「第二期議會の開院式」
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時事新報に掲載された「第二期議會の開院式」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
第二期議會の開院式
第二期の帝國議會は去る二十一日を以て東京に招集せられ愈愈本日を以て開院式を行はる可しと云ふ我輩は差當り議會に對する所望少なからざれども姑く之を他日に讓り更に眼を轉じて將來の成行を考ふるに其前途の多望なるを斷言するに憚からざるものなり或は從來國會の開設に望を屬して頻りに其效能を喋喋したるにも拘はらず昨年來の體裁を見て忽ち失望の情を起し前途を憂るものもなきに非ざれども斯くの如きは畢竟■(きへん+「巳」)人の憂に過ぎずして我輩の同意せざる所なり思ふに前期の議會は開設■(つつみがまえ+「夕」)■(つつみがまえ+「夕」)の事とて隨分失體の數ふ可きものなきに非ず今回も亦同樣の事ならんと雖も凡そ過誤失策は人事に免れざるの常にして草創の事業に於ては時に然らざるを得ず西洋立憲國の歴史に於ける國會起立の次第を尋ぬるときは我議會の失體の如きは數ふるにも足らざる事なる可し盖し普通の人情として未來未見の事には非常の希望を繋ぎながら扨事の實際に現はるるに至れば失望するの常なれども畢竟その希望の過分なりしが爲めに外ならず少しく心を永くして事の成行を考ふるときは國會の前途决して憂ふるに足らざるなり例へば今の明治政府の如きも徳川幕府の末路、政府改革の説頻りに行はれし時に當り一般の世人は非常の望を屬し政府一新の曉には斯く斯く云云の新政ある可しとて只管待設けたることなれども徳川の政府も案外に脆く倒れ愈愈明治の政府と爲りて扨その新政の如何を見れば最初の希望に反するのみならず片眼以て之を察すれば却て舊政府の處置に劣るものさへ少なからずして人心に不滿なきを得ず即ち維新以後久しく騷動の絶えざりし所以にして西郷翁の如きも辭職して鹿兒嶋に退去の後は時政の其意に適はざるを慷慨し今日の體たらくにては王政維新は實に無名の擧にして徳川政府に對しても申譯なき次第なり云云とて屡ば人に語りたりと云ふ然れども爾來二十餘年の久しき幸にして大失策もなく兎にも角にも一國の治安を維持して今日に至りたるは當時の失望家も其案外なるに驚きたることならん昨年來議會の失體少なからずと雖も其失體は些細の事にして今後尚ほ大なる失策なきを期す可らざる尚ほ其上にも議會の勢力次第に盛なるに至れば之に伴ふ所の失策も亦益益大ならざるを得ざることなれども時時の過誤失策は敢て議會の全體を傷くるものに非ず明治政府の成行を見ても議會の前途决して憂ふるに足らざるを知る可きなり
然りと雖も議會は全國民の意志希望を代表するものにして時の政府の如く一個人もしくは數人の意見に由りて立つものに非ず若しも議會に於て屡ば容易ならざる誤を演じ國民の意望に反するが如き擧あるときは單に國内の人心を失ふて議會の品位を輕くするのみならず外に對しては日本國民の品位を落さざるを得ず如何となれば政府の失策は當局者の更迭に由りて之を救ふ可しと雖も市外の失體は即ち全國民の失體にして之を辨解するに容易ならざればなり左れば當局の議員たるものは其責任の重大なることを心に銘して内外に對して全國民の意望を代表し苟も自から輕んずるの擧動ある可らず我輩は開院式の今日に際し前途の希望を陳ずると共に聊か諸氏の注意を祈るものなり