「震災地方民の難澁」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「震災地方民の難澁」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

に就ては毎度時事新報紙上に其事實を記して朝野の注意を促し政府に於ては前後二度の勅令を發して救濟費を支出し昨今は堤防の普請最中にして道路橋梁等も差向き往來の叶ふやうにとて夫れ夫れ工事に着手し又農民等の農具を失ふて耕作に差支る者へは之を授けて業に就かしむるの道も立ち、加ふるに大震後日日の震動も近來は次第に緩にして終日無震の日もあるよしなれば民心は次第に鎭靜することならん唯堤防の安心不安心は當年の春夏より秋に掛けて暴雨出水の試驗を經て之を决す可きのみ兎に角に今日の處は政府に於ても會計の許す限りに力を盡したることなれば最早地方民に不滿足はある可らざる筈なれども災後の日子を經るに從ひいよいよ事實を詳にしていよいよ困難苦痛を覺ゆるこそ氣の毒なれ之を喩へば大怪我したる者を治療するに當り之を一見して先づ貴重の部分に手を着け脈管を結ひ創口を縫ひなどして漸く手術を終らんとするに至り能く能く各部を■(てへん+「檢」の右側)査すれば手も足も疵だらけにして捨置く可らざるのみか之を等閑に附すれば局部に腐敗を釀して遂には禍を全體に及ぼすの掛念あるものに異ならず今その一例を擧けんに岐阜愛知一面の震災中火に罹りたるは岐阜大垣竹鼻等の市町にして其燒失の災は實に容易ならず尋常一樣の失火類燒なれば假令ひ急火にても荷物の取片付に多少の猶豫あらざるはなし火元の家にても大概貴重の品は手に携へても遁る可し况して火元に遠き類燒の家に於ては疊建具までも持出すの常なるに之に反して震災の火事には人をさへ燒殺すほどの次第にて固より荷物などに手の及ぶ可きに非ず千戸の燒失は取りも直さず千戸の火元にして震動〓〓の最中誰れ一人として之を救ふ者なく如何なる財寶貴重品も看す看す火中の烟に化して痕なく幸に一命を全ふして遁れたる者は紛れもなく朝まだきの一衣のみ且當日の火は一種の猛威を逞ふして殆んど人の想像にも及ばざるものあり例へば大垣に在る本願寺別院の火〓は隨分重大なるものにてありしが一震の下に鐘樓を〓し本堂と共に炎上して其跡を見れば大鐘は既に鎔〓して形を殘さず又各商店にて金城に鐵壁と頼み居たる〓の〓〓も同樣の有樣にして流石鐵なるが故に鎔解はせざれども火力に犯されて全く形を失なひ内に藏めある紙幣も證文も公債證書も灰燼に變じて影を存するものなかりしと云ふ思ふに尋常の火事は先づ建家を燒て後に家中の物に火力を及ぼすことなれども地震の火事は家先づ倒れて後に火を發するが故に斯くも火勢の烈しかりし譯ならん

右の次第にて震災地方中の火に罹りたる者は多くは商工の種族なれども工業の者は唯手足あるのみにして手に執る可き道具を失ひ商人等は商賣を營まんとして雙露盤もなし秤も升もなし日用の帳箱硯箱さへ失ひ盡したるのみならず第一に眠食の家もなくして筵の小屋の内に雨露を避け居る仕合なれば假令ひ荷主より商品を貸す者あるも店を張て之を賣るの方便を得ず或は年來家道豊にして他に金を貸したる者もなきにあらず其貸金さへ返濟せしむれば自から家業再興も叶ふ可き筈なれども震災地方に借用金返濟の力ある者とては一人もある可らず恰も一地方は貸借なしの姿にして平等一樣の赤貧と云ふも可なり就ては右の火災地に難澁する人民は敢て政府に向て商工仕入の資本金を求るに非ず唯渡世取付の元手として差向きの急に板小屋にても作りて之に眠食し手に職業の覺えある者は一通りの道具を買ひ商人等は小屋の店頭を張り又は商品を納め置く爲めの納屋にても作る丈けの元手を拜借せんとて地方の重立たる人人は過日來出京して頻りに奔走するよし如何にも無理ならぬ救急の要なれば政府に於ても特に詮議する所あらんこと〓〓に堪へず或は震災の事情に冷淡なる人々は右の出京請願の樣子を見聞して地方人が政府の處分の優しきに付込み恰も興に乘して際限なく難題を申出すなど評するものもなきに非ざれども我輩の見る所にて其出願人の中には震災に父母を喪ふて今尚ほ葬式を執行せざる者あり重傷未だ癒えざる妻子を家に遺す者あり斯る愁傷心配にも拘はらずして態態出京するは尋常一樣の事に非ず之を目して興に乘する者と云ふは聊か酷なるが如し彼の世上に流行する分縣合縣の請願、縣廳移轉の請願若しくは地租云云の請願などに比すれば同日の論に非ざる可し我輩は假令ひ愛に溺るるの譏を受るも人情厚き我國民と共に自から禁すること能はざるものなり