「治安小言」
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時事新報に掲載された「治安小言」(18920228)の書籍化である『国會の前途・国會難局の由来・治安小言・地租論』を文字に起こしたものです。
本文
竊に傳聞する所に據れば現政府は施政の難局に在るものなりとて頻りに困却の樣子なりと云ふ蓋し其難局とは内に情實ありて權柄の歸する所一なるを得ず外は議會に對して輿論を制すること難しとの意味なる可し如何にも難局にして當路者の困難も謂れなきに非ず此まゝに押行くときは行政の區域は次第に縮まりて萬般の運動自由ならず内治を進めて國家百年の長計を計るに遑あらざるのみか差向き條約改正の一事も次第に面目を改めて之を斷行するに難からざるよしなれども政府の基礎を固くするに非ざれば何事にも着手す可らず顧みて諸外國の現状を視れば其文物の進歩日に速力を増して政事の如きも近來は漸く趣を改め古色の鄭重を脱して新裝の活溌を催ほし内治外交共に簡易便利を主とする其事情は正しく商賣の取引に異ならず一切萬事虚飾を去りて實益を取るの主義なりと云ふ然るに我日本國の今日は内治も外交も共に意の如くならずして日一日を消磨し朝野の誰れに語り誰れに聞ても差向き是れと斷じたる良案なしとは誠に心淋しき次第なりと云ふ可し或は日本國に實力なくして國勢如何ともす可らずと云へば夫れまでの事なれども物産は次第に發達して富源日々に開け外國輸出の生絲のみを見ても其増額は實に容易ならず他は推して知る可し畢竟我民力の盛大を表するものにして斯る民力ある一帝國にてありながら唯人事の一小部分なる政治の困難よりして國勢を張るに由なしと云ふ呉々も殘念ならずや左れば目下の要は此困難を除き去るより急なるはなし又我輩に於ても竊に其方案なきに非ざれども如何せん政府の難局は多年の病にして之に治療を施さんとするにも自から時節の到來を待たざる可らず即ち其時節とは難局いよいよ困難にして維新の功臣長老輩がいよいよ此政府を棄てゝ去るか留りて之を守るか二者その一を取らざるを得ざるの極度に達したる分目の一日なり國會開設以前の政府なれば部内の情實よりして種々無量の難澁を生じたることあるも諸老が相互に勘瓣し半ば不平なるが如く半ば得意なるが如くにして不言の際に局を結び以て一時を彌縫し又再度を取繕ひ小康又小康に慣れたる次第なれども今日は則ち然るを得ず外に國會と名くる大敵を控へたる上は政府の全權を一手に握る者ありて自由自在に運動するに非ざれば敵に對して戰ふ可らざるのみか和することも亦叶はざる可し從前の如く内閣員が陰に勢力を張りながら陽に互に勘辨し互に讓合ふが如きは即ち施政の運動を鈍くするの媒介にして萬々籠城は叶はざることゝ知る可し例へば歳計の豫算は取りも直さず政事の豫算なるに去年國會の解散と共に不成立と爲り止むを得ず前年度の歳計法に從て不都合至極の出納に束縛せられ之が爲に殆ど一年の政事を空ふしたりと云ふも餘り過言には非ざる可し如何となれば日新進歩の今日施政の佳境は新工風新事業にこそ在ることなれども歳計にして舊の如くなれば工風も事業も新にするを得ざればなり此豫算の不成立若しくは大削減が一年なれば尚ほ忍ぶ可きなれども政府の不人望なると共に今年も然り來年も亦然りとて例年の例の如くならば之を如何す可きや憲法は國家の至實これに手を觸るゝを許さず左ればとて國會が此憲法に據り多數を以て決したる其決議は即ち政府の運動を許さずして日新進歩の精神に齟齬するものなり豫算案の一事のみにても斯の如くなれば他百般の法案も亦同樣にして常に議會の敵意を以て妨害し議場に多數を得ざれば場外に流言を放つ等種々樣々の方便を盡して政府を窘めんとするときは如何なる智謀の政治家にても今の情實政府の有樣にては之に堪ゆる者なかる可し是に於てか當局者も爲す所を知らず兎に角に年來の慣手段に從て同臭味の功臣諸老に謀り一時の新陳交代を促すことならんなれども之に代りて同一樣の政府を作れば困難も亦同一樣なる可きが故に容易に交代する者とてはある可らず然らば則ち政權を擧げて在野の人に引渡さんか假令ひ無慾淡泊にして敢て舊地位に戀々の私情なしとするも國家安寧の爲めに謀り今の在野の政客が果して能く國事を擔當して之に堪ゆ可きや、政權を讓受けたる處にて第二の政敵に當るの法は如何す可きや今の功臣の一類は即ち其時の大敵たる可きに之を御するの法を如何す可きや、國民全體に對して信を取るの手段は如何、海陸軍人を籠絡するの方略は如何、云々と假りに彼我の地位を易へて餘處ながら他人の未來を想像するときは唯社會の爲めに不安心のみならず一歩を退けて私の功名心に訴へても二十何年前自分等の一類が粉骨碎身、萬死を冒して造りたる此明治政府を謂れもなく他人に渡すとは自身に不愉快は勿論、同志同行の先人に對しても申譯けなき次第なりとて引渡の念慮は先づ以て斷絶せざるを得ず、人に渡さんとして渡す可らず、自から守らんとして守るに術なし、實に進退惟谷るの場合にして我輩の最も注目する所なり凡そ人生は困難を極めて始めて智惠も付き、勘辨も出來、我慢も生ずるの常なれば功臣諸老が今日尚ほ悠々たるは困難を感ずること未だ至らざるが爲めのみ長き歳月を待たずして必ず右樣の大困難に接していよいよ此政府を守るか棄るか間髮を容れざるの場合に切迫す可きが故に其時に至りて始めて大に發明して大に決斷することある可し但し其決斷の何れに出つ可きや其方向に由りて國家の幸不幸に關すること容易ならざれば左に鄙見を陳べて諸老の參考に供せんとす政府は日に行政の區域を縮られて内治外交の不如意を感じいよいよ此政府を棄るか守るか進退分目の場合に切迫したり是に於てか功臣諸老輩はつらつら既往を回想して現今を目撃すれば政府の維持決して難きにあらず假りに二十餘年前の心を以て今日の心と爲し二十餘年間の恩讐友敵を忘れて一場の夢に附し去り今吾を無きものとして故吾に還り心を平にして獨り自から省るときは今の政權は固より各自の專有には非ざれども左ればとて其心身の屈強なる間は謂れなく他人に附與す可きにも非ず恰も老輩の共同物にして諸共に維持保存す可きものなり之が爲めには生命を犧牲にするも敢て辭せずとの感を生ずることならん多年の間、各自の出處行藏は其趣を一にせず事變政變の際には或は竊に功名を爭ひ時としては人の先驅したることもあらん、又その裏を掻いたることもあらん、朋友同僚の間にあるまじき擧動なりとて怒りたることもあらん、或は默して獨り利を專にする者あれば顯はれて巧に聲望を博せんとする者もありて隨分苦々しき次第なりしと雖も扨この共同物たる政權を守るか棄るかの一段に至りて老輩の私の爲めに謀り又社會數年の安寧の爲めに謀りて守るの外に道なしとするときは舊を忘れて新を談ずること決して難からず創業の老輩相携へて守成の功を全ふすること決して難からざる可し如何となれば二十餘年間の恩讐は政府部内即ち功臣相互の私なれども政府を擧げて俄に他人に托するの利害は國家の大事にして公けの問題なればなり公けの大事に一致して力を盡し忍ぶ可らざるを忍んで政府を維持するは諸老の公徳に訴へて疑ふ可らざればなり斯く云へば維新の功臣は政府を專にするの姿にして立憲政體の精神に背く云々の説もあらんなれども立憲は萬年の大計にして一朝一夕に體を成す可きに非ず今日は正に專制の政より自由の風に移らんとする其變遷の世なれば我輩は唯變遷の無事ならんことを祈るのみにして他志あるに非ず朝野の