「日本に破壞黨なし」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「日本に破壞黨なし」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

日本に破壞黨なし

近來御用新聞の記事又は政府黨と稱せらるゝ輩の言論中徃々今の民間の政論者に對して破

壞黨の語を用ゆるものあり破壞黨とは如何なる意味なるや我輩の了解に苦しむ所なれども

從來我國の新聞紙などには歐洲諸國に出歿する無政黨又は露國の虚無黨の事を記するに破

壞黨の名を以てすることもあれば或は今の民黨を以て無政黨虚無黨に比するの意味にても

あらんか果して然らば我輩は其語の不倫を咎め其輩の不心得を責めざるを得ず抑も彼の無

政黨虚無黨の類は非常極端の過激論を主張し其眼中には國家もなく社會もなく君主もなく

政府もなく又宗教もなく今日に行はるゝ一切萬事を破壞せんとするものなれば今の社會の

組織上より見れば獨り政府の政敵たるに止まらずして一般の公敵と云はざるを得ず或は極

端の語を用ゆれば天地に容れざる惡魔外道と云ふも差支なかる可し我國の所謂民黨を見る

に近來は其所論頗る過激に走りて前期の議會の擧動の如きは我輩の固より感服せざる所な

れども其これに感服せざるは擧動の如何に在るのみ其目的に至りては政治の改良を謀る者

なりと認めざるを得ず唯この輩の缺典を云へば敎育上の知見小なくして事を急ぎ、十年に

して始めて成る可き政治の秩序を一朝に製作せんとして意の如くならざれば則ち怒り其憤

怒の餘りに前後を分別せずして益々拙劣を呈するに在るのみ故に昨年來の擧動に徹して其

手段の不穩なるを咎むるは固より至當の評論にして其人々に於ても辨解の辭なかる可しと

雖も之を目するに破壞黨を以てするに至りては不倫の最も甚しきものにして抑も事理を解

せざるものと云ふ可し元來西洋諸國の破壞黨は種々不祥の原因事情より發生したるものに

て斯る極端主義の行はるゝは國家の事業と云ふ可らず幸に我國に於ては古來今に至るまで

不祥なる極端主義の發生を見ず時として過激の議論を唱ふる者なきに非ざれども單に功名

青雲の熱心より生ずる一時の〓〔ルビ・こう〕論のみ、愛國利民の大義に至りては議論の

緩急に拘はらず全國上下共に精神を一にして只管改良進歩を〓る其事實は寧ろ世界各國に

對して誇る可きも〓〓るに事を解せざる輩が漫に不祥の語を用ゐて斯る目出たき事實を汚

さんとするは堪へ難き次第にこそあれ若しも我國の事情に不案内なる外國人などが之を眞

に受けて日本國會議員の多數は破壞黨なりなど傳ふることもあらば假令ひ一塲の誤解にし

ても國の不面目は此上ある可らず且又事の實際に就て論するも今の民黨と云へば先づ以て

改進黨自由黨の流にして首領には自から長老の人物あり其今日に於ける政治上の工風如何

は姑く擱き本心の所在を問へば决して國家の不幸を祈る者に非ず又その根本を害せんとす

る者に非ざるは内外人の共に認むる所なり然るに今民黨を目するに破壞の名を以てするは

首領たる長老は破壞の張本にして國家の不幸を悦ぶ者なりと云ふに異ならず人を評するこ

と酷にして假令ひ法律に問ふ可らざるも其實は人を侮辱したるものと云ふ可し左れば過日

自由黨より發したる宣言書の中に不穩の語ありとて御味方流の一類は頻りに之を駁し甚だ

しきは政府の一部分にも内閣を侮辱したるものなりとして告發に及ぶ可しなど風聞するも

のあり宣言書の語氣も随分荒くして詰り血氣の筆鋒に過ぎざれども之を目して他を侮辱し

たるものとすれば御味方流が漫に破壞黨の語を用ひたるも亦侮辱なる可し畢竟五分五分の

爭なれば我輩は斯る無益の爭論を以て政治上に波瀾を生ずるを好まず他の不穩を咎めて自

から不穩の説を作すは咎に倣ふ者と云ふ可きのみ