「議員の信用」
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時事新報に掲載された「議員の信用」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
今の國會議員が事ごとに政府の處置に反對する其有樣を見れば恰も現政府の信用を損せし
め其機に乘じて自から取て代るの下心なるが如し其心掛けは敢て非難す可らざるのみなら
ず寧ろ殊勝なるものにして苟も政治家たるものゝ覺悟は斯くの如くならざる可らずと雖も
他の信用を損せしむるは即ち自家の信用を得るの手段たるを忘る可らず蓋し政治家が其地
位を得んとするには先づ世間一般の信用を得ること肝要にして其信用を得るの手段として
は他の信用を損せしむるも亦自から一法なれども既に自家に於て十分の信用あるに非ざれ
ば他を損するの手段も亦無效ならざるを得ず例へば茲に二人の商賣競爭者あらんに一方の
爲めに謀れば己れの品物を賣廣めん爲めには種々の言を設けて他の品物の不廉なることを
揚言し其信用を損せしむるも自から一法なれども商賣は世間を相手にするものにて商人同
士雙方の關係のみに非ざれば愈々全勝を収めんとするには他の信用を損せしむるに先ち自
から其品物を選み又その價をも廉にして十分に一般の信用を博するの覺悟なかる可らず若
しも然らざるに於ては他の信用を損すると共に自家の信用をも損して遂に共倒れと爲るか
或は他を傷くる能はずして却て自から倒れざるを得ず智者の事と云ふ可らざるなり議員の
擧動を見るに只管政府に反對し新奇の事業は一切委任する能はずとて其豫算を削除し些末
の事にても苟も政府の落度と見ゆるものは之を棒大にして事々しく質問を試み彼の震災に
關する臨時支出さへも金額には異議なきも其手續に故障ありとて故らに怪智を付るが如き
其信用を損せしむるの手段に於ては寸分も拔目なきが如くなれども扨顧みて自家の信用を
博するの一段に至れば全く反對にして其注意の粗なるに驚かざるを得ず地租輕減並に地價
修正の如きは今の議員の熱心に主張する所にして其言ふ所を聞けば農家の負擔を減じ民力
を休養する云々とて專ら民間の歡心を買はんとするの積りならんなれども苟も經國の大計
上より見れば此説の取るに足らざるは何人も承認する所にして假令ひ衆議院の多數が之を
議决するも其實行は到底望みなかる可し果して然るときは其歡心を買はんとするの口實も
永く人望を繋ぐ能はずして却て信用を損するの結果なきを得ず方略の安全なるものと云ふ
可らず是れは注意の足らざる一例に過ぎざれども議員の多數が自から其信用を損して顧み
ざるの擧動は更に驚く可きものあるを見る可し元來一般の世人が議員に望む所のものは政
府に反對して樂まんとするにも非ず政黨を經營して爭はんとするにも非ず唯商賣社會の安
寧を妨げずして人々その堵に安んじて農商工の別なく之が爲めに潤澤して世の不景氣を挽
回せんとするに在るのみ即ち議員の信用も此邊より生ずることなれども從來の例に徴すれ
ば其擧動は啻に商界の安寧に注意せざるのみか寧ろu々その不景氣を促さんとするの跡な
きに非ず前期の議塲に於て郵船會社及び鐵道會社の補助金を廢せんと試み本年の豫算會議
にも亦同樣の議を發したるが如きは即ち其適例にして我輩は殆んど其意を解するに苦しむ
ものなり盖し其精~に於ては強ち商安を害するの惡意あるに非ず矢張り政府攻撃の一手段
なりと自から認るならんと雖も補助金の廢止は單に政府と會社とを苦しむるに止まらずし
て之が爲めに幾百千人の株主に迷惑を掛け延いて一般の不景氣を引起す其影響は非常のも
のにして結局その責は議員に歸せざるを得ず此邊の意味をも玩味せずして容易ならぬ言を
容易に發する如き次第にては到底一般の信用を得ることは難かる可し聞く所に據れば今度
政府より提出したる鐵道買上の議案に就ても議員中には反對の意見を抱くもの少なからざ
るよし其案に現はれたる理由と箇條とに就ては隨分議論の點もある可し我輩に於ても聊か
説なきに非ざれども今日の實際に於て鐵道の始末は經濟上軍事上何れの點より見るも其儘
に捨置く可らざるものにして若しも政府より提出せざるしならば民間の輿論は必ず議會を
促して其始末を議せしめたることならん即ち目下の急に當りて何れなりとも其始末を付け
ざるに於ては鐵道の株券を抵當に金を出したる全國公私立の銀行等は順次に破産して之が
爲めに一般の大不景氣を來たし商賣社會の慘状をますます甚だしきに至らしむ可きは誠に
睹易き所にして既に各地の商工は過般以來續々請願書を議院に呈し又下流の勞働社會の者
までも大に之を憂ひ若しも議會に於て鐵道買上の事を否决せば我々共は全く仕事を失ふて
餓死せざるを得ず坐して餓死するよりは寧ろ云々す可しとの意味にて議員に書を與へたる
よし其眞僞は知る可らずと雖も以て一般の人氣を推知するに足る可し左れば議員たる者は
今日に當り早く心事を一轉して民の實利uを保護するの工風こそ肝要なれ議員自身の利害
の爲めに大切なる事なり全體を云へば政府に於て未だ案を提出せざるに先ち議會より早く
鐵道買上の議を决し政府に向て注意を促し暗に其緩慢を責むるなどは人氣を取るの手段と
して最も妙なりしなれども今日の處は唯速に政府の意を賛成して其功を分ち以て自家の信
用を固くするの一法あるのみ既に世間の信用をさへ得れば他の不信用を云々して其機關に
乘するが如き左まで難事にあらざる可し我輩は議會に向て其前後緩急の分別あらんことを
勸告する者なり