人にして苟も眼中人を見ずして心に日本國の利害を思ひ其平安と進歩とを祈る者ならば必ず鄙見に對して不平はなかる可し諸老の心身屈強なる間は之に國事を托して最も安全なる可ければなり左れば明治政府の諸老は協同一致して自家創業の政府を守ることに決したりとすれば今の俗間に云ふ黒幕など稱する老輩は自から官邊に縁も近きが故に速に内に入る可きは固より論を俟たず又近來政府の敵として名を知られたる自由改進兩政黨の首領の如きも素より政府部内の人にして紛れもなき維新の功臣なれば之を敵視す可らざるのみか交情舊の如くにして共に國事を謀り共に力を盡して政府を維持するこそ至當の道なれ目下右の兩政黨が專ら政府に反對するが故に之を政敵と稱して其黨員を惡み甚だしきは破壞黨などの政を附して兩黨の首領は破壞の張本とまで評判する者なきに非ざれども親しく其人に就て見れば決して人事政事を破壞して樂む者に非ず明治政府は取りも直さず其生誕の故郷の如く又俗に云へば其身は政府と名くる會社の株主の如くにして一日片時も故郷の安全會社の繁榮を祈らざるはなし唯その政府の地位を去りて廣く世間の人に交る其間に自然に政論の調子を高くすると共に民間の志士など稱する輩は之に接して之を敬し自然に調子を低くし雙方恰も歩合ひにて交情の次第に濃なるに從ひ果ては幕下の論勢に乘せられて止むを得ず意外の運動することもなきに非ざれども其本心の底を叩けば性質純正又智謀の君子にして共に語るに足るのみか明治政府を守るの一點に就ては其説を共にして力を盡す可きや疑を容れざる所の者なり左れば現政府創立以來國會開設に至るまでは政府の組織專制の如く合議の如く又諸強藩士の寄合の如くにして政權の歸する所一なるを得ず其間には薩長の軋轢を醫するに忙しく、土肥の情勢を慰むるにも心を用ひ、智謀の士人は軍隊を制するの勢力に乏しく、軍人社會に聲望高き人は必ずしも政事に適せざれども來りて政府に入らんとすれば之を拒むことも叶はず是れも情實なり其れも行掛りなりとて苦しき歳月を經過する其間に意見の齟齬よりして幾回か政府を去り又入りたる者あり又或は全く去て歸らざる者あり甚だしきは兵を擧げて反したる者さへある程の次第にして混雜も亦限りなかりしと雖も是等の紛紜は詰り功臣相互の爭にして他人の關する所に非ず然るに時勢の變遷は遂に立憲政體の世と爲り政權は功臣の私有に非ずして天下と共に之を與にす可しと定まりて行々は彼の西洋立憲國の如く責任内閣の事も行はるゝに至る可しと云ふ自然の勢なれども其これに至るまでの間は今の政府を維持して無事に前途の準備するこそ國家に忠なるものと云ふ可けれ其準備の爲には功臣諸老も復た舊時の情實談を談ずるの餘暇なく畢用の智謀を振ふて相互に勘辨し相互に我慢して兎も角も政權維持の一方に向ひ總掛りにて力を盡す可きは正に其人の義務にして且その時節の到來も遠きに非ざるが故に官民共に今より其心して之を待ち時に臨んで方向を誤るなからんこと希望に堪へず尚ほ又その總掛りに就て必要なる約束あれば之を次に論じて讀者の教を乞はんとす
王政維新の功臣諸老が總掛にて明治政府を維持するの説は今日目下の事情に於て或は難きが如くに見ゆれども行政の困難次第に重なるに從ひ次第に其時機に到着す可きは我輩の空想して疑はざる所なり家道安樂にして餘暇あればこそ兄弟喧嘩の沙汰も聞くことなれ郷黨の交際法を誤りて四隣に敵を引受け限りなき無理難題を吹掛けられて切迫の場合に至れば復た一家族中の喧嘩に遑あらず兄弟も來り從弟も驅付け又叔父にも謀り同心協力して隣の敵を防禦し又之に和するの方法を講じ曾て不和なりし家族も今は更に一身同體の骨肉と爲るは人情の常なり維新の功臣にして誰か其故郷たる政府の切迫を悦ぶ者あらんや萬一の時に臨んで其救急に走る可きは人情に訴へて疑を容れざる所なり或は今の自由改進兩政黨の首領の如き政府を去ること餘り遠くして其調和如何ならんと思ふ者もある可けれども實際は決して難からず假りに世人の想像する如く右の兩首領の素志は現政府を取て之に代らんとするものなりとせんに果して志を達して政府全權の地位を得たる上にて其得たる地位を守るに如何なる手段あるや取て代れば其取られたる者は紛れもなき其時の政敵なる可し何を以て此敵を防がんとするか、現政府は僅に自由改進の二政黨に當らんとして尚は且困難を感する者なり然るに一朝この政府を破りて功臣諸老を野に放ちたらんには幾多の自由改進黨を出現して時の政府に向ひ反對攻撃至らざる所なく其鋒に當るの困難は今より想像して萬々疑ふ可きに非ず苟も政黨の首領とも云ふ可き人物にして此困難を豫知せざる者あらんや實は首領輩も誠意誠心に政府の安危を憂ひ之を刺衝して改良を促さんが爲めに攻撃を試るまでのことなれば今にも時機到來して調和とあれば必ず悦んで之に一致す可きは我輩の敢て保證する所なり左れば功臣老輩の協同一致は容易なりとして爰に極めて重要なる所望は諸老輩が平生の自負心、高慢心、驕傲心、功名心を收めて相互に我慢し、相互に讓り、忍ぶ可からざるを忍んで自から自身を抑制し以て他の運動を自由ならしむることなり即ち之を俗に之へば等しく政府の中に居て役不足を云はず誰れにても一名の長者を推して首座に置き其人の智愚緩急を問はずして理にも非にも得にも失にも都て其指揮に從て運動することなり此一大所望の行はれざりしこそ明治政府の宿痾にして百般の害惡これより生じ政府の基礎堅固ならざりしも之が爲めなり、施政の方向一ならずして前後撞着したること多きも之れが爲めなり、民心を惑はして政府を疑はしめ無根の事に怨を招きたるも之れが爲めなり、政畧未だ外に發せずして先づ内に破れたることありしも之が爲めなり實に枚擧に遑あらざる禍根にして畢竟その本はと云へば諸老輩がおのおの自から其技倆を信じ其地位名望を恃み相下ることを爲さずして竊に先驅けの功名を謀り互に運動の自由を許さず政府の中に首座と末座との區別を立てながら首不首、末不末の勢を成して却て自から當惑したることなれども是れは政府の無事安樂にして當局者の心事に尚ほ餘地を存する時の閑話談なり、樂餘の好事なり、時勢の急なるに迫りては豈復た私の功名手柄など爭ふに暇あらんや前に云へる如く目下官民の軋轢は既に頂上に達し人民は憲法を根據にして攻撃を逞ふし維新の功臣等が辛苦經營したる明治政府も存廢如何の場合に切迫して眞に危急の秋なれば諸老の心事一轉せざらんと欲するも得べからず我輩は其人々の功名心に訴へ又その國家を思ふの公徳心に訴へて必ず政府に新組織の議ある可きを信じて疑はざるものなり元來老輩諸君の間に不調和の苦情あるは君等も亦舊藩士族の子にして政事の外に餘念なく政事の功名を重んずること甚だしきが故なれども爰に心事を一轉して政事も亦是れ一種の芝居なりと思へば誠に安樂なる可し政府と名くる舞臺に立つときは由良之助は家老にして固より首座に居り鹽谷家の諸士は皆その指揮に從はざるを得ず即ち總理は總理にして以下の諸大臣諸老も默して總理大臣の命に從ひ始めて能く政事狂言を演ずることなれ或は役者の技倆を評したらば寺岡平右衞門の方却て由良之助の右に出ることもあらんなれども舞臺の上にて平右衞門が不平を抱き竊に由良之助の先驅けし又裏を掻き陰險に其演藝を妨るが如き事情にては迚も芝居は見る可らず故に諸老輩も此邊に能く能く心を用ひ一類の中誰れにても苦しからず一名を見立てゝ總理に推したる上は之を政事芝居の由良之助として仰ぎ其運動の緩急巧拙に拘はらず隨意に演藝を許すに於ては今の政府を維持するに足るのみか行政の區域を擴張して積極的に新工風を運らし新事業を起すこと容易なる可し如何となれば今の現場に於ても官民相對して人物多少の平均を見れば政治上の熟練に富む者は官途に多きこと疑もなき事實なるが故に首座一名の方寸を以て政府部内を整理すると同時に外に交るの法を巧にするときは此濟々たる多士が方向を一にして力を盡すのみならず在野有力の人も陰に陽に政府を助く可ければなり三人寄れば文珠の智惠とは俗界の細事情に通用するのみにして一國の行政に於ては則ち然らず三人會議して却て文珠の愚を呈し會する者いよいよ多ければ其愚いよいよ甚だしく會して事を理するに非ずして却て之を紊ること多し故に云く諸老輩は政事を輕く視て其功名の熱心を弛め一名の由良之助をして獨舞臺の藝を演ぜしむ可しと我輩は獨り由良之助のみを譽めずして却つて之れに服從する寺岡平右衞門の默々たる公徳を稱揚せんと欲するものなり
政府はいよいよ維新有功の諸老輩を集むることに決し一人も漏らさずして之を部内に入れ首座に一名を推して其運動を自由ならしめたりとせんに部内の數理は是れにて十分なれども尚ほ外に向て民心を和する工風なかる可らず其法一にして足らず繁文を除き冗費を省くが如きは最も有力なる緩和法なれども廣く人民に接して愛嬌を賣るの一事は立憲政治の要にして萬々之を忘る可らず又その愛嬌を賣るに就ても廣く世間に交際を開き禮を以て人に接するは無論、尚ほ細に亙れば人に飮ましめ又與ふるが如きも交際家の方寸に存することなれども更に之よりも大切なるは凡俗をして羨望の念を絶たしむるの一事なり西洋諸國にては有志の人が政治外に生活する間は衣食住の盛んなりし者にても一旦政治に志して身を立てんと決するときは先づ外面を裝ふて自から生活の度を低くし錢を散じて人に與へながらも自身は態と粗衣粗食して質素磊落の風を示すの常なりと云ふ即ち世人をして羨望せしむることなからんとするの意なる可し故に今諸老が相和して政府に集まりたる上は第一着に其爵位を辭するの勇氣なかる可らず抑も維新の功臣と稱する輩が新華族に列したるは誠に無益の沙汰にして明治政府に行はれたる大失策中の一として計ふ可きものなれども既徃の失策は今更云ふも詮なし唯過て改む可きのみ數百年來封建の諸藩をさへ廢したることあり今の新華族を廢するが如き左までの大事に非ず況んや新華族中にも心事洒落にして斯る虚飾を好まざる者多きに於てをや唯同輩の者が華族に列せられて自分獨り之に外れたりとありては不本意なりと云ふ競爭の功名心よりして抂げて榮爵に居ると雖も其實は他と共にするときは之を棄るに躊躇せざるは我輩の竊に保證する所なり元來人爲の爵位衣冠を以て身の重きを爲すは民心の簡單なる時代の事にして其時に在りては自ら下民を威服するの具として有力なりしと雖も今の日本人は西洋文明の主義に教育せられて其心の馳する所は却て文明の本國人よりも劇しき程の次第なれば苟も心事の發達したる中等以上の種族に他の爵位の高卑を見て之を齒牙に留め或は之を仰で恐るゝ者とてはある可らず唯一種の兒戲として竊に冷笑するに非ざれば功名心の賤しき者が己れも亦この風に傚はんとて轉た羨望の情を生ずるに過ぎず或は今日に於ても下等の凡俗間には華族何爵何位と云へば雲上の觀を爲して之に敬服する者もある可しと雖も當路者が政治上の運動に味方として利す可く敵として面倒なるは中等以上の種族に限りて他の凡俗の小民愚物は依頼するに足らず然るに目下政治の運動に忙しき者が虚飾の兒戲を戲れて獨り自ら得々たるは毫も利する所なくして唯徒に中以上の歡心を傷ふに足る可きのみ尚ほ此上にも族爵の不利を云へば維新の諸老輩が雲上に飛揚したるが爲めに大切なる衆議院を空ふして民間の後進壯年輩に議政の利器を引