「松方總理大臣の演説」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「松方總理大臣の演説」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

松方總理大臣は昨日衆議院に於て施政の方針に關する演説を爲したりその筆記を一讀するに述ぶる所は一般の大體論に過ぎざるが故に我輩も亦その大體に就て聊か評論せんに先づ第一に

締盟各國との交際 は年を逐ふて親密を加ふる云々とあり是れは隱れもなき事實にして例へば彼の大津事件の如きも若しも十數年以前ならば其成行容易ならざるものありしならんに何事もなく穩に結局したるは近年來我國交際の進歩に歸せざるを得ず此一事は云ふまでもなく我輩も演説者と感を同ふする所なり

條約改正の事 は政府が二十餘年來計畫しつゝある所なりとあれども日本の條約改正は既に舊幕府の時代より着手したるものにて必ずしも明治政府の發明にあらず左れば二十餘年來とは今の政府と爲りてよりの歴史を云ひたるものならん歟、其邊は兎も角もとして政府は國家の權利と利uとを重んじ百難を排除しても必ず宿望を遂ぐる覺悟云々とあり條約を改正するに國家の權利と利uとを重んずるは勿論なれ共扨その百難を排除すると云ふ其難は何れの處に在りと認めたるか前年の失敗は何れも難に撞着したるが爲め外ならざれども我輩の見る所にては其難は先づ政府部内に發して外より應じたるものなるが如し演説に謂ゆる百難とは内を指すか外を指すか我輩は難の所在を聞かんと欲するものなり

演説者は更に一歩を進めて國運の進歩は中途にて停滞又は退縮す可らず近時貿易の伸張運輸交通の發達と海陸軍備の擴張とに由り國の獨立を保つものは皆この針路に向て進行を競ふが故に我國も各國と競爭塲裡に馳驅する以上は國力の許す限り國防と國家經濟とを目的とし其最も急なるものを撰み決行せざる可らずとて扨國防の點に就ては海陸軍備の忽にす可らざるを説き兵器船艦の製造に最も必要の材料たる鋼鐡は海外の輸入を仰かざる可らざるのみならず一旦事あるときは輸入の途忽ち絶ゆるの恐れあるが故に新たに

製鋼所 を創立するの議を決したりと云へり製鐵の利害に就ては從來我輩の述べたる所少なからざれども一旦事あるときは輸入の途全く絶ゆるとの立言は今日の事實に於て果して之を許すことを得べきや否や各國の事例を見るに國内に鐡を産せずして今の競爭世界に立國し然かも立派に獨立の體面を保つもの少なからず有事の日云々の言は製鋼所創立の理由と爲すに足らざるなり畢竟するに此問題は海外より輸入すると國内にて製造すると經濟上孰れか得失なるやの一事なれども我國の現状に於て國内に製造して果して利uある可きや否やに付ては尚ほ疑なきを得ず次に

鐡道の法案 は計畫既に定まりて不日議會に提出す可しと云へり即ち鐡道買上の議なる可し全國の鐡道を國有と爲し或は民有と爲すの理論は兎も角もとして我輩は目下我國の理財上より鐡道買上の必要を認め今日この必要に迫らしめたる既往の失策をば姑く不問に附し無uの論を論ぜずして快く此案に同意する者なり然れども前の演説中に運輸交通の發達云々とあり即ち鐡道擴張の如きも固より其一案として見る可きものなれども今の世界各國にて運輸交通の發達と云へば重きを海外航海の事業に置かざるを得ず當局者が獨り國内の鐡道にのみ注意して毫も航海の事に着目せざりしは我輩の遺憾に堪へざる所なり

治水 の大事業は固より其一地方の力に堪ふ可きに非ず殊に維新以來注意の足らざりしより往々非常の水害を致したるもの多し今中央政府にて堤防修築の經費を揄チして全國一般の計畫を定むるは必要の事なる可し

監獄費 の從來地方費支拂なりしを以後國庫の負擔に移したるは至當の處置にして我輩に於ても異議あるなし如何となれば演説者の言の如く地方の財源は其地方の生産力を發達する爲めに使用せしむるの必要あるのみならず一國の罪人に要する監獄費は元來國庫の負擔にして公平を得べきものなればなり

最後に演説者は進歩の事業を施行するには常に財政の如何を顧みざる可らず政府從來の事業は十中の半さへ斷行するに至らずして遺憾に思ひしが幸に二三年來殊に本年度に於ては經費の節減に依り歳計に餘裕を生じ始めて必要の事業費に使用することを得たりと云へり此言に從へば政府の經費を節減して進歩の事業を決行せんとするは當局者年來の希望なれども部内の情實これを許さずして遺憾に堪へざりしに本年度は議會の議決に依りて經費の節減を致し始めて必要の事業に使用するを得たるは當局者も滿足する所なりとて議會に向て謝意を表したるものゝごとし演説の體を得たりと云ふ可し