「金 錢 談」
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時事新報に掲載された「金 錢 談」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
春花秋月おのおの歳時の物に感じて之を思ふは人情の常なり左れば歳末月迫の今日は人情何物に感ずるやと尋るに必ず錢ならんと我輩の竊に信する所なり富貴圓滿の大人達はイザ知らず苟も商賣を營み家事を治むる人人にして歳末に錢の事を思はざる者はなき其中にも十中の八九は自から自家の富有に滿足せずして年首以來の心事齟齬したるを歎息する者こそ多かる可し盖し人生の慾は限りなきものにして前途の所望常に過分なるが故に假令ひ年中の渡世に多少の幸を得ても尚ほ足るを知らずして多多ますます多きを求めて止まざればなり况んや其以下の不幸者失敗者に於てをや歳末の勘定は不愉快の種子にして俗に云ふ勘定合ふて錢の足らざる浮世なればますます錢を思はざるを得ず既に之を思へば又これを求るの方法も種種無量なる可きなれども進んで取るは退て守るに如かず進取の妙案を得るまでは先づ以て勤儉貯蓄こそ專一なれと我輩の敢て勸告する所なり一年三百六十日物に觸れ事に當れば些少の金〓愛しむの足らずとて容易に之を消費したれども〓歳末窮迫の時に至りて浮きに費したる些少の金錢あらば其〓〓は如何なる可きや年中の後悔一時に發するも更に其甲斐ある可らざれば我輩は敢て既徃を咎めずして唯將來を警め明治二十五年の一月一日より心事を一轉して貯蓄に志し來年の歳末は必ず今年今月の後悔なきやうにと呉呉も世人の注意を促す者なり
世人は幸に我輩の勸告を容れて貯蓄に志したりとせんか然る上は其貯蓄法に就ても亦一言せざるを得ず今の貯蓄と云へば專ら郵便貯金の法に依頼するの風なれども是れは貯蓄法の利なるものと云ふ可らざるが如し同貯金の利足は年四分二厘にして其預けたる月と引出す月とは無利足なる上に一度に五十圓以上の預金は叶はず一人にて五百圓以上は許されずなど樣樣の規則ありて隨分嚴重なることなれども民間の金滿家又は銀行等に依頼するときは必ず五分以上の利足を日割に拂ふて面倒なる手數もなし其損得は誠に明白なる可し或は金滿家は其内實の事情を知るに由なし銀行も甚だ危險なりとの説ありて實際それに相違なきものも少なからずと雖も畢竟詮索の不行屆なるのみ數多の富豪銀行の中には大丈夫なるものも亦甚だ多し、少しく注意すれば慥に五分以上の利足を得べきに之に依らずして一筋に郵便貯金に集り僅に四分二厘の低利に甘んずるとは貯蓄家にあるまじき事なり其一例を示さんに凡そ今の日本國中に資産の最も厚く取引の最も正くして如何なる事情にも動搖せざるものは三菱社なる可し然るに此三菱社の銀行(第百十九國立銀行)が頃日特に廣告したる其預り金の利割を見るに定期預は年利五分五厘、當座預は三分六厘五毛と定め尚ほ其上にも特別當座預の法を設けて一口の取引高五圓以上、一人よりの預り高二千圓を限り何時にても引出す可き當座預りの金に定期同樣五分五厘の利足を渡す可しと記したり此割合を郵便貯金に比すれば一年一分三厘の相違にして去年の十二月二十六日郵便局に五十圓を預けたる者は今年今月今日の二圓十錢の利足を授けられ三菱銀行に預けたる者は二圓七十五錢を請取る尚ほ其上にも十二月二十六日とあれば驛遞局の規則にて預けたる月と引出す月とは無利足なるが故に日數は一ケ年にても利足は一月より十一月までの勘定を以て十一ケ月分一圓九十二錢五厘に■(にすい+「咸」)ぜらる可し雙方の損得明白なれば苟も貯蓄に志す人は銀行の性質を吟味し三菱銀行の如きものを撰んで之に依頼するこそ得策なれ唯同行は各地に支店少なきが故に東京大坂以外の人には不便もあらんなれども三菱同樣に信用の厚き三井銀行には國中に支店も多し尚ほ其外に信ず可き銀行もあり富豪も多くして實際の商賣社會には資金の用法に苦しまざるのみか利足も隨分低くからざるよしなれば貯蓄の金を預りて迷惑する者はなかる可し是等の邊より考れば目下整理公債證書を所有して五分の利子を利するよりも其價格の未だ下落せざるに先だち之を百圓に賣却して預け金と爲し年年安んじて五分五厘の利足を請取る中に早晩必ず公債下落の時節到來す可ければ其時に再び買入るるも可なり兎に角に素人筋の經濟法は郵便貯金にも依頼せず五分利の公債證書をも所有せず貯蓄の金は大銀行大富豪の確實なるものを求めて悉皆これに預け置く方萬全の得策なる可し金談殺風景なりと雖も歳末の節物として一言を試るものなり