「藩閥と黨閥」
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時事新報に掲載された「藩閥と黨閥」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
藩閥と黨閥
從來世間の政論を聞くに今の政府に藩閥の名を下して之を非難するもの多し抑も明治の政
府は維新以來諸強藩人の一手にて持切りの姿を成し時々の交迭も全く其間に行はるゝのみ
ならず政府中にて苟も勢力あるものは強藩人に限るの成行にして外より之を眺むるときは
恰も政府を專有するものゝ如くにして健羨の情に堪へず殊に政府の内部に多少の情實行は
るゝは何れの時代にも免れざることなれども經驗に乏しき今の政論家の目には是れも藩閥
に伴ふ一種の弊害と見えて時に非難の聲を高めたることなる可し我輩の如きも固より藩閥
の情實を厭ふものにして年來論及したること一にして足らず其熱心は敢て世の政論家に讓
らざる所なれども藩閥の情實は厭ふ可きものとして扨實際に其弊を匡正するの手段は如何
す可きや抑も王政維新の事に與りて力を致したるは薩長を始め所謂強藩の士人にして元來
事の次第を云へば死生の間を犯して大功を奏したるものなれば薩なり長なり又その他の藩
人なり最も勢力あるものが德川の幕府に代りて第二の幕府を打建つるも當時に於ては何人
も異論を容るゝこと能はざりしことなれども天下の大勢これを許さゞりしが爲めか將た其
士人の勢力十分ならざりしが爲めか王政復古云々の名の下に今の所謂藩閥政府を形造りた
るものなり爾來その成蹟を見るに固より非難の點も少なからざれども兎にも角にも一國の
治安を維持して今日に至りたるは其政府の力にして單に此一點より見るときは藩閥政府も
〓〓無功のものに非ず或は其功を認るも年來政府の地位を專有して情實の弊根を部内に蔓
延せしめたる其罪〓〓なり差引して功罪相償ふ可らずとの説もあれども政府部内の情實は
何れの國何れの世にも免れざるの沙汰にして假に明治の初年に藩閥政府の代りに他の種類
の政府を組織したりとするも情實云々の非難は矢張り免れざりしことならん情實は必ずし
も藩閥固有の弊に非ざるなり即ち我輩が藩閥政府を云々するは敢て既徃の〓〓を咎むるに
非ずして唯現今の政治上に其不都合を戒しめて今後の悔悟を促すのみ然るに世の政論家の
言を〓〓ば藩閥政府の情實を治療する唯一の手段は政黨内〓の〓を行ふに在り即ち今の當
局者に代ふるに今夫政黨員を以てするに在りと云ふものゝ如し政黨内閣は我輩に於ても異
議なきのみならず年來主張する所なれども今日の事情に於て果して其實行を見ることを得
べきや否や或は之を實行するも果して情實治療の功を奏す可きや否や甚だ覺束なく思ふ所
なり其次第を如何と云ふに今の政黨の起原を尋るに矢張り明治政府と同じく藩閥情實の關
係より生じたるものにして現に其間に情實の行はるゝを見る可し彼の自由黨と云ひ改進黨
と云ひ其首領に推す所の人は何れも維新の功臣即ち強藩出身の長老ならざるはなし而して
黨中にて錚々たるものを問へば多くは其長老と出身を同ふするものか又は曾て進退出處を
共にしたる人々にして現在の地位に朝野官民の別こそあれ其關係は政府部内の藩閥と差し
たる相違もなきものにして或は之を黨閥と稱するも差支なかる可し今假りに政黨内閣の實
を行ひ其黨閥を以て藩閥に代えたる處にて實際に如何なる功能ある可きやと云ふに我輩の
所見を以てすれば唯薩長と名ぐる藩閥に代ふるに政黨と名づくる藩閥を以てする迄の事に
して政府部内の情實を一掃することは至難なる可し或は之を一掃するも唯舊情實を一掃し
て更に新情實を輸入するに過ぎず情實政府の名は矢張り免れざるものと認めざるを得ず左
れば藩閥の情實厭ふ可しと雖も之に代ふるに黨閥の情實を以てするは毫も感服せざる所に
して世の論者の所謂政黨内閣とは果して斯くの如きものならんには我輩は又これに向て反
對せざるを得ず然らば則ち之に處するの策は如何と云ふに今の政黨の有樣にては政黨内閣
も遽に其功を見ること能はざれば目下の處にては之を最後の目的と定めて次第に其方向に
進の手段こを肝要なれ即ち我輩の毎度述べたる朝野聯立内閣の趣向にして政府も政黨も此
處にて互に一歩を讓り藩閥と黨閥との聯合を謀り姑らく之に滿足して徐ろに後日の計を爲
す其中には今の長老の人々は次第に政治上の生活を謝するに隨ひ其身に附屬したる情實も
次第に消滅して政府も政黨も共に一新の機に達す可し即ち政黨内閣の實を見るの時にして
其時機の到來も最早遠きに非ざれば今の政黨の人々も豫め用意して取敢へず自家の情實の
掃除に取掛る可し徒らに事を急にして藩閥に代ふるに黨閥を以てするが如きは我輩の取ら
ざる所なり