「官海何ぞ不活溌なる」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「官海何ぞ不活溌なる」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

官海何ぞ不活溌なる

官吏の一類が政府部内に蟄居して世間を知らず自から尊大に構へて政治社會を意の如くな

らしめんと欲するも無理なる所望にして到底實際に行はる可きことに非ずとは毎度我輩の

痛論する所なれども今日に至るまで尚ほ其邊に心付く者少なきこそ遺憾なれ殊に官吏の中

にても上流の貴顯と稱する輩に至りては蟄居も亦甚だしく其徃來交際する所のものは同僚

にあらざれば先づ同郷の人のみにして曾て廣く世間に交りを求るの道を知らず平生の慣行

都て此風なるが故に遇ま要用の爲めに人に面會し人の家を訪はんとすることあるも世間の

耳目に觸るゝを恐れて種々樣々に外面を裝ひ忍び忍びに相逢ふ其有樣は何か人に語る可ら

ざる私事にても犯すの状に異ならず其相逢ふの事情斯くも秘密なるが故に世間にては特に

之に注目して苟も少しく名ある人物が互に訪問し互に相逢ふと云へば恰も少しく名ある人

物が互に訪問し互に相逢ふと云へば恰も社會の一事件のやうに心得て色々の説を附會し傳

へ又傳へて遂に大間違を生ずることもなきに非ず當人の身の爲めには不自由にして浮世の

爲めには流言の種を蒔くものと云ふ可し蓋し昔年專制の政府には法律の明ならざる時代に

は徃々嫌疑を以て罪に陥りたる者も少なからず士人の一擧一動誤りて身を殺したるの實例

さへありしが故に苟も自から明にせんとする者は交際の方向を愼み兎に角に危きを避るこ

と專一なりしかども文明の進歩と共に是等の用心は無用の沙汰に屬して法律に反せざる限

りは誰れが誰れに逢ふも之を咎る者とてはある可らず然るに今の雲上の貴顯輩が小乾坤の

内に籠城して世間の交際を恐るゝこと私事密通の罪を恐るゝが如くするは專制時代の殘夢

に眠りて文明の自由を解せざる者と云ふ可し我輩が政府の人に向て身を輕くせよと勸告す

るも即ち此邊の意味なり

或は彼の貴顯輩は自家の門に出入する者多きを見て得意を催し千差萬別の世態は出入の者

より聞て詳ならざるはなし吾れこそ坐して天下の形勢を知る者なりと安心するの意味もあ

る可しと雖も其事情を喩へて云へば日用の萬物を出入の商人より買ふて世の中の相塲を知

らざる者の如し其物價に政當なるもの少なきは推し知らざる者の如し其物價に正當なるも

の少なきは推して知る可し徒に人事迂濶の名を成す可きのみ尚ほ甚だしきは此輩が兎角外

面を裝ふて拙者は餘り新聞紙を見ずと云ふ者あり其これを見ずとは如何なる意味か、新聞

の記事論説などは見るに足らずと高く構へて自家と卓見識を示す積りにでもあらんか殆ん

ど解す可らざる事共なり昔日なればこそ新聞紙も不用なりしならんなれども今は則ち民論

の世の中にして新聞紙數行の文字は以て天下の人心を動かすことなきに非ずむかしは貴顯

の一言以て國の公の爲め人の私の爲めに大利害を左右したることありと雖も立憲政體は恩

威手段の舊筆法を許さずして今は則ち貴顯の力と新聞紙の力と將さに漸く新陳交代せんと

する其時に當りて拙者は新聞紙を見ずなどゝは假令ひ虚飾の一法にもせよ其心事の時勢に

後れたるは推して知る可し

序ながら爰に一言す可きは世間に傳へ云ふ黒幕老政治家の事なり此流の長老も自から政府

部内の人物にして畢生の心事は唯政治の一方に在ることなれども今日其身を政府部内に置

くは何か時節を待つの深意なる可し一應尤ももやうに聞ゆれども其時節とは如何なる時節

なるや我輩の見る所にては明治政府に情實を除き去りて政權の根本を固くし此完全無缺な

る權力の屬する此椅子を捧げて君に呈せんと云ふが如き好時節は迚も到來することなきを

保證する者なり如何となれば情實とは絶對特性のものに非ず維新の功臣等が相互に銘々の

地位を維持せんとする其相互の間に生じたる一種の感情にして長老も亦是れ其中の人なれ

ば其人の存在する限りは情實の去る可き道理あらざればなり左れば長老輩も能く此處に着

意し到底その生涯に圓滿の時節到來なしと覺悟を定め機會の有無を問はずして速に出身す

るこそ策に得たるものなれ此流の人は單に高く留るのみならず深く隱れてますます其高さ

を增さんとする者の如くなれども人事忙しき今の時勢に其高く又深き間に遂に世間に忘れ

られて俗に云ふ證文出し後れの奇談なきを期す可らず人生幾許ぞ長老も漸く老するに非ず

や眞實發心遁世の决斷なくんば更に斷じて出身す可きものなり