「総撰擧に就て」
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時事新報に掲載された「総撰擧に就て」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
総撰擧に就て
昨十五日は衆議院議員總撰擧の當日なり開票は今明日の間にして遠隔の地方などは報道の
遲延するものもある可きが故に當撰の結果は未だ知る可らずと雖も假に一般の稱呼に從ひ
全國の候補者を政府黨と民黨との二派に大別して孰れが多數なるべきやと云ふに撰擧前の
有樣より推測すれば其結果は民黨多數なりとの説實際に近かる可し或は單に政府黨民黨と
云ふも其中には種々異色の分子を含有することならんと雖も兎に角に誠心より現政府を助
くるものと之に反對の感情を抱くものとの二に區別するときは其名稱は何れにしても眞實
政府を助けんとするものは必ず少なきことならん抑も〓〓〓〓〓を解散したるは是非を國
民全般の輿論に同ふの〓〓に外ならざれば今度の改撰の結果にして又もや民黨多數なりと
すれば政府は政略上に失敗したるの姿なれども扨その改撰後の成行を想像するに我輩が前
號にも述べたる如く當撰の結果如何に拘はらず新議會の形勢は種々の事情よりして案外に
平穩なるやも知る可らず左れば民黨の多數は必ずしも憂ふるに足らずして政府が撰擧の前
より種々樣々の手段を盡し味方に多數を制せんとて苦勞したる其骨折も却て無駄骨折なり
しとて一笑に附し去るの奇談もある可しと雖も是れは是れとして元來今の民心の政府に反
對するは年久しき施政の結果にして假令ひ一時は鋒を斂むることあるも其政略にして方向
を改めざる限りは再び激して本相を現はすの日ある可し一時の成行を見て民間の物論鎭制
したりなど漫に想像するが如きは大間違ひにして知見の足らざるものと云はざるを得ず故
に政府の當局者にして超然自得し政論は唯時々の成行に任ずるのみにして民間に如何なる
議論あるも全く頓着せざるの覺悟なれば夫迄なれども若しも然らざるに於ては今日の機會
に大に政略を一新するの决心肝要なる可し近時社會の景况を察するに一般の人心は政府に
反對するとは云ふものゝ昨年の議會の有樣には多少心を動かして竊に思ふ所ある其折柄今
回の撰擧に議員の顔も改まりたるこそ好機會なれ當局者が此機會に大に決斷して我輩の毎
度忠告したる如く從來の恩威手段を改め立憲政治の方略は愛嬌一偏に在りと覺悟して專ら
世間の人氣を収むることに注意したらんには年來反對の人心を和らげて議會の論勢をして
全く一變せしむることも敢て難きに非ざる可し我輩は此際呉れ呉れも當局者の反省を祈る
ものなれども政府に於て尚ほ决斷の勇なくして此機會を看過することもあらんか假令ひ一
時の平穩を見ることあるも其平穩を維持して永久の好結果を収むるは到底至難なる可し総
撰擧終結の機會に際して聊か忠告を呈するものなり
又
今回の撰擧の有樣を見るに地方に由りては暴力を用ゐ人を殺傷したるの沙汰さへなきに非
ず立憲政治の爭に似合はしからぬ談にして外國人などに聞かしむるときは之を何と評す可
きや日本國の恥辱と云ふの外なし假令ひ一地方一部分の事にして全體の沙汰に非ずとする
も兎に角に斯る事相を呈したる其原因を求れば我政黨の組織充分ならずして其運動宜しき
を得ざるが爲めなりと云はざるを得ず西洋文明の諸國にては政黨の由來久しくして隨て其
組織も整頓し議員の候補者は其黨の公議を以て定め撰擧の運動の如きも黨の力を以て運動
するものにして人々個々の働を許さず故に撰擧の爭は黨と黨との公爭にして人と人との私
爭に非ず自から公明正大の趣あれども我國の事情は之に反して政黨の組織完全ならざるが
爲めに如何なる爭も直接に人と人との間に衝究〔ルビ・とつ〕して自然に苛烈ならざるを
得ず凡そ政治上に有力なるものは黨派の結合、言論の働なれども既に之に依頼すること能
はざるときは他の方便を利用するも亦自然の勢に免かる可らず即ち我國撰擧の競爭に殊に
金力を使用するもの多き所以にして今日の有樣は殆んど金力の競爭と云ふも可なるが如し
金力を使用するは敢て咎む可きに非ざれども單に金力を以て爭ふときは金力に乏しきもの
は更に又他の手段に依頼せざるを得ず即ち暴力の窮策に訴ふるものある所以なり殊に政府
の筋に於ても今度の撰擧に就ては聊か超然の本色外に逸して陰に陽に力を盡し又多少に金
をも用る等公然政府黨と名乘らざるも隱然自から一政黨の風を成したるよりして民黨の輩
は益々激して言論漸く劇しく劇論尚ほ足らずして遂に腕力の沙汰にも及び以て目下の事態
に立至りしことにして立憲政治の運動としては官民共に失する所なしと云ふ可らず左れば
今度の結果に鑑みて今後を戒めんとするには先づ政黨の組織を整頓し其黨命の出る所を一
にして各部各局に運動の衝突を防ぎ撰擧の競爭等に當りても凡そ盡力の方向を共にし手段
を一にして言論の外に依頼する所のものなからしめ政府に於ても公然その主義を發表して
自から政黨の形を爲し正々堂々運動して隱然の手段を避け民間の政黨に對するにも政府黨
なる政黨が他の反對の政黨に對するの心得を以てして互に言論を逞ふし以て政治上に君子
の爭を爭ふこと肝要なる可し若しも然らずして政治の爭を人と人との私爭に化するの趣あ
るに於ては我國の撰擧競爭は益々激烈に陷るのみにて立憲政治の美風を見ること難かる可
し序ながら一言して注意を乞ふものなり