「日本の絹織物」
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時事新報に掲載された「日本の絹織物」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
絹織物は我國特有の技術にして世界各國に其美を誇るに足るのみならず後來ますます奬勵
保護して其産出額を揩キときは一廉の輸出品と爲りて國の財源を助くるの望なきに非ず抑
も其特有品たる次第を述べんに我國人が美術の觀念に富み之を百般の技術に應用するは外
國人などの企て及ぶ所に非ずして我絹織物の意匠に一種模倣す可らざる高尚優美の趣ある
は自から特殊の長技として疑ふものある可らず殊に其意匠を凝らすに就て注意す可きは
時々の流行にして凡そ世間の嗜好は隨時變轉して六十年目に一回するものなりと云へば
代々の流行を調べ更に新奇の意匠を案じて世の嗜好に投ずるは意匠家の最も苦心する所に
して我國には~社佛閣若しくは富貴の舊家等に古代の織物を藏するもの多く參考の料に乏
しからずと云ふ是れ又日本に特有の便利と云はざるを得ず又織物に用ゆる絲の染方は極め
て微妙のものにして色に由りて絲の質を撰むこと肝要なるよし例へば信州の絲は何色に適
し奥州の絲は何色に宜しきなどの別あることにして我國にては多年來此法に從ひて絲を染
めたるものなれども佛國にて此邊に心付きたるは僅に數年前の事なりと云ふ又染具の如き
も其種類凡そ三千以上ありて我國の織物には即ち三千以上の色別あれども佛國の如きは其
種類二千餘に過ぎずと云ふ右の如く絹織物は我國特有の長技にして天然と云ひ人事と云ひ
共に他國の企て及ばざる所のものあり彼の佛國のゴブラン織と名くる絹織物は稱して世界
第一と爲す所にして近來は徃々我國にも輸入して非常に高價のものなれども現に西京なる
川嶋甚兵衛氏の織塲にて製する同種の織物の如きは近來ますます精妙を極め其製品を見る
に彼のゴブラン織に優るも劣らざるものあり同家は租先來數代の間西陣の織物に從事し有
名の織家なるが當代の主人甚兵衛氏は殊に其改良に熱心し先年歐洲諸國の織塲を巡歴して
得る所少なからず其ゴブラン織に比す可き綴錦と唱ふる織物の如きも其改良中の一にして
其他固有の織物に至りて遙に外國品に優り却て彼をして模倣せしめたるものも少なからず
曾て某高貴の邸宅を新築せられたる折、其窓掛にとて態々獨逸より織物を取寄せられ氏に
一見せしめたるに豈に圖らんや其織物は川嶋の織物を彼國にて模造したるものなりしとの
事にて皇居御造營の節は壁に帖用する模樣織物並に窓掛緞帳の類は過半御用を命ぜられた
りと云ふ以て我國の絹織物の精妙進歩尋常ならざるを知る可し右は川嶋氏一家に就ての例
なれども更に日本全國の上より見ればu々これを奬勵保護するの必要を見る可し前にも述
べたる如く絹織物は日本特有の美術として精妙を見る其上に我國は生絲の産出國にて絲質
の如きは如何やうのものを要するも其撰みに差支なきのみならず高尚なる織物の製造は多
く手先を要するものなるが故に日本人には恰も適當の仕事にて其製造盛なるに至れば之が
爲めに糊口の道を得るもの多きを致すものにして多々ますます妙なりと云はざるを得ず或
は日本は元來製造國に非ずして生産國なれば唯生絲の輸出を務む可きのみ織物の如きは問
ふに足らずとの説もなきに非ず我輩とても固より年々産出する幾萬梱幾百萬斤の生絲を擧
て悉皆織物に供せんとするの熱論を爲すものに非ず唯我織物業發達の度に隨ひ其幾分を國
内に使用せんとするものにして國情の許す限りに於て其奬勵保護を主張するのみ例へば彼
の鐵の如き其儘にて他に輸出するときは單に鐵の價に過ぎざれ共之に細工を施して鎖と爲
し時計の機と爲し又は諸種の器械と爲すときは其價は原質の百倍千倍の多きにも至るか如
し今我生絲の幾分にても之に細工を加へ織物と爲して輸出するときは幾倍の價を揩キもの
にして即ち國の富に其幾倍の價を加ふるものなり我輩が今日絹織物の奬勵保護を主張する
は此一點に外ならざるのみ