「輿論の向背」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「輿論の向背」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

輿論の向背

政治社會に運動するものは在朝と在野とに論なく常に輿論の赴く所を察して其方向を定む

るの肝要なるは今更ら云ふに及ばざることなれども扨その輿論とは如何なるものにして如

何なる邊より發し如何なる方向に動きつゝあるものなるやは政治家の最も注意す可き所な

り單に輿論と云へば國民一般の思想を言論に現はしたるものに外ならざれども實際に於て

其國民の多數は智德の度も低く隨て政治の思想にも乏しき輩のみなれば假令ひ銘々に相應

の意思希望はあるも此衆愚の論を以て一般の輿論と認むるを得ず眞成の輿論は决して衆愚

の思想に發するものに非ざるなり凡そ何れの國にても社會に重きを成すものは智德財産に

も乏しからざる獨立の士人にして此流の人は元來政治のみに關心する者にあらざれば平生

の言論も極めて少なりと雖も自から社會の全面を制して隱然政治の上にも其勢力を及ぼす

可し即ち國の脊髄とも稱す可きものにして一般の輿論なるものも其實は此流の士人より發

し其人の擧動を標準として動くものと知る可し彼の英國などの例を見るに政治社會に於て

は自由黨と云ひ保守黨と云ひ互に政黨を分ち其黨中には名聲高き老政治家もありて互に政

權を爭ふの習慣なれども扨て實際に社會の形勢を左右し輿論を作り出して政府の更迭を促

すは何人の力なりやと云ふにダラツトストーンにも非ずソルスベリーにも非ずして中等社

會に種族に在るは彼國の事情に通ずる者の能く知る所なり所謂中等の種族なるものは智德

財産に乏しからずして社會に重きを成し必ずしも親から政治に關係するに非ざれども國家

と名くる一體を維持する爲めに脊髄の用を爲すものなり左れば單に輿論々々と唱へ衆愚の

論のみを相手にして却て獨立士人の向背を顧みざるは事の本末を誤りたるものにして我輩

の所見を以てすれば我國の政治社會は在朝の人も在野の人も共に此誤を犯したるものと云

はざるを得ず今の政府が國中の人望に乏しきは年來施政上の失策に外ならざれども其失策

中の大なるものは獨立士人の愛を失ふたるの一條にして我輩の常に遺憾とする所なり萬般

の施政都て民意に適す可きに非ず其間に多少の不平ある可きは當然の數にして改良進歩の

政略に止むを得ざる所のものなれば當局者は是等の細事情に關心することなく勇を鼓して

思ふまゝの政策を斷行しながら眼を轉して上流社會を視察し獨立士人の歡心を求めて自然

に同感の情を表せしむるの手段ありしならば政府の不人望も决して今日の如く甚しきに至

らざりしことならんに然るに事の實際に於ては全く其趣を異にし獨り自から政府部内に蟄

居して人に交るの法を知らず天下の廣き卓識の士人もあり富豪の紳商も多しと雖も苟も獨

立の思想ある者は政府に近つくを好まず政府も亦これを度外視して知らざるものゝ如くし

居然自から構へて自得する最中に彼の民權家など自稱する輩が輿論云々として迫り來るこ

とあれば其論の元來何の爲めにして何れの邊より發するやをも究めずして唯その聲を聞き

民論果して然りと信じて眞正面に之を引受け頻りに防禦の法に忙しくするが如きは假令ひ

目下の急に應するが爲め止むを得ざるものとするも固より永久の策に非ず我輩の所見は敵

を防ぐよりも友を求るの策を賛成するものなり又一方の民黨を見るに其誤は全く政府の誤

に異ならず彼の地租輕減地價修正の論の如き斯民休養は一般の輿論なりとて所謂衆愚論に

媚を猷して以て大に一般の愛顧を博せんとするの心算に外ならざれども之が爲めに上流士

人の愛を失ふて自から其勢力を損するを知らざるは抑も亦愚なりと云ふ可し前議會の如き

若しも民黨の議するがまゝに從ひなば政府は輿論の希望に反したる處置を行ふたるものに

して其反動は容易ならざる筈なりしに國會解散して其議の中止したるこそ幸なれ或は聞く

各地方にては今日も尚ほ地租地價の事を論じて爭ふ者あるよし驚入たる次第なれども要す

るに政黨關係の輩が一時の方便計略の爲めに喋々するのみにして一般の人心は甚だ冷淡な

りと云ふ盖し獨立憂國の識者は固より政府年來の處置を悦ばずして遠慮なく之を排撃すれ

ども左ればとて民黨の輕卒粗暴論には决して服するを得ず獨立の論者にして既に動かずと

あれば一般の人心は何を標準として動く可きや世間囂々の物議は顧みるに足らざるなり

前言果して事實に相違なしとすれば眞實の輿論なるものは獨立士人の口に發し其擧動を標

準として動くものなるを解するに難からざる可し昨今撰擧の競爭に際し政府も民黨も必死

と爲りて相戰ひ只管多數を制せんとするの外に餘念なきが如しと雖も假令ひ多數を制した

りとて衆愚の多數は頼むに足らず最後の勝敗は國の脊髄なる獨立士人の向背に在るものと

覺悟して互に其擧動を謹しむ可きものなり