「輸出税廢止の利害」
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時事新報に掲載された「輸出税廢止の利害」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
近來世間に輸出税全廢の説を唱ふるものあり全廢とは諸種の輸出品に課する總ての税を廢するの意味ならんなれども今日我輸出品中にて第一位を占むるものは生絲にして其税額も多く隨て利害の關係する所大なるが故に先づ取敢へず生絲の一事に就て鄙見を陳べんに我輩は何れの點よりするも論者の説に感服せざるものなり第一外交の政略上より觀察するに現行の條約は我國權の爲め又國利の爲めに早晩改正せざる可らず此一義は何人も感を同ふする所にして種々の議論あれども扨實際の談と爲れば決して容易ならず抑も現行の條約は甚だ不完全のものなれども兎にも角にも年來の成行より今日の態を成したるものなれば其利害の關係は獨り我國の一方のみならずして彼の諸外國人に於ても同樣ならざるを得ず如何となれば本來の道理は兎も角もとして多年既得の利uを失ふは人情の欲せざる所なればなり左れば法權なり税權なり我に得る所のもの大なるときは隨て彼に損する所も大ならざるを得ず此種の相談は今の人情世界に最も困難なるものにして斯る塲合には我に於ても幾分か讓る所あるの覺悟なかる可らず即ち輸出税の如きは今後の條約改正上に屈強の利器にして他日雙方讓合ひの塲合に大に利用す可き所のものなるに今日格段の必要もなくして漫然これを廢し其利器を無にするが如きは得策と云ふ可らず或は外人は我輸出税に對して利害を感ずるものに非ず現に今日に至るまで彼等が其廢止を云々せざるを見ても之を知る可しとの説もあれども我輩の所見は然らず例へば今の輸出税を五分のものと假定し更に之を引上げて一割又は二割と爲すこともあらば如何なる可きやと云ふに彼等は必ず肯んぜざることならん即ち高きを肯んぜざるは卑きを希ふものにして卑きを希ふの情を推せば結局その全廢を望むに外ならず故に今日に當りて空しく此利器を廢するは經世家たる者の決して取らざる所なり次に生絲の輸出税を廢する其結果は如何と云ふに生絲の税率は百斤(即ち和斤にて一斤は百六十匁なり)に付き一分銀七十五個の定めにして之を紙幣にて算すれば百斤即ち十六貫目にて凡そ二十四圓餘の割合なり即ち税を廢すれば我生絲の價は百斤に付き二十四圓餘を減ずるものにして其減じたる丈は我商賣人の利uと爲るが如くなれども實際に於ては必ずしも然らざるが如し凡そ商賣上に競爭の行はるゝは自然の勢にして生絲の商賣に於ても亦然るものあれば製絲家なり仲買なり問屋なり何れも競爭の爲めに利を専らにすること能はずして詰り其利uの歸する所は眉を製造する養蠶家即ち桑田の持主に在りと云はざるを得ず其結果にして單に養蠶家の保護に止まるものとすれば國家經濟の點よりして桑田の租税を免除し又は資本金の貸與を爲す等尚ほ其他にも保護の手段はある可し必ずしも輸出税を廢するの手數に及ばざることならん如何となれは元來廢止論者の目的も此に存せざるものなればなり又生絲の價を減じたるが爲めに貿易上に如何なる影響ある可きやと云ふに我輩は豪も其利uを認めざるものなり元來生絲の輸出は價の如何に關せざるものにして現に毎年何萬斤の算出あるも忽ち海外に捌けて毫も販路に苦しまざるに非ずや今日の急務は絲の價を減ずるよりも寧ろ品質を精良にするに在りとは當業者の輿論にして苟も海外貿易の事情に通ずる者の異議なき所なり左れば輸出税の廢止は我商人一般の利uと爲らざるのみならず其販路を擴むるに就ても寸效なきものと知る可し而して更に其廢止の結果を考ふるときは外國の機業家を利すると同時に内國の機業家を損せしめ隨て年々揄チしつゝある我絹物の輸出を妨げて遂には全く廢滅せしめざるを得ず今日輸出税あるが爲めに彼の機業家は我生絲を買ふに百斤に付き二十四圓の餘計を拂ひ之に反して内國の機屋は二十四圓丈け安く買ふの姿にして百斤の價を六百圓とすれば百圓に付き四圓を生じ其差は恰も内國機業の保護と爲りて絹物輸出の發達を致したるものなり今最近の統計表に由りて其發達の有樣を見るに
絹物輸出原價(但ハンカチーフも参入す)
明治十九年 七八三、五七四圓、三〇錢
同 二十年 一、四八一、〇〇五、〇三
同二十一年 一、六九〇、〇二〇、〇四
同二十二年 二、九一三、六七九、〇八
同二十三年 三、八六七、〇五五、五九
同二十四年 四、〇二〇、〇〇三、一九
(二十四年は一月より十月まで十箇月間の勘定なり)
にして漸次揄チの勢を呈し本年の如きは十箇月間に四百萬圓の輸出ありて今後大に望を囑す可きなれども若しも生絲の輸出税を廢して間接の保護を止むるときは我絹物は忽ち海外機業家の爲めに壓倒されて輸出の道全く絶ゆるは勿論、殊に輸出品中にてもハンカチーフの如き其額中々少なからず而して其裁縫は彼のマツチの箱の製造と均しく婦女子の手内職に最も適當の仕事にして之が爲めに露命を繋ぐ所の細民も夥しき事なれば若しも一旦輸出の道絶ゆるときは是等無數の細民は忽ち業を失ふて路頭に迷はざるを得ず憐む可きの至りならずや之を要するに輸出税の廢止は我商人に毫も利する所なき其上に後來望ある絹物製造の發達を害するものにして何れの點より見るも我輩の贊成すること能はざる所なり以上は全く生絲に就て立論したるのみ製茶海産物其他の輸出税に關しては自から説あれども之を他日に讓る