「自から候補者たる可し」
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時事新報に掲載された「自から候補者たる可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
自から候補者たる可し
今回衆議院の解散に就ては各大臣も非常の奮發にて或は自から各地方に遊説して大に政府
の氣焔を張るの决心なりと云ふ其决心たる誠に善し我輩は年來の行掛よりして今日の事あ
る可きを豫想したるが故に國會開設の前に先ち屡ば忠言を呈して從來の恩威手段を改め自
から爵位を辭すると同時に超然主義など唱ふる優長の風は一切思ひ止まり專ら世間の人氣
を取るの注意第一なることを勸告したりき其言當時に容れられざりしと雖も今日に至りて
は當局者も自から思ひ當る所ある可し即ち今回の决心は時勢の必要に促されたるものなり
とは云へ一方より見れば幾分か從來の非を悟りたるものにして自から天下の人心に訴へん
とする其心掛は殊勝なりと云ふ可し我輩に於ても賛成する所なれども其决心を實際に現は
すの手段に至りては更に當局者の顧慮を願はざるを得ず抑も各大臣が自から出張して各地
方に遊説するは其政略の當否を輿論に問ひ多數の賛成を求むるの决心に外ならず即ち從來
の超然主義を止め自から政論塲裡に雌雄を爭ふものにして其决心は甚だ佳なりと雖も天下
多數の賛成を求めんとするには自から進んで天下の人と事を共にするの覺悟こそ肝要なれ
一身を高きに置き例の恩威の手段を以て人を驅使せんとするが如きこともあらば少しく心
あるものは益々これを厭ふて近づかず假令多數を制することあるも其多數は頼むに足らざ
るものなる可し元來國會の議塲に兎角過激の議論多きは政府の苦しむ所にして今回の斷行
も之が爲めに外ならず我輩も其苦心を察するものなれども其過激論の多きは何の爲めなり
やと云ふに敎育に乏しき壯年の論客多くして老成博識の人物少なければなり議員は一國議
政の大任を負ふものにして其議論の公平着實なる可きは勿論なれども其公平着實は論にあ
らずして人に在り我國會に壯年の論客多くして老成の人物少なきは自から其原因ある可し
從來政府の當局者は國會開設の眼前に在るにも拘はらず獨り自から高く留りて人を視るこ
と甚だ卑く殊に超然主義など稱して恰も一世を輕蔑したるの擧動なれば學者有識の士人は
申す迄もなく老成着實の人々は何れも之を厭ふて近つくことを好まざるのみならず既に政
府の當局者が超然として對等の相手と認めざる國會などに出身するは恰も彼等の下風に立
つと同樣の姿なりとて人民の方より却て政府に對して超然主義を守りたる向きもある程の
次第なるが故に國會開設の曉に得意と爲りて飛出でたるは彼の壯年の論客輩に過ぎざりし
ことなり左れば議塲に過激の議論多きは固より其處にして本はと云へば政府の當局者が自
から高ふして一世の人を輕蔑したる其結果なりと云はざるを得ず故に今回いよいよ决心し
て大に爭はんとするには單に超然主義を思ひ止まるのみならず第一に其爵位を辭し自から
議員の候補者として議塲に立つの覺悟もなかる可らず斯くまでに决心して天下に訴へ賛成
を求るときは其誠意の在る所明白にして着實老成の人物中にも必ず所見を同ふして事を共
にする者もある可し徒に决心したるとのみにて其所行は從來に異ならず自から高に居て獨
り自得し陳腐なる政府の威光を以て人を驅使せんとするが如き未練もあらば假令ひ其决心
は盛にしても有識の士人は益す益す之を厭ふて助くるものなく决心の盛なれば盛なるほど
多々益々世の人氣を損するのみにして折角の巡回演説も實際に寸效なかる可しと我輩の敢
て忠告する所なり