「衆議院議員の撰擧」
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本文
衆議院議員の撰擧
客冬衆議院の解散に就ては各地方共に内々再撰擧の用意に忙しき折柄今回いよいよ撰擧の
期日を公布されたれば候補者の人々は公然撰擧塲に打出でゝ競爭に從事することならん抑
も我國の國會に兎角過激の議論多きは過般解散の一事を見ても知る可きなれども扨その過
激の議論あるは何の爲めなりやと云ふに畢竟議員中に士族流の論客多ければなり從來日本
の政治社會は士族の一流にて持切り百姓町人は絶えて與らざるの習慣にして王政維新後に
至りても此習慣は毫も改まる所なし維新の改革は四民同等の旨にして一切萬事その方向に
進む可き筈なるに政治の關係は舊に異ならずして政府樞要の地位に在る者は申す迄もなく
大小の官吏一切士族の流ならざるはなく隨て官尊民卑の弊風を生じたる其官尊民卑とは即
ち士尊民卑の事にして當初の精神は何れの處に存するや知る可らず又一方の民間に於ては
年來民權の議論盛にして其論の主義を聞けば人民の權理を伸張し政府の專權を抑へんとす
るものなりとて主義に於ては間然する所なけれども扨其論を唱ふる人々は如何なる種類の
ものなりやと問へば即ち又士族の一流にして或は純粹の士族ならざるも其精神は全く士流
の敎育に化せられて士化したるものに外ならず然るに古來此士族流の人々は政治の思想に
富んで能く政を談し又能く政を爲すと雖も經濟上の數理に至ては頗る迂濶にして利害の在
る所を知らず天下の經濟は扨置き甚だしきは一身一家の始末にさへ苦しむ程の次第にして
畢生の目的は唯一身の榮譽に在るのみ自から主治者の地位に當りて下民を治め衣冠文物以
て虚威を張ることを得れば即ち宿昔青雲の志を達したりと稱して他志なきものなれば今そ
の遺流を酌む所の國會議員等が天下の大政に參與するを以て自分の立身と心得既に宿昔の
志を達したる上は時の政府に反對するこそ身の重きを示すの方便なれとて國家の大利害を
ば第二にして唯漠然たる空論に熱し其極、遂に解散の變を來たしたるは自然の結果として
今更怪しむに足らず其人の罪にあらず祖先來青雲病の遺傳に發したるものとして視る可き
のみ左れば此解散こそ不幸の幸なれ全國經濟社會の人々は此度の撰擧を機會として自から
奮發し議塲を一新するの覺悟肝要なる可し聞く所に據れば再撰擧に就ては政府も民黨も共
に多數を制せんとて大に運動するの决心なるよし政治上の爭に於ては左もある可き筈なれ
ども今日の成行にては假令ひ政府方が多數を制するも又は民黨が多數を制するも何れにし
ても其多數が數理に迂濶なる人物にして前議會の如くならんには議塲は矢張り激論空論の
府たるを免かれず或は民黨が取て代はることあるも第二の虚榮政府を出現して官尊民卑の
風は依然たる可ければ我輩は全國の人民が斯る政治上の爭に取合はず眞に全國の利害を代
表する獨立の士人を撰出し日本國會の眞面目を現はさんことを希望するものなり