「恩威と愛嬌」
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時事新報に掲載された「恩威と愛嬌」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
恩威と愛嬌
專制政治と立憲政治とは根底より精神を異にして兩々相比較して論す可きに非ずと雖も其
政府が人民を待遇するの實際を見るに一方は恩威を以て之に臨み一方は愛嬌を以て之に接
するの區別あるを見る可し我輩の毎度述べたる如く人生に重んず可き榮譽、生命、財産の
三者中に就き榮譽は至重、苟も傷く可らざるものなるに專制の政治に於ては特に之を重ん
ずるの精神なきが如し抑も恩威を以て民に臨むとは恩惠以て之を懷け威嚴以て之を嚇すの
手段にして其人を懷くるは事に害なきが如くなれ共唯他の肉體の慾を滿足せしむるのみに
して其精神を慰むるものに非ざれば之を喩へば犬馬に食物を投與して之を馴すが如し人に
對しては失敬なりと云はざるを得ず况んや威を以て嚇すに於てをや固より人類相對するの
事に非ず同等の人を人として見ざるの談にこそあれば專制政府の下に於ては人民の榮譽は
殆んど皆無と云ふも可なり之に反して立憲政府の局に當る者は恩威を施さんとするも其餘
地なきが故に唯勉む可きは愛嬌の一義のみ愛嬌の文字或は俗なるに似たれども之を譯すれ
ば敬の意味に解す可し人の私權を重んじ人の智德を尊び長者に下だり少者を愛し衣冠爵祿
の虚威を張て傲然自から居るが如き愚を爲さずして勉めて人氣を取り人望を博するが即ち
愛嬌の事にして立憲政治の間に運動せんとする者は此愛嬌の一義を棄てゝ他に由る可き道
あるを見ず專制政治は人の榮譽を輕蔑し立憲政治は之を尊敬するものと解釋して其區別分
明なる可し
前言果して事實に相違なしとすれば明治政府年來の政略は我輩の意を得ざるもの甚だ多し
立憲政治は維新當初よりの精神にして殊に明治十四年には愈々九年の後に國會の開設を約
束したることなれば政府の政略は萬事專制時代の弊習を一掃して新政體に入るの道を開く
の用意こそ肝要なる可きに實際には竊に恩威の舊手段を利用して立憲政治の運動に最も大
切なる愛嬌とては露一點もなかりしこそ遺憾なれ彼の爵位の制を設け新華族を製造して人
間の階級を區別し文明の新社會に陳腐なる舊態を演したるが如き或は政府の邊に縁故の近
きものは不言の間に圖らざる恩典に浴し其縁の遠きものは些末の事にも不便を感ずるのみ
か甚しきは意外の事に苦しめられたるが如き多くは十四年後に見たる事實にして何れも恩
威手段の濫用に外ならず專制時代の慣行に慣れたる當局者の心に於ては毫も怪しまざるこ
とならんなれども年來國會の開設を希望し其希望漸く成就して今正に新政體の新光を眺め
つゝある一方の人民に取りては恰も他に辱められたるの心地して感情を害すること甚しか
らざるを得ず官民雙方の意向相齟齬すること既に斯くの如くにして曾て世の識者の竊に忠
告したる調和の説を容れず端なく國會の議塲に相見たることなれば其間に撞着を免れざる
は固より自然の成行にして毫も怪しむに足らざる所なり彼の民黨の議員輩が政府を攻撃す
るに頻りに過去の失策を數へて以て其不信用を聲言するが如きは死兒の齢を算すると同樣
にして笑ふに堪へたる擧動なれども虚心平氣に人間社會の大勢を案じて眼中に議員その人
を見ず又其人の智愚を問はず假に帝國議會なるものを以て天下人心の方向を卜し其感情を
表する一種の器械として其成跡を檢査するときは今日の撞着を致したる其原因は政府年來
の政略宜しきを得ざりしが爲めなりとの事實を發見す可し此點より見れば目下議員の議論
こそ無理にして實際に不適當なれども斯る無理なる空論を今日に出現せしめたるものは政
府なり、議員の論勢醉えるが如しと雖も多年の間これに飮ましめたるものは政府なりと云
はざるを得ず政府に於ても必ず辯解の辭はなかる可し
然りと雖も政體全く一變して既に立憲政治の境に入りたる今日に於ては年來の事情行掛り
は之を過去の事として官民共に一夢に付せざる可らず左れば今回政府が衆議院を解散する
に立至りたる其事情は兎も角も現在の事實としては我輩は其至當を認むるものなれ共既に
之を解散したる以上は更に政府に向て政略の一新を望まざるを得ず即ち一新とは政略を確
定して政治上に於ては一歩も讓らざるの覺悟を决すると同時に從來の恩威手段を全く一掃
して立憲政治家風の愛嬌を心掛くること是れなり今回の解散に就ては政府は非常の奮發を
以て各大臣が親から各地方に遊説し大に政府黨の勢力を張るの計畫ありとの説あれども若
しも從來の心得を改めず單に恩威の手段を以て一世を籠絡せんとするが如きあらば假令ひ
何程に奮發するも唯ますます人に嫌はるゝのみにして寧ろ政府の勢力を損するの結果こそ
ある可きなれば愈々决心したるならば全く是迄の筆法を改め社會交際上には十分に政治家
の愛嬌を振蒔き以て世上の人氣を取ることを專一とし唯政略上に於て一歩も讓らざるの覺
悟こそ肝要ならんのみ