「民黨の戰略甚だ拙し」
このページについて
時事新報に掲載された「民黨の戰略甚だ拙し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
民黨の戰略甚だ拙し
昨年の議塲に於ける所謂民黨の戰略を見るに甚だ拙きものゝ如し敵と戰ふには自から死地
に陷るも敵をして死地に陥らしむる勿れとは兵家の常に戒しむる所にして殊に人氣の向背
を孤注とする政治上の爭に於ては其然るを見る可し然るに民黨の擧動は恰も政府を死地に
陥らしめたるものにして其反動を招きたるは固より當然なりと云はざるを得ず彼の岐阜愛
知の震災に關する臨時支出の事件及び其補助費追加案の如き監獄費國庫支出案の如き又彼
の鐵道買収案の如きは最も民間の人氣に關係あるものなるが故に其理由手續は兎も角も直
に議决するのみか大に之を賛成して先づ世間の人望を収め豫算案その他の政府案に向て實
際に切込む可きものあれば遠慮なく之に切込んで攻撃の鋒を鋭くするときは政府に於ても
容易に解散の口實を得る能はず或は強いて之を斷行せんとするも世の物議を恐れて顧慮の
念なきを得ず左れば假令ひ解散に遇ふも民黨は自から頼む所ありて他日の再撰擧に土を巻
て重來するの望も十分なる可きに不幸にして其戰略此に出でず恰も四面より短兵急に政府
を取圍み一時に攻落さんとして敵を死地に陥らしめ其反動を招きたるのみならず政府をし
て世間の人氣に乘じ解散の斷行を容易ならしめたるは策の最も拙なきものと云ふ可し或は
曰地租輕減地價修正の二事は國民年來の希望にして民黨が議會に於て政府案に反對したる
は此二事を行はんとするが爲めに外ならず故に此二事は民黨の利器にして將來の望十分な
りとの説を爲すものあり一時、勢を粧ふの口實なれば兎も角もなれ共若しも民黨の人々に
して果して本氣に斯る空望を抱くものならんには我輩は益々其策の拙なきに驚かざるを得
ず抑も我國の地租は殆んど千百年來歴史上の習慣を成して今日に至るまで絶へて苦情のな
きのみならず國家唯一の財源として他に掛替えのなきものなれば多年國民の富實增殖して
國の財政に十分の餘裕を見るに至れば兎も角も實際の結果如何を問はず單に民力休養など
云ふ漠然たる口實を以て之を動さんとするは决して許さゞる所なり地價修正の如も亦これ
と同樣にして其口實とする所は甚だ公平なるが如くなれども實際に於ては到底行ふ可らざ
るのみか無理に行ふて却て斯民休養の目的に反するの實を見る可し例へば封建の時代に中
小の諸藩は田畑の課税極めて重きに反し天領と唱へて全國の各地に散在したる幕府直轄の
領地は課税の輕きこと藩領の比に非ず而して其百姓の有樣如何を問へば天領の藩領に異な
る所は唯少數の大地主を見るのみにして小百姓の生活に至りては天領も私領も雙方共に相
違なきのみならず貧民の數は寧ろ前者に多きが如し即ち重税は直接に政府を利し薄税は間
接に大地主を利するの相違あるのみにして小前の百姓に至りては毫も其餘澤に霑はざるも
のと知る可し今全國の地價を平均するときは塲所に由りては多少減少を見るものもある可
しと雖も之が爲めに民力休養の目的をば達すること能はずして歳月を經る間に其修正の利
を利するものは唯大地主ある可きのみ左なきだに前年の地租改正以來殊に近年の不景氣に
際して漸く田畑合併の勢を增し富有の輩が次第次第に大地主たらんとする其矢先きに地價
を修正して田畑所有の利益を厚からしめなば合併の勢はますます盛にして却てますます小
民の不幸を釀すに足る可し左れば民力休養云々とは全く民黨の口實に過ずして毫も其實な
きものなれば久からずして自から破綻を露はす可きのみか假令ひ或は一時の狂熱に乘じて
衆議院の多數を制し之を議决することあるも貴族院は流石に國家長老の府にして經世の思
想に富める人物こそ多數なれば斯る輕卒なる議案を通過せしめざるは我輩の萬々保證する
所なり果して然るときは民黨は進んで其説を實にすること能はず退いては人民に其破綻を
見現はされ進退ますます窮せざるを得ず即ち我輩が其拙策を斷言する所以なり左なきだに
今の國會は全國商工業の利害を蔑視し單に農民に私するものなりとて國會に非ずして農會
なりとの評さへあり商工社會に對しては非常に不人望なる其上に唯一の利器と頼む所の地
租輕減地價修正も行はれずして農民社會の人望を失ふときは全く國中一般の人より見離さ
るゝものにして茲（玄＋玄）に至れば政府攻撃の種も皆無に屬せざるを得ず左れば民黨の
人々にして今回の再撰擧に多數を占め愈々大擧して大に爭ふの戰略ならんには心事を一轉
して前非を改め地租云々地價云々を口にすることなく更に恰當なる反對の利器を用意する
の覺悟こそ肝要なれ若しも然らずして依然民力休養の陳腐説を守り之を本據として敵に當
らんとするの不心得もあらば再三再四失敗して遂に再び起つの機なきに至らんこと我輩の
敢て豫言して忠告する所なり