「濠 洲 (昨日の續)」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「濠 洲 (昨日の續)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

濠洲の氣候のことに就ては前にも少しく述べたる所あれども今爰に其詳細を説かんに殖民地の熱帶内に在る部分は面積百十七萬六千平方哩にして熱帶外に在る部分は百九十八萬五千平方哩なるが温帶と熱帶との境に在る所謂半熱帶の地方は都て歐洲人の住居に適せざるものに非ずとの事實は一度濠洲に遊ひたる者の能く知る所にして現に其地方に在る白人の數少からざれども絶て氣候の暑きに苦む者あるを聞かず又歐洲人が眞の熱帶内に生息することを得べきや否やは一疑問にして容易に孰れとも斷言し難しと雖も兎に角似都て濠洲の氣候は白人の移住に適せずとの説は實地の状況を知らざる外國人の妄想にして信を置くに足らず我輩は未だ濠洲にて黄金を採掘する者が熱帶の熱を恐れて利益の見込ある金山に手を付ることを斷念したる者あるを聞かず盖し彼輩は唯金鑛の性質如何に從て其進退方向を决する者にして寒暖計の高低抔は毫も意に介せざるなり或はノースクヰンスランドの如き地盤低く草木繁茂せる地方には熱病流行せざるに非ずと雖も移住民の來ること愈愈多くして人口の愈愈増殖するに從ひ病の流行は次第に止むを例とすコグラン氏の説に從へば濠洲の氣候は北半球に於ける同緯度の氣候よりも温和なりと云ふ濠洲にて最寒の季節は年の七月にして同月の平均温度は洲の一半に於て四十度乃至六十四度、他の一半に於て六十五度乃至八十度より低からず又ニユーサウスウヱールスの太平洋に面したる部分などは夏冬の温度に大差なく其氣候の身體健康に可なるは地中海沿岸の保養地に勝ること萬萬なり然れども一般に濠洲の移住民は氣候の炎暑に苦まずして降雨の乏しきを憂ふること暑氣よりも甚だし土地を開墾し又は家畜を養ふて利を得るには降雨時を誤らずして且その量の充分なること最も大切なればなり今濠洲各地の雨量表を見るに全洲の三分一以上は平均一年の雨量十吋に達せず又十吋以上二十吋以下の雨量を享くる地方は全洲の四分一以上を占め且是等の乾燥したる土地にては唯雨量の少なきのみに非ずして其度數も亦甚だ不規則なり斯の如く全濠洲の三分の二以上に於ては平均一年の雨量僅かに二十吋に達せずして且降雨の期節至て定りなきが故に此一事は徃徃人の移住心を阻喪せしむるものなれども然れども實際に雨量不足のことは左程患ふるに足らざるものの如し何となれば雨量に乏しき地方を除て殘る所の全濠洲の三分の一ばかりは降雨時を得て其分量も多く今後尚ほ夥多の移住民を養ふて餘あるべければなり加之雨の少なき地方と雖も决して全く放棄すべきに非ず一年の雨量僅かに十吋位の處にも移住者多くして色色の工風を運らし灌漑の便を致して數百萬頭の羊を養ふもの其例少からず元來土地の乾燥せるは家畜の健康上に却て大利益ありと云ふ

濠洲に於ける牧畜業の盛大なるは今更喋喋するにも及ばざる位のことにして千八百八十九年の調査に係る家畜の總數は羊一億頭、牛九百五十萬頭、馬百五十萬頭、豚百餘萬頭にして同年牧畜業の産出總額は之れを金高に見積りて三千五百萬封度なるが其中二千萬封度は羊毛の價なり又牛乳牛酪チイス等の價額は此見積外にして是亦七百萬封度を超過せり(但し價額は皆牧塲の相塲に依る)コグラン氏の算定に據れば千八百九十年の始に於て牧畜業資本の總額は四億一千七百萬封度なりしと云ふ又濠洲にては家畜を飼ふに態態草を種て飼料を造ることを爲さず唯廣漠たる原野を仕切て牧塲となし爰に數千頭の群を放て自然に繁茂せる草を食はしむることなれば牧畜の入費は極めて些細なりと知る可し

然るに唯爰に一の困難と云ふ可きは前にも記したる如く雨量の不足なることなるが近來は各牧塲に夥多の水溜と井戸とを造りて大に此患を除くことを得るに至れりニューサウスウ■(小書き「ヱ」)イルスのみにても右の井戸水溜を造る爲め既に四百萬封度を費したり近來この地方にては地下に凡そ四萬平方哩計なる廣大なる白堊質の地層ありて多量の清水を出すことを發見し諸所に深き井戸を掘りて其水を利用することと爲り大に水利の自由を増したり井戸の深きものは一千尺以上に達し日日數十萬ガロン(一ガロンは我二升五合に當る)の水を噴出せり其量の多少は單に井戸の大小に由ることなれば今日の量を増して日日數百萬ガロンを得んと欲せば其方法は唯大なる井戸を掘るに在るのみ地質學者の説に右の地下水源は多分無盡藏ならんとのことなれば今後該地方にて家畜の水に■(さんずい+「曷」)して死することはなきに至るべし

右の如く濠洲の牧畜業は著しき進歩を爲したるものに相違なけれども今後尚ほ大に發達すべき望あること敢て疑ふべからず何となれば現在の家畜の數は之を土地の廣さに割合はして甚だ僅少なればなり蓋し今日ニユーサウスウヱイルスにては平均一頭の羊に付牧塲として地面二ヱークルと百分の八十一を要する割合なるが今此割合を以て推すときは濠洲全體にて飼養し得る羊の數は現在の數に六億を増すべき筈なり但し牛馬の頭數は之に相應したる羊の頭數に引直して計算したるものなり

然りと雖も牧畜業は元來甚だ廣き土地を要する者にして苟めにも地面の狹隘を感ずる處にては迚も耕作業の如く大利益あるものに非れば濠洲にても早晩耕作の牧畜に代るの時節到來す可きや必せり今濠洲に於て牧畜の利益と耕作の利益とを比較するに牧畜にはニユーサウスウヱールス、クヰンスランド、ヴヰクトリヤ南濠太利、タスメニヤ、ニユージーランド等の過半を使用して其産出額は三千五百萬封度に過ぎざれども耕作には濠洲の總面積の僅かに千分の三半を使用して二千五百萬封度の産出額を得たるを見ても耕作の牧畜よりも利益多きを知るに足るべし之を要するに濠洲の耕作業は尚ほ發達の初歩に在るものにして耕作の盛なる時に至てこそ始めて眞に濠洲殖民地の繁昌を見るべきなり(畢)