渡したるの一事なり貴衆兩院を比較すれば國家の大利害は專ら衆議院の議に關すること事實に掩ふ可らざる所なるに然るに其議員を見れば何れも忠義心に乏しからずして純正無雜熱心の士人には相違なしと雖も文明教育、政治上の熟練如何に至りては總員を平均して尚ほ未だしと云はざるを得ず實に今の衆議院の病とも稱す可きものなれば若しも維新の諸老輩が各地より撰出せられて衆議院に椅子を占め他の熱心家の熱に調合するに施政實際の熟練を以てすることもあらば始めて議場も靜にして成跡の美なるものある可し是れぞ功臣等が政府を創業して又その後を善くするの義務とも云ふ可きものなるに却て自から其權利を棄てゝ衆議院を劇論の府と爲し之を傍觀して之に處するの手段を得ずとは我輩は其理由を知らず殆んど諸老の心事の在る所を解するに苦しむ者なり思ふに彼の新華族を製造したるときは數年後の今日に此不利あらんとは先見せざりしことならん人生鬼神にあらざれば今より既往に遡りて其失策を咎るに非ず又その愚を笑ふに非ず唯今日は國家の大事明治政府維持の爲めに諸老が割愛して族爵と位記をも併せて之を棄てんことを祝るのみ
多年來老輩諸君に聲望あるは其爵の尊くして位の高きが故に非ず唯その維新の勳功に爭ふ可らざるものあるが爲めにして然かも其聲望は其身と共に終始するものなれば特に人爲の虚飾を以て鍍金せざるも世間一般に之を忘るゝものとてある可らず故に今日にも豁然心事を改めて爵位を脱して維新當初の簡易輕便を以て政府に立ち又は身を輕くして巡廻し磊々落々古を語り今を談じ政事を視ること商賣の如く芝居の如くして縱横無盡に運動することもあらんには大政府の實力を握りながら天下の人心を制すること掌を返すよりも易かる可し諸老々したりと雖も其心身の屈強なるは我輩の知る所なり舊幕府を倒して王政を一新したる其技倆を以て立憲政體の今日は言論の間に政府を再新せんこと冀望に堪へず諸老尚ほ不可なりと云ふか言極めて不祥なりと雖も我輩の空像を畫て之を示さんに教育過度の今の社會に人の心は次第に發達して胃は次第に空しく其困窮の窮餘には遂に他を羨望し之を望みて之を得ざれば則ち反對の色を顯はすも亦自然の勢なれば此有志無食の輩が諸老の榮爵榮位に反對して例へば無位無爵黨又は天爵黨などの奇語を用ひて黨衆を會し態と尊卑の分界を明にして運動することなきを期す可らず隨分面倒なりと云ふ可し先んずれば人を制するの金言あり我輩は諸老が期に先んじて起つの勇氣を促す者なり我輩は本論の初に於て政府がいよいよ大困難に陷り二十餘年の成業を守るか棄るかの場合に切迫して始めて大に決斷することある可し又その決斷の方向如何に由りては國家の幸不幸に容易ならざる關係ある可しとの旨を一言して次で鄙見の在る所を陳べて樣々の所望の點を記し大決斷の好結果を想像して功臣諸老輩の注意を促したれども其斷ずる所果して如何なる可きや隨分不安心なきに非ず諸老が難局に當りて先づ各自の心頭に催ほす所の政案は政府の全權を一手に握るの要にして扨その實手段は諸老の中の一名が總理の首座に居り他の内閣員には第二流の人を用ひて運動を自由ならしめんとの工風もある可し誠に妙手段にして我輩に於ても幾回か此事を思はざるに非ざれども到底その實際に行はれ難きを知りて斷念したるものなり、如何となれば維新の諸老中唯一名の長者を存して他は都て第二流なれば至極妙なれども諸老一ならずして恰も難兄難弟の勢を成すものが其不調和のまゝに獨り權力を專にせんとするときは是れぞ所謂先驅けの功名にして同輩兄弟の許す所に非ざればなり從前の經驗に於て條約改正の功名さへも常に他の妨害を被りて成らざりしに非ずや今にして出拔けに全政府の權力を一手に占めんとするが如きは無效の陳腐案と云ふ可きのみ左れば諸老輩が今の政敵即ち現政府に反對する政黨の擧動を厭ひ政黨に當るには政黨を以てするに若かずとて政府部内より切て出で政黨を組織しては如何との考もあらんなれども是れとても現政府の内實能く調和して其人々の當路落路に論なく心を一にして政府の爲めにして政黨を作るにも時の總理大臣が其首領と爲るの事情なれば有力有效なる可けれども内の調和未だ十分ならずして諸老中の誰れ彼れが新に政黨の旗を樹るとありては假令ひ其初に於ては現政府の味方するものなり、主義は順良忠誠なるものなり、民黨の過激論を壓倒せんとするものなり云々とて至極穩なるが如くなれどもいよいよ一團の政黨と爲りて廣く天下の志士を會し公然たる主義を發表して運動を始むるの場合に至りては決して然るを得ず前節にも云へる如とく政黨の首領は漸く士に交りて漸く政論の調子を高くし天下の政客は首領に接して少しく老實の言行を裝ひ相近づき相親しむ其間には遂に政熱に浮かされて政戰を樂しみ彼の所謂民黨に對して戰ふのみならず本來この新政黨の興るや現政府と眞實の協議を遂げて一身同體の和親あるにもあらざれば時としは政府の意の如くならず又時としては政府に反對して之を窘ることもなしと云ふ可らず若しも然らんには新政黨は他の民黨に敵對して又政府に對しても頼む可き政友に非ざるが故に政府の眼を以て全國の政治社會を見れば諸方に英雄の割據するが如くにして或は民權の主義を唱へて改進を論ずる者あれば其議論の鈍きを厭ふて自由を求るに腕力を以てせんとする者あり又或は立憲の天地に高天原を空想して暗に攘夷論に熱する者あれば其熱心を利用して自家の政畧を張らんとする者ある等紛々擾々之を兵亂に喩へて評すれば佐賀の江藤と長州の前原と鹿兒島の西郷と諸雄同時に旗を擧げ互に相戰ふのみにして曾て政府に味方する者なきが如き奇觀を呈す可し何を以て明治政府を維持して社會の平安を存す可きや危險も亦甚だしと云ふ可し尚ほ之よりも恐る可きは政府の一部分にて武斷の輩が此紛擾の樣を見て疳癪に堪へず寧ろ一刀兩斷して百事を一新するに若かずとて大に爲すことあらんとする者あれば其機を察して朝野の小人等は竊に之に依頼し策を獻じ智惠を貸して以て自家の野心を逞ふせんとし遂に全般の秩序を紊亂して一時暗黒の慘状に陷るなきを期す可らず畢竟その本を尋れば維新功勞の諸老輩が未だ内に一致するの調和を得ずして先づ外に運動を試んとしたるの罪にして遂に其共有物として守る可き明治政府を四分五裂せしめたる者なり凡そ物は公私の別なく自から毀て然る後に人の來りて之を毀つ者あるの常なり諸老が生命を賭して政府を創業しながら今は即ち些々たる情實の爲め功名心の爲め、自負心の爲めに互に勘辨すること能はずして朋輩兄弟の間に幾對の鷸蚌を生し漁夫の利を成さんとするが如き自ら建てゝ自ら毀つものに異ならず智に似て愚なりと云ふ可し或は其漁夫にして果して能く利益を占め得て後を善くするの智徳熟練あれば我輩は必ずしも諸老に戀々して其地位の持續を祈るものにあらざれども滿野の政客その數多き中にも信ず可き者少なきを如何にせん左れば諸老は政府を創造したる其一事を以て自ら畢生の負擔と爲し苟も之を維持する爲めとあれば啻に智略を逞ふするのみならず時として無言愚鈍以て他の運動を自由ならしむるの利なるを知らば故さらに默して愚を裝ひ靜に同輩の後に就くも亦辭するに足らざる可し本論全編の旨は決して奇拔ならず尋常一樣の立言にして明治の初年より常に政府の養生法として守る可き所のものなれども之を論じて實行の易からざりしは時勢の緩なるが爲めのみ然るに今や現政府の存廢は旦夕に切迫して實に危急の場合なるが故に我輩は諸老の決斷の難きを知りながら時勢の切迫を抵當にして敢て難きを責むるものなり
治安小言畢