「政黨と新聞紙」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「政黨と新聞紙」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

新聞紙は人間社會に起る重要なる出來事を漏さず紙面に記載して廣く公衆に報道するを以て本務となすものにして之を讀む者は坐して天下の事情を知悉すること恰も身を天外に置て下界に降臨し以て千差萬別の状況を詳にするものに異ならず實に是れ近代文明の一大利器にして苟も之を讀まざる者は文明の民に非ずと云ふも過言に非ざる可し然れども其利の大なるものは其害も亦大なること事物の常數にして新聞紙の如きも若しも其報ずる所事實を誤りて讀者を惑亂する樣のことありては容易ならざる弊害を來す可ければ世の新聞事業に從事するものは深く爰に注意して日々の出來事を報ずるに當り事實を有りの儘に記して隠蔽庇曲することなきは勿論、其事實に就き意見を吐露して世の注意を惹起こさんとするときにも務めて百般の偏僻を脱却し我心を虚にして公平不偏の議論を立つることを専一とせざる可らず然るに人の性質として何事にか心の偏せざる者は甚だ稀にして例へば學者は理論に偏し政治家は政論に偏し商人は利uに偏するが如く多少の偏僻は誰れにても殆んど免かる可からざることなれば新聞紙の記事論説をして都て正確公平ならしむるは甚だ容易ならざることゝ知る可し殊に近來は世間に漸く政黨の流行を催ほして政府も自から一方に特色を現はし各派の爭次第に劇しさを加へんとするの徴あるに就ては新聞紙も大抵皆陰に陽に各自の關係ある處に屬して其機關とならざるはなく眞實に無所屬の獨立新聞紙とては其數僅かに指を屈するに足らざるが如し元來政黨なるものは其官たり民たるを問はず政治上の主義を同ふしたる人々の集合團體にして其黨派の結合を固くして相離れざる所以は唯一定の主義を中心にして之に集るのみ人に與みするに非ず主義に與みするのみのことなれば苟も我意見が政黨の主義に一致するときは之に加入し一致せざるときは之を脱するのみ其去就の如何は甚だ自由にして毫も他より束縛せらるゝことある可らずとは世間普通の議論なれども事の實際に於ては大に然らざるものありて一度政黨に加入するときは茲に一種の情實を生じ終始自黨の爲めに力を盡して其隆盛を謀り之が方便としては或は人に公言すべからざる掛引の運動を爲すことさへもなきに非ず例へば我本心に於ては黨議に感服せざることあれども先づ差控へて異論を云はざるは勿論、時宜に依りては故らに我本心に反對の説を唱へて自黨の爲めに盡すの必要を見ることもある可し政黨員の魂膽決して 容易ならず其進退運動は世人の思ふが如く無味淡泊なるものに非ざるなり蓋し政黨も他の團體に異ならずして之を組織する人々が皆一同に其繁昌を祈り之が爲めには身心を抛つの覺悟なければ到底永續すべきものに非ず即ち國民に愛國心ありて國の立行くと同じく政黨員にも亦愛黨心ありてこそ始めて政黨の隆盛を見ることなれば政黨員が始終自黨の利害に心を注ぎて専ら之に忠義を盡すは即ちこれ自身保存の大理に基きたるものにして若しも黨員が各自獨立の意見を持して自黨を思ふの情冷淡なることもあらんには黨派の衰滅は期して待つべきなり左れば我輩は固より政黨員が己の黨派の爲めに心身を犠牲にすることを咎むるものには非ざれども茲に甚だ掛念に堪へざる所のものは政黨の機關たる新聞紙が我黨派を辧護稱揚せんとするの熱心に乗して其記事論説の校正を失ふことなき乎の一事なり our country, right or wrong(善にも惡にも我國の爲め)とは愛國者の金言なり政黨員も亦これに傚ふて our party, right or wrong(善にも惡にも我黨の爲め)なる金言を守り我黨派の所爲とあれば其何たるを問はず之を賛成し之を辧護するを以て其職分となす者少なからず今此流の愛黨者が新聞記者となりて時事を論ずるに當り其議論果して公平なるを得べきや否やと問はゞ故らに之に答へざるも讀者の心に了知する所ある可し論説の偏僻は尚ほ之を恕す可しとするも性質の劇しき黨派新聞味方新聞に至ては實際に分り切つたる事を報道するにも婉曲に筆を運らして事實を掩ひ以て他を害して自から利せんとするものあり否な婉曲の筆なくして不文拙劣を極めて却て馬脚を露はして人に笑はるゝものさへなきに非ず斯る淺ましき記事にても或は一時その政派の爲めに利することもあらんなれども社會の出來事を記して公衆に報道するを以て自から任する新聞紙としては殆んど價なきものと云はざるを得ず左れば世人が新聞紙の記事に依ョして時情を詳にせんとするには其購讀すべき新聞紙を撰定するに當り大に注意を要することゝ知る可し都て人は己の意見に附合したる説を聞くことを樂むものにして假令ひ虚僞とは知りながらも尚ほ我思ふ所に適し我欲する所に叶ひたることを聞て“快し”とするは誰れも免れ難き人生の弱點にして良藥口に苦し中元耳に逆ふの古語も畢竟するに是等の事實を表はしたる者に外ならず彼の朝野雙方に屬する政黨新聞の偏僻甚だしくして自黨を庇保せんと欲するの餘り遂に事實報道の義務を忽せにするが如きものは誰れ人も見るを屑しとせざる筈なれども其身既に政黨の中に蒸されて政熱に浮かさるゝときは之を見て無上の愉快を覺え如何なる論説もいよいよ讀むに從ていよいよ面白く心中の偏僻はu々搨キして遂には人事物論の理非を辧ぜざる政狂人を現出するに至るもの多し政黨新聞の弊亦大なりと謂ふ可し左れば新聞紙を以て一種の幇間と爲し我意に適するを見て樂しむ者はいざ知らず苟も其記事論説に依ョして世間の事情を詳にせんと欲する者は成る丈け一黨派に偏せざる獨立の新聞紙を撰ぶこと肝要なる可し斯く云へばとて我輩は世間の政黨新聞は盡く讀むに足らずと云ふに非ず又政黨に屬せざる新聞紙の記事論説は皆必ず正確なりと云ふにも非ず唯これを平均したる所にて政黨の機關たるものは無所屬の獨立新聞紙に比して偏見に陥るの弊なきを得ずと云ふまでのことなれば讀者幸に微意を誤る勿れ