「警察官の佩刀に就て」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「警察官の佩刀に就て」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

一言せんに元来我國の警察は歐洲諸國の都市に行はるゝポリースの仕組を輸入したるものなるが彼國の語にてポリースとは都府市邑の安寧秩序を保護する世話人とも云ふ可き意味のものにして警部なり巡査なり其職を勤むるものは善く此意味を了解し苟めにも官邊の威を藉りて細民を叱咤恐嚇するなどの事あるなし左れば其身に佩ぶる所のものも至て無造作にして英國などにては一尺計りの棒を革筒に入れ之を腰邊に着くるに過ぎず又佛國の如きは短き銃劍を佩ぶるのみ其他の各國何れも大同小異にして要するに巡査の腰の物は其目的他を撃つに非ずして自衛の爲めに外ならず如何なる塲合にも容易に之を振廻す等の事なきが故に一般の世人も之を一種の飾物として看過するのみ然かのみならず彼國のポリースが安寧秩序保護の世話人として注意の行届き人民に對して深切なるは東洋人の目には驚く可き程にして例へば歩行不自由の老弱又は不具者などが車馬徃來の劇しき大道を横切らんとするときは其處に居合せたる巡査がワザワザ通行の車馬を停め自からてを曳き又は肩に〓らせて向側に連れ行き又は尋ぬる人ありて町名番地などを問ふものあれば丁寧親切に説き示して尚ほ分らざるときは自から三四丁も同行して是れより何々の方角にして何軒目の家なりなど事明細に教えて立去るを常とす曾て或る他國人が倫敦の大通を通行の際、便所の見當らざるに當惑し止むを得ず出逢ひたる巡査に問ひしに定めの塲所は是れより餘程の距離なれば夫迄怺ゆるは定めて難儀ならんとて側なる横丁の隅に導き用を達せしめたりと云ふ誠に些細の事なれども其〓〓の邊にまで注意の届きて而も臨機の機轉に乏しからざるは能く其職掌の意味を了解し法律規則を守りながら之に拘泥せざるの美風を見る可し

我國の警察も近時大に改良したれ共安寧秩序保護の意味は未だ十分に貫徹せざるものか兎角法律規則に拘泥して親切の注意に乏きの憾なきに非ず殊に其佩刀の如き長さは騎兵が馬より下りて歩行するかと疑はるゝ計りにして而も中身は日本刀を仕込たるものなりと云ふ無智の細民は一見先づ恐怖の情を催ほして殆んど近づく可らざるの威光あるが如し蓋し佩刀の事は曾て事の必要より起りたることならんと雖も今日までの經驗にては却て之が爲めに間違を生じたるの事實も亦少なからず彼の大津事件の如き又近頃岐阜縣下にて警部が車夫を傷けたるが如き又先年長崎にて支那の水兵が亂暴の際同縣の巡査が彼を殺傷したりとて一時の紛議を生じたるが如き何れも佩刀より起りたる出來事にして世人の記臆に存する所なり平時に於ては單に警察官の威光を示すの具たるのみならず實際に斯る間違を免れざるものなれば我輩は今日に當り斷然佩刀廢止の説を主張するものなり或は之を廢するときは非常の塲合に不便なる可しとの説もあらんなれども決して差支ある可らず即ち三府五港は勿論、縣廳所在の土地又は一市邑を爲せる處にては佩刀に代ゆるに護身の短棒を携へしめ山間僻邑の地か或は博徒強盗などの出沒する恐れある塲合又は地方に限り警察署長の見込にて臨時佩刀せしむることゝなさば實際に差支はなかる可し然りと雖も今日の通弊なる動もすれば官邊の威光を輝かすの風は佩刀と共に脱し難きものなれば之を廢すると同時に眞にポリースたるの職分を體し規則を守りながら之に拘泥せず人民に對するに丁寧親切の美風を奬勵せんこと是れ又當局者に望む所なり

序ながら一言すべきは近來世間に行はるゝ仕込杖の始末にして隨分これが爲めに間違を生じたる塲合も少なからず之を携帶するは護身の爲めなりとの辧解もある可しと雖も亂暴の壮士輩又は盗賊などが之を携ふるときは兇器に異ならずして危險云ふ可らず彼の短銃の如きは同じく護身用のものなれども之を賣売し又は所持するには夫々の手續があり即ち萬一の誤用を取締る所以なれば仕込杖も之と同樣に取締の法なかる可らず警察官の佩刀を廢するからには一方の人民にも佩刀同樣なる仕込杖を禁し又その取締法を設るも至當の順序なる可し