「再び輸出税廢止の利害に就て」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「再び輸出税廢止の利害に就て」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

生絲の輸出税を廢する利害に就て我輩の意見は前號に其大體を述べたれば讀者は既に了解せられたる事ならんと信ずれども世の所謂輸出税廢止論者の中には往々不通の説を爲し紙上の空論を以て實業社會の實利を妨げんとするの憂なきに非ざれば爰に再び筆を勞して聊か其輩に警むる所なきを得ず凡そ物の利害を論ずるは其物の實際に就き利u弊害を加除して餘る所の利を示すこそ肝要なれ唯漠然たる一般の理論に據りて事の實際を判斷するは書生流の議論にして愉快は即ち愉快なれども我輩の毫も感服せざる所なり論者が輸出税全廢の題目の下にあらゆる輸出税を一網に打盡さんとするが如きは畢竟書生の空論たるを免れざるものなれども夫は兎も角もとして生絲の輸出税を廢するの説に至りては如何なる必要を今日に認めて斯る窮策を行はんと熱心するものなるや殆んど解す可らず論者の言に輸出税は内國に於ける物産の發達を抑壓して外國貿易の進歩を妨碍するものなりと云ふ一般の理論に於ては或は然らんと雖も今日我生絲の塲合は決して然るを得ず最近の調査を見るに明治十九年來我蠶絲類の輸出元價總計は左の如し

明治十九年 二〇、三〇〇、四〇八圓、五二錢

同 二十年 二一、九二〇、九〇一、五七

同二十一年 二八、七八三、八〇〇、七四

同二十二年 二九、二五〇、〇五二、七八

同二十三年 一六、七三七、四二一、九四

同廿四年(一月より十月まで十箇月間) 二三、八三四、三七一、五三

右の如く年々揄チの實を示したれども元來生絲の輸出は海外の市塲に於ける需用供給の大勢に支配さるゝものにして單に一國内の事情を以て之を左右す可きに非ず今日の實際に於ては輸出は次第に揄チするのみにて年々何百萬斤の算出あるも忽ち海外に捌けて毫も販路の難澁を感ずることなし即ち世界の需用は恰も我供給を優待するものなれば税の有無は決して輸出上に影響するものに非ず左れば今日需用供給の大勢に於ては生絲に税を課すればとて其發達を妨ぐるに非ず又これを廢すればとて特に其輸出を促すに非ず何れにしても痛痒なきものなれば論者が之を廢せんとするには何か他に理由なきを得ず或は税の廢止は生産者をuす可しとの説あれども生産者をuするとは甚だ單純の説にして之を以て廢税の理由と爲すは我輩の感服せざる所なり若しも目下の有樣にして生絲の産出者は非常の困難を感じ之が爲めに輸出の景氣も振はずして國内一同難儀の實情もあらんには此説の如きも或は通用す可しと雖も實際は全く然らずして全國の養蠶者なり製絲家なり又輸出商なり特に税の爲めに難澁して渡世に苦しむ者あるを聞かず偶ま生絲商人等の失敗する者なきにあらざれども其失敗は僅々たる税の有無に由るに非ずして隨時商况の然らしむる所なり左れば今日の有樣のまゝにして養蠶者以下に特に難澁するものなしとすれば輸出税を廢したればとて之が爲めに特に品物の産出を奬勵するにも足らず又輸出を揄チす可きにもあらざれば廢税の理由薄弱なりと云ふ可し然るに論者が其説を主張するに當り以上の空理を喋々するのみにして我機業家の利害即ち絹物輸出の一事を度外に置くに至りてはu々その無責任に驚かざるを得ず前號にも記載したる如く絹物の輸出は近年次第に其額を揩オて前途ますます多望なる其最中に頓に生絲の輸出税を廢するときは我機業家は海外諸国の競爭に壓されて輸出の道を絶に至るは〓の最も睹易き所にして即ち全國の織物工塲を始めとして其筋に生活する幾多の職工婦女子は忽ち業を失ふて路頭に迷はざるを得ず論者は極めて單純なる理論を土臺として内國機業家のふりを蒙るは大事の前の小事にして心に關するに足らずと輕々に斷言し去れども今や輸出税を廢するも實際我國に利する所なき其利uを想像して之が爲めに今正に發達せんとしつゝある所の絹物の輸出を殘害せんとするは利害の大小を顛倒したるものにて大事の前の小事とは自から反對の塲合を證言するものゝ如し又論者の説に生絲輸出税の廢止を以て内國の機業に害あるものとすればなぜに石炭の輸出税廢止は内國の工業家を害せざるや云々との言あれども今日我國の工業中石炭を使用し外國の同業と競爭を試みんとして其見込あるものを聞かず石炭を要すること最も多き工業は先づ製鐵の業なれども今の日本には彼と匹敵す可き製鐵工場あるを聞かず或は航海業の如きは石炭を使用すと雖も現今の有樣にて外國船との競爭ならば思ひも寄らざる所なり畢竟論者が生絲と石炭とを比較して論じたるは内外競爭の事實を忘れたるものにしてu々實際の利害に迂なるを表白するに過ぎず要するに廢税論者の説は一般の理論と漠然たる統計とを本としたるものにて彼の輸出税全廢同盟會と稱するものより廢したる主意書を見るも其一班を知るに足る可し我輩は他日閑を得て實業の利害の爲めに其主意書に就て評論する所ある可し