「共に往事を忘る可し」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「共に往事を忘る可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

共に往事を忘る可し

今の民黨が政府に反對する其論鋒の向ふ所を見るに多くは過去の失政を咎めて其不信用を

鳴らし之に由りて現在の處置を妨げんとするものゝ如し例へば昨年の議會に提出されたる

鐵道整理海軍擴張を始め諸種の新事業の如き議會の衆論は事業其物に反對するに非ず唯年

來の不始末を喋々して斯る不始末の政府なるが故に新事業を托するの信用なし云々とて恰

も過去の失策を抵當として不信用の罪を今の政府に歸したるものなり我輩の毎度述べたる

如く明治政府年來の失策を擧ぐるときは一々數ふ可らずして不信用の責は免る可らず殊に

今の老政治家中には直接に其責に任ずるものもある可しと雖も是れは既に歴史の一話に遺

るのみにして今更云々するの必要なかる可し若しも然らずして既徃に溯り一々その次第を

尋ねて責の歸する所を求めたらば獨り政府の當局者のみに非ずして或は今の民黨中にも自

から責を分つものある可し政府の失策中に就て非難の最も多きものは財政の始末に外なら

ざれば一例として茲(玄+玄)に其始末を記さんに抑も我國財政の不始末を引起したる其

原因は明治十年西南の戰爭後に政府が國庫の不足を補ふの手段として不換紙幣を濫發した

るの一事に在りと云はざるを得ず不時の戰爭に莫大の金を費したる其不足を補ふの手段は

當局者の務にして非難す可きに非ずと雖も他に種々の手段もある可き中に殊に拙策なる紙

幣の發行に出でたるは思慮の足らざる所にして其結果は忽ち紙幣下落銀貨騰貴の相に現は

れ一國の經濟社會を攪亂せしめたる其責は之を時の當局者の失策に歸せざるを得ず政府は

既に初度の失策を演じたり後の當局者として救濟の任に當るものは大に深重して再度の失

策なからんことを是れ務む可き筈なるに其後の處置を見れば只管銀紙の平衡を目的として

急激の回復策を斷行し一方に於ては利息の割合の下落公債證書の騰貴を見て回復の目的を

達したりとて手を拍て雀躍欣喜の最中に一方に於ては急激手段の爲めに非常の迷惑を蒙り

貧富一夜に地を代へ昨日の富豪は今日の素寒貧に化したるが如き慘状を一般に現はしたる

を再度の失策と爲し強ひて利息の割合を一時に引下げたるが爲めに世間に株券熱を催ほし

て私設鐵道其他諸種の工事會社を勃興せしめ其結果は餘裕なき融通資本を一方に吹収して

市塲の不融通を來したるのみか會社の株主は何れも半途にして株金の拂込に差支へ爲めに

商工業共倒れの慘况を呈して以て昨今の不景氣を釀したり之を第三回の失策とす同じ財政

の始末に就て都合三回の失策を演じたる其失策は明治政府の失策に外ならざれども今民黨

の論鋒に傚ひ一々既往に溯りて其不都合を咎むるときは時の當局者に責を歸するの外なく

して其責は自から民間の中にも及ばざるを得ず且つ又民黨の人々が藩閥政府云々とて他を

攻撃する其筆鋒は舊強藩の士人等が多年政權を執りて爵位青雲の榮譽を專にしたるが故に

之を不條理なりとして攻撃することならんと雖も今の政黨にて首領に推す所の先輩も矢張

り強藩出身の功臣にして年來藩閥政府の中に在りて其政略を共にし其榮譽を共にしたる

人々にこそあれば既往に溯るの攻撃とあれば實は自から攻撃するものと云はざるを得ず左

れば民黨にして愈々右の通りの覺悟ならんには政府の方にても之に對して駁撃の辭に乏し

からざる可し詰り水掛論にして其成行は政治の公論を一身上の爭に化するに過ぎざれば雙

方の爲めに謀りて取らざるのみか我輩は政治上の公德の爲めに斷然此種の私爭を排斥せん

とする者なり思ふに今の政府は明治初年來の政府を受繼ぎたるものに相違なけれども其當

局者は既に幾回の更迭を經て今日は殆んど其地位を一新したるのみならず國會の開設は明

治の政治社會に一段落を畫し恰も專制時代の幕を終りて立憲政治の新舞臺を現出したるも

のなれば其新舞臺に出勤する新役者が既に終りたる前幕の所作を云々して互に相爭ふなど

は决して妙なりと云ふ可らず民黨の人々も政府の當局者も共に徃事を擧て之を一夢に附し

去り國會開設立憲代議の新天地に新趣向を運らすの工風肝要なる可し