「撰擧競爭に腕力は國辱なり」
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本文
撰擧競爭に腕力は國辱なり
衆議院議員の總撰擧は豫記の如く愈よ去る十五日を以て實行し終り競爭の騒擾も一先づ落
着したる姿なるが今顧て去月以來各地方に於て候補者の競爭したる状况を視るに甚だ穩な
らずして國家の利益安寧の爲めに輕々看過す可からざるものあり彼の民黨と稱し吏黨と呼
ばるゝ者共が互に相仇敵視して惡口罵詈する其句調の野郎粗暴なる恰も街頭に車夫人足の
喧嘩口論に異ならず〓體の甚だしきものにして局外者より見れば誠に〓々しき次第なれど
も又退て考ふれば平生既に政治の爲めに心を奪はれたる者が偶ま撰擧競爭の熱に浮かされ
て狂することなれば恰も一時の酒興に等しとして恕す可き所なきに非ず現に歐米諸國に於
ても撰擧競爭の際には必ず劇烈なる黨派の爭を生ずるの常にして中には新聞紙〓〓などに
て殆んど聞くに忍びざる人身上の攻撃を爲すの論者さへ少からざれども元來立憲政治にて
は言論の自由を重んじ人民をして勝手に各自の意見を〓〓せし〓其多數の〓に從て〓を行
ふを目的とすることなれば假令ひ一時多少の不都合ありとするも言論の自由は成る丈け之
を束縛せざるに如かずとて大抵の劇論は之を放任して制限せざるを例とせり左れば我輩に
於ても此度の撰擧に就き官民兩黨が各處に演説會を開き又新聞紙を利用して負けず劣らず
嘲笑罵詈したる醜言醜文字の如きは立憲政治の社會に免かる可からざる事柄として都て之
を問はざる方却て得策なりと信ずれ共爰に不問に附す可らざるは腕力の一條なり撰擧競爭
に奔走したる者共が言論文筆の爭を以て足れりとせず彼の粗暴なる壯士の類を使役して反
對者の運動を妨げんとしたるは立憲政治の下に許す可らざる所のものなり思ふに日本國中
何れの撰擧區に於ても全く壯士の運動を禁じて其干渉を免かれたる處はなかりしならん殊
に其最も劇烈なりし撰擧區に於ては反對の兩黨より互に大勢の人數を繰出し純粹の暴力を
以て撰擧人を脅迫し各々自家の候補者に投票せしめんとし舌戰筆戰の界を逸して白刃彈丸
の戰塲と爲り傷く者あり死する者あり其混雜實に名状す可らざるに至れりと云ふ撰擧競爭
の弊も爰に至て其極に達したりと謂ふ可し抑も立憲政治に撰擧を行ふ所以は最も公平なる
手段に依て人民多數の意見に叶ひたる人物を採用するの精神に外ならざれば他より之に干
渉して強ひて撰擧者の意に叶はばる人を擧げんとするは撰擧の本趣旨に戻りたる行爲にし
て即ち立憲政府を奉ずる人民が自から自分の權理を蹂躙したるものと謂はざるを得ず我國
の政治家が口に民權自由の論を唱へながら一方に壯士を利用し腕力以て人の自由權理を侵
害して恬然たるが如き言行の齟齬も亦甚だし畢竟するに尚ほ封建武士の舊習を脱する能は
ずして人と爭ふと云へば必ず刀の柄に手を掛けることゝ心得、未だ言論に依て正々堂々た
る爭を爲すの妙味を知らざるが故に斯の如き殺風景なる現象を呈出したることなる可し昨
年愛蘭にて代議士の補欠撰擧のとき政黨の爭甚だ劇烈にして毎度腕力の衝突を惹起し有名
なるバーチル氏の如きも或處にて石灰を眼に投付けられ負傷したることあり當時英米の新
聞紙中此騒擾の實况を報じて愛蘭人が斯くまでに政治の熱に狂し易く撰擧の爭に直に腕力
を持出す樣にては今これに自治を許すも唯徒に人民の騒擾を增すのみにして到底何等の効
もなかる可しとの旨を論じたるものありしが今年我日本國の撰擧に盡力したる人々は右の
論説を讀んで必ず心に耻る所あるならん我輩は唯我國の政治家が政治の爭に腕力利用の念
を放棄して專ら自由の言論に依頼せんことを切望するのみ若しも然らずして今後撰擧を行
ふ毎に必ず今年の如き不體裁を演ずることゝならば諸外國人の見る所にて日本人は尚ほ未
だ立憲政治の民たるに適せざる者なりと評せらるゝも辨解に辭なかる可し亦國辱ならずや