「 軍事當局者 」
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時事新報に掲載された「 軍事當局者 」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
軍事當局者
議員の改撰も既に終結したれば何れ不日に議會招集の發令あることならん新議會の形勢は我輩の豫言したるが如く案外に平穩なるやも知る可らずと雖も是れは一時の成行にして今後永久に其平穩を維持すると然らざるとは一に政府當局者の手加减如何に存することなれば其人々の心次第に任ずることゝして扨社會全體の有樣を見るに既に立憲代議の政體と爲りて政治上に人民の公議を許したる以上は人々の主義意見に由りて議論を異にし黨派を分つは自然の勢にして政府の當局者も從前の如く超然主義など唱へて獨り其地位に安んずることを得ず即ち一方に賛成するものもあれば又一方に反對するものもありて施政の手段なかなか困難なる中にも元來今の政府は年來の結果として不人望を極めたるが故に政體一新の今日と爲りても世間の非難いよいよ喧しく一層困難の塲合に際したるものなれば今後の方向は大に决斷して從來慣用の手段を改め不人望の回復を專一に勉むる其中にも政權維持の一點に至りては政府全體の意見を聢と一定し世上紛々の物議に頓着せずして眞正面に進み苟も譲らざるの覺悟こそ肝要なれども扨その覺悟一定したりとする所にて玆に注意を要す可きは陸海軍人の進退なり我國にては維新の戰爭以來百般の制度草創にして秩序の整はざるものありしにも拘はらず文官武官の區別は案外明白にして曾て軍人が政治に干渉したるの沙汰なかりしは世界各國にも誇る可き事實なれども今後の政治上には益々この區別を明にして軍人政治の患を萬一に豫防するの用意最も必要なるを見る可し抑も立憲の政治に於ては政府に反對の議員が國會の議塲に當局者の政略を攻撃して公然憚からざるは敢て怪むに足らざる所なれども今日の議員は事に不慣にして且智慮に乏しき輩も少なからざるが爲めか、徃々言ふ可き所に默して却て言ふ可らざる所に言ひ、殊に其言語も粗暴にして間々忌諱を犯すの嫌を免れざるが故に數多き軍人の中には之を正直に迎へ或は自家の本分を犯されたりとて竊に憤を催ほすも事もなきに非ずと云ふ元來潔白一偏にして然かも
事に熱心なる軍人の氣象には無理もなき次第にして其情一たび外に發するときは之を留めて留む可らず今日の處にては議會の勢力も微々たるものにして其反對とても表面
の聲言に過ぎず實際には深く恐るゝに足らざるが故に一時の憤も自から一笑に付して止む可しと雖も今後政海の熱度次第に上騰して萬一にも議會と軍人との間に衝突を見るが如きこともあらば由々しき大事にして其結果を想像すれば國家永遠の不幸に外ならざれば豫め注意して其不幸を避くるの手段なかる可らず即ち一方に於ては議員の人々も注意して自家の本分を守ると同時に苟も言語を輕卒にせずして他の本領を犯すの嫌を避くること肝要なれども更に他の一方に於て政府に對するの所望は維新の元勳中にて年齢名望共に軍人一般の心服す可き先輩の人を軍事當局の地位に就かしめ以て萬一の時に部下の熱情を和らげ其進退を整一ならしむるの一事なり勿論今の當局者も其智識技倆より云へば誠に適當の人物にして非難はなけれども一の掛念と云ふ可きは年齡の不足にして一般の心服を得て不言の間に其進退を制するには實際の智識技倆は兎も角も年齡の高きと共に其年齡に伴ふ所の名望こそ最も有力のものなれば我輩は唯その一點よりして元勳故老の中に其人を求めんとするものなり或は今の軍事の當局者なるものは一種の政務官にして唯その事務を管理するに止まり軍人の進退方向の如きは夫れ夫れ規定のあることなれば假令ひ老功の人が其局に當るも事に益なかる可しとの説もある可し實に尤もの説にして實際に斯くの如くならんことは我輩に於ても固より希望する所にして所謂文武の區別とは此邊の意味なれども人情世界の事は自から又然るを得ず唯議論上に其區別を喋々して之を戒しむるよりも寧ろ元勳故老の年齡名望を以て一般の心を收攬し其進退を統一して實際に實効を收むるこそ却て得策なる可しと信じ聊か微衷を陳ずるのみ