「爲政の方針と國運の消長」
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時事新報に掲載された「爲政の方針と國運の消長」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
開國三十年來我國運の消長何如を問へば何人も其髏キ伸張を疑ふものある可らず而して其間に於ける政治の變遷何如を見るに幕府の衰滅王政の維新を始めとして明治政府の時代と爲りても爲政の方針常に一ならず三年にして變じ二年にして變じ甚しきは一年の中にも再三の變ありて二十餘年間絶えて一定のものを見出すこと能はず傍觀者は云ふ迄もなく當局者自身と雖も自から省みて自から驚くことならんと雖も扨顧みて國運の進退何如を問へば政治の方針の定まらざるが爲めに毫も退縮せざるのみならず寧ろu々進歩したるの實を見るのみ抑も政治なり敎育なり工業なり商賣なり其改良繁盛は何れも國運の進歩として見る可きものなれども要するに是等の改良進歩は人智の發達何如に由るものなるが故に國運の進歩とは取も直さず國民智力の發達を意味するものと云ふも可なり元來政治の如きも亦人智の發達に伴ふものにして時としては政治に由りて其發達を妨ぐることも少なからざれども是れは古代未開の時の談にして既に文明の大勢に促されて其目的を改進々歩と定めたる今日に於ては政府の方針に時々の小變化あればとて之が爲めに人智の發達を云々す可きに非ず例へば敎育の一事にしても二十年來政府の方針は區々にして最初は四民同等獨立自活の主義を奬勵せしに中頃一變して支那流の儒敎主義と爲り又變じて忠君愛國論と爲り又々改まりて何々たらんとするなど更に一定したる所なけれども實際に於て西洋文明流の智識は次第に國中に浸漸して底止することなく政府當局者の方針何如は人智進歩の大勢に毫も影響せざるが如し人心に最も感化を與ふる所の敎育にして既に斯くの如くなれば其他は總て知る可きのみ然らば則ち政治の方針は國運の消長に絶えて關係なきものなるやと云ふに彼の露國がペートル大帝の遺訓を奉じて國土の擴張を勉め幾代の間その方向を變ぜずして次第に今日の強大を致したるが如き又獨エ聯邦がナポレオン一世の敗後英國に對する大陸封鎖の政略を破られて忽ち英國商品の氾濫を蒙り將に發達せんとしたる國内の工業も一時に衰頽を來せしより茲に聯邦關税の同盟を結んで工業を保護するの必要を感じ總税司なるものを設けて聯邦關税法の統一を謀り以て獨エ帝國一統の今日に至るまで其政略を維持して國内工業の繁昌を致したるが如き何れも政治上の方針に由りて兵略上に商略上に國運の髏キを助けたるものなれども斯の如きは政治の基礎固くして其方針の動かざること露國の如く又獨エの如きものにして始めて見る可きのみ之を我が國の今日に望むは無uの談なる可し我輩の毎度述べたる如く明治政府は情實政府にして其情實は本來人に附着したるものなるが故に其人にして悉く死するか悉く去るに非ざれば情實の盡くる期はある可らず苟も此情實の盡きずして其人のあらん限りは幾回幾度の更迭あるも政府に向て方針の一定を望むは實際に無理のみならず假令ひ一時は定まるが如くなるも之を永久に持續するが如きは到底望む可きに非ざれば政府の人も民間の人も篤と此邊の事情を解し政治上一時の方針は國運の何如に關係なきものと安心を定めて方針云々の談は他年時節の到來を待つの外なかる可し聞く所に據れば政府にては此頃も何か議會に對する方針に就て頗る入込たる議論を催ほしたるよしなれども情實政府の方針は固より一定す可きものにあらざれば唯その時の宜しきに從て變ずるも可なり變せざるも亦可なり要は唯相互に切迫せざるに在るのみ或は斯種の事情よりして更に内閣の更迭談を催ほすことゝもならば其新方針も更に又一變せざるを得ず更迭又更迭、方針又方針前後相對して別に新奇の觀もなきことなれば我輩は情實政府中に現はるゝ時々の方針何如は敢て國運の消長に關係なきものと信して姑く之を擱き他日時節の到來を待て更に永遠確定の大方針を談せんと欲するものなり