこそ本意なれ即ち一時に感情に制せられず數理に據て事を處し實際の奏效大なるものと云ふ可し以上の立言にして果して違ふことなくんば我輩は今回の震災の爲め松方總理大臣が被害地の實況視察として匆々に出張し數日の閨A中央政府本部の事務を視ざるの一事に付き聊か遺憾なきを得ず非常の天災未曾有の大事變なれば取るものも取敢ず先づ其實地に就て實況を詳にせんとするは人間の至情、萬人同感にして無理ならぬことながら其天災は既に災害を逞ふし去りて今更これを輕重す可きに非ず其害の緩急輕重は地方官の筋より之を具申し人民の私信に報し新聞の紙面に記し朝野の間に傳へ又傳へて細大洩らすことなき有樣にして今日の要用は唯事變後の處分に在るのみ幾萬の死亡人は之を如何す可きや負傷者の治療潰家の取片付、假小屋の普請等キて流離飢寒の民を何如にして救助せんやと之を救ふこといよいよ厚からんとすれば金を要することいよいよ多くして目下の問題は唯金の一點に在るのみ政府の臨時支出と決したる金額にて不足を告れば第二案なかる可らず或は目今新聞社などにて義捐募集の擧あれども募集の法必ずしも新聞社のみに限らず尚ほ其外に官民申合せて樣々の新工風もある可し凡そ是等の計畫に付ては總理大臣の心勞少なからず殊に大藏省の筋は最も關係の大なるものなれば我輩は最初より松方大臣の出發を願はず被害地の實況は夥多の電報通信にて十分なりとして之を其筋の人々に一任し身は中央の本部に居て方略を運さんことを希望したれども事既に決して留むるに由なし扨今日に至れば大臣は最早や彼の地に五六日を費して實況の巡視も相濟みいよいよ之を巡視していよいよ慘状の甚だしきを目撃し果して電報通信の通りに相違なきを認めたるまでのことならんなれば此處は匆々歸京の途に就き救助の手配に遺策なからんこと竊に祈る所なり
古着古道具の義捐
昨日の時事新報に地震罹災の地方民の爲めに義捐するは必ずしも金圓に限らず古着古道具を贈るも自から一法なる可しとの次第を述べたり是れは西洋ゥ國にも事例の多きことにて慈悲深き人々が唯自家に不用なる衣服古道具の類を何くれとなく取纏めて贈るまでの趣向にして差向きの出費なくして其惠みに預る者の身に取りては遙に金圓よりも難有きことあり彼の國にては各寺院の發起にて其事を取扱ふよしなれば今回は東京を始めとして各地方の寺々は專ら之を擔任して至當なる可し僧侶の本務は唯財物を貰ふのみに非ず斯る場合には物を與ふるの工風もなかる可らず本願寺などは何如せしや東京に洪大なる別院もありながら今日に至るまで何等の沙汰もなきこそ不審なれ商賣一方の三菱社の如き慈善などの事は商社の知る所に非ずと云へば夫れまでのことにして強ひて咎む可きにあらざれども岩崎氏は三菱社を離れて一個人の資格を成し岩崎家獨立の名を以て義捐の募集に應じたり一商社の公務と一家の私事と其區別分明なりと云ふ可し然るに本願寺の如きは公けにも私にも單に慈悲の一片を以て體を成したる者が默して動かずとは聊か其本領に不似合なるが如し況んや右に云ふ古着古道具の施與は寺より直に物を出せと云ふに非ず唯その周旋奔走に勞するのみに於てをや僧侶も少しく思案しては何如と敢て俗世界より一言の忠告を試る