「義捐者の姓名/負傷者を東京に護送しては何如」
このページについて
時事新報に掲載された「義捐者の姓名/負傷者を東京に護送しては何如」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
義捐者の姓名
を新聞の紙面に記すは名聞を好むの嫌ひありて陰コの趣意に負くの説もある可し一應尤もなる説にして古來道コの敎にも此邊の意味を説くもの少なからず古代西洋の敎祖耶蘇が貧民救助の法を説きたる時に二人の義捐者あり一人は富豪の者と覺ぼしく立派なる身形にて傲然衆人の前に於て數千の金を出し一人は身形も至て賤しく竊に一錢の錢を投じ名をも言はずして立去りたる後耶蘇は人に向ひて前の數千金は多しと雖も取るに足らず後の一錢こそ眞に義捐の志を表するものなりと語りたるよし其他この種の談は一にして足らず元來義捐は人の爲めにして自から爲めにするに非ず一片惻隱の心より發起し情を以て情を慰むるに過ぎざるものなれば之が爲めに名を云々するが如きは其人の本意に負きて寧ろコ心を妨ぐることなれども是れは道コ上一般の敎にして場合に由りては亦自から變通の法なきを得ず例へば今回の震災の如き非常の慘状にして苟も人情あるものは之を聞て默止すること能はざる次第なれども何如せん世間の廣き其慘状を知らざるものもなきに非ず既に之を知らざるときは何如に慈悲惻隱の心に富むものと雖も之を外に發して他を惠むの機會ある可らず然るに新聞紙に其慘状を記し又義援金を募集して其募に應じたる人の姓名と金額とを載するときは世間の人々は之を見て其有樣を知り又その義捐の人名と金額とをも知り爲めに注意を促されて内の慈悲心を外に實にするもの多かる可し即ち新聞紙の之を記すは敢て人の名を出すの趣意に非ず世の慈善家に注意の機會を與ふるが爲めにして既に本社に金を投じたる人々の中にも義捐の爲めなれば姓名は出さぬやう致したしとの向きもなきに非ざりしが慈善の目的の爲めには姓名を出すも毫もコ心に妨なきのみならず寧ろ之を出すの必要を信じて斷然姓名を記したる次第なり斯る非常の大災害を救はんとして僅々たる義捐喜捨にては迚も其目的を達す可きに非ざれば成る可く手段の廣くして一錢にても義捐の多きこそ願ふ所なれ即ち成る可く廣く慈善者の心を滿足せしめ成る可く早く罹災者の災を減ずることを目的とせざる可らず其目的にして既に然りとすれば之を達せんとするは即ち慈善の行を行ふものにして姓名を記載するは決して其本旨に負くものに非ず假りに今回の變に際し新聞紙が義捐の募集を廣告せず世の慈善家の竊に義捐するに任せ新聞社も又竊に之を罹災者に贈るのみにして一切事の次第を紙上に記さゞりしならば其金額は必ず今日の百分の一にも達せざりしならん陰陽何れにしても慈善の行ひには外れざれども實際の事實に於て斯る非常の相違ありとすれば我輩は今日の場合に道コ上臨機の處分を施し成る可く金額の多くして十分に其目的を達するの方便を取らざるを得ず姓名を記載するの止む可らざる所以なり
負傷者を東京に護送しては何如
人の感情を動かすは耳に聞くよりも目に見る方、一段の力あるものにて今回岐阜名古屋の災變は非常の慘状を呈し就中その病院の有樣は慘の又慘なるものにして昨今實地を目撃して歸來せし人々の語るを聞くに唯言語に絶えたりと云ふのみにして之を名状すること能はざるものゝ如し即ち其名状すること能はざるは吾々が東京に居て聞くよりも實地は更に甚たしくして想像の外なるや推して知る可し即ち目に見るの感動は耳に聞くよりも劇しきを知る可し左れば爰に救助の一案を案するに彼の地に在る無數の怪我人の中には隨分多少の動搖に堪へて病體に妨なき者もあらんなれば此種の患者をば五十人なり百人なり東京に護送し府下の然る可き場所に入れて懇に治療を加へ同時に其負傷の模樣、症状の輕重、治療の成跡、看護手當の有樣等何呉れとなく細に記して世上に公にしたらんには東京市中の人々は我れも我れもと群集して假令ひ親しく病床に近づくを許されざるも近く其樣子を目撃して哀悼の情を催ほし隨て財物を惠與して患者は全快に至るまで何等の不自由もなく醫藥滋養の恩澤に浴するを得べし斯の如くすれば其當人等の仕合は申すまでもなき尚ほ其上に萬事に不足勝ちなる震災地の負傷者も人減りの爲めに幾分か手當の行屆くを得て是亦無情の幸なれば一擧兩全の策と云ふ可し府下の有志者には或は此案を實行する向きもあらんと思ふ其中にも我輩は寺院の僧侶を以て發起の任に適當なりと認むる者なり慈善は佛者の本分にして且つ寺院の建物は恰も假りの病院に宜しく其臺所にキ合さへ大勢の賄に適當するもの多くして特に普請等の爲めに支出を要するにあらず醫藥食料等の費用は前記の如く慈善家の喜捨にて足るのみならず府下の醫師は治療を施し藥店は藥品を惠む等樣々の好キ合を得て寺院に費す所なくして佛コの光明は由て以て耀く可し僧侶默々の場合にあらざる可し