「不老不死の法」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「不老不死の法」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

不老不死の法

 神丹を煉り仙術を脩して長壽延命を求るの法は既に陳腐に屬し近世又長壽法を云ふ者多

しと雖も其歸着する所は普通の養生論に過ぎず然るに此程或る英字新聞に記したる不老不

死の新案は如何にも耳新らしき奇説にして或は實際に行はる可き望なきに非ず新年目出度

き今日これを意譯して以て社説に代ふ

近來外科醫術の非常に進歩したるは世人の能く知る所にして殊に彼のオートプラスチイと

て身體の一部の損傷したるとき他より健康なる皮肉を持來りて之を繕ふの術に至ては其精

巧實に人を驚かすものあり例へば火傷にて顔の糜爛したるときなどは本人若しば他人の手

足より少しづゝ皮を切取りて之を傷部に植付け以て皮膚の癒合を速ならしむることを得べ

し頭に毛なき者は禿げたる部分の皮を除き去り年若くして髪濃き人の頭の皮を取來て其跡

に張り付け以て禿頭に黒髪を生ぜしむるの方あり眼を毀損したるときは猫又は兎の眼球を

取て傷きたる眼と入れ替へ其代用をなさしむることあり其他鼻、瞼、唇、耳等の欠けたる

を補ふは至て容易きことにして今日の醫術に於て毫も珍しとせざる所なり又此類の手術は

單に身體の外部に就て行ふのみならず其内部の込入りたる機關の損傷したるものをも治療

して實効を奏す可し余が親しく知る所にて或る外科醫は盲の破れたる患者を治療するに羊

の膓の一片を取り來りて之を繕ひ以て萬死を救ひたることあり扨此オートプラスチイ術の

斯の如く著き進歩を爲したるに就き余は之を利用して一の長壽法を實施すること難からず

と信ずる者なり抑も人の死するや身體の諸機關都て同時に破損して其官能を止むるが故に

は非ずして必ず其中の一機關が次第に衰弱して活動せざるより遂に全身を殺すことなり肺

臓も心臓も胃も膓も無事健康にてありながら僅に肝臓の故障の爲めに可惜諸機關の完全な

るものをして肝臓と共に運命を與にせしめ其死を傍觀して救濟の法なしとは元來醫術の事

に非ず左れば今體内の或る機關が衰弱を始めたりと思ふときは速に之を取り除き他動物の

健康なる機關を取り來て之に代らしむることゝ爲さば身體の諸機關は常に新鮮強壯にして

人間社會に病死者の跡を絶つ可し例へば老人の胃の腑の働次第に衰へて食慾減ずることも

あらんには速に醫師に托して其胃を除き去り羊か豚の胃と入れ替へて之を新にす可し然る

ときは忽ち大に食慾を增し消化力を強くすること必定にして隨て身體の各部皆勢力を回復

して恰も全身の生れ替りたるが如く白髪の老翁も紅顔の少年に變して愉快に歳月を消する

其間にも又もや他の機關に損所を生すれば颯々と之を除き去りて新物と交換すること家の

内の造作を新にするに異ならず誠に易きことなり但し其新陳交換の事を行ふに外科手術を

施すは家の造作に職人の手を要するが如く止むを得ざる次第なれども是れとても唯一時氣

分を惡くする位のことにして左までの苦痛に非ず且今後外科醫學の進歩するに隨て手術よ

り生ずる危險は著しく減少す可きこと明なれば此點に就ての心配は都て無用なりと知る可

し若しも此方法にして實際に行はるゝに至らば人間の壽命は幾千萬歳まで延ぶ可きや計り

知る可からず所謂不老不死の神術とは即ち此法の如きものを指して謂ふことなる可し唯

こゝに聊か不都合なる廉を云へば此神術に依て千萬歳に延命したる其人の身體の各部を吟

味するに生來我れに屬したるものとては一物もなく眼は猫、肺は驢馬、胃は豚、肝臓は羊

にして鼻と頭髪とは即ち舊友の賜なりと云ふが如き有樣にして父子相見ても精神こそ依然

たる舊時の精神にして曾て變することなきも身體は幾回か入替はりて誠に縁遠く父不父子

不子の奇觀もある可しと雖も是式の不都合は不老不死の大利益に易へ難し吾々は只管外科

醫術の進歩して此新陳交換の延命法を實地に行はんことを冀望し又その行はる可き時節の

到來するも必ず遠からざるを信して疑はざるものなり