「伊藤伯の决心如何」

last updated: 2021-08-22

このページについて

時事新報に掲載された「伊藤伯の决心如何」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

伊藤伯が樞密院議長の現職を辭退の上、民間に去りて政黨組織の計畫あるよしは此頃世間に傳ふる所なれども其計畫たるや漫然たる風説に非ずして當人も〓と思案の末愈よ决心して發言したるの事實は最早疑ふ可らざるが如し其政案の當否は兎も角も今日の事情に於ては政府部内の同僚舊友中には必ず之に對して不同意を唱ふる者ある可きのみならず殊に伯は賢き邊りの御覺え他に優れて目出たき身分のよしなれば愈よの塲合には自然その邊りの思召もある可きは誠に睹易き所なるが故に何れ斯くまでに决心して發言する以上は必ず云云の故障ある可きを豫期しながら假令ひ如何なる故障あるも斷然その政案を實行せんものをと自から誓ひたることならん我輩の如きも最初より其案には不同意ながら伯の决心既に斯くの如しと聞き最早や動かす可らざることと信して聊か失望せし程の次第なるに昨今聞く所に據れば如何なる都合にや伯の决心は最初の如くならずして政案漸く趣を變じたるものの如しといふ思ふに其間には同僚舊友の忠告又は賢き邊りの御内旨等果して豫期の如くなりしことならんと雖も我輩の推測を以てすれば其變案は必ずしも他動にあらずして自動に發したるものと認めざるを得ず如何となれば今度の計畫に就て種種の故障ある可きは最初より分り切つたる事にして今更ら之が爲めに躊躇す可きに非ず伯の决心には何分にも不〓合なる始末なりとして我輩の信ずること能はざる所なればなり抑も伯は憲法の編纂に從事して立憲政治の創立に力を致したるのみならず凡そ明治政府近時の政略にして得失共に一般の民心に影響したるものは伯が當局中の施設に係るもの多くして〓會〓設後に政府の難局を招きたる其責任も伯の一身に〓て到底免かる可らざる尚ほ其上に政治上の技倆に富めるは朝野の共に許す所なるが故に今日の難局に際して自から政府の大任を負擔し憲法維持の爲めに百難の衝に當りて平生の技倆を現はすこと年來の〓志にして亦當然の義務なる可ければ其方寸の變化して政黨組織の計畫を思ひ止まりたるに就ては政府部内の同僚舊友に於ても聊か安心を催ほしたることならん我輩も亦その安心を共にするものなれども扨その變化とは如何なる次第なりやと云ふに外に出でて運動するよりも寧ろ内に留まりて一身の責任を明にするに若かずとの事を發明し外に〓さんとしたる其政案を頓に一轉して内に之を實行するの方針に改めたることならん是れぞ即ち神出鬼沒の妙所にして政案の活動、進退の變通は正さに〓の如くなる可き筈のものならん即ち伯の伯たる所以にして尋常一樣の政客輩に其深〓の在る所を知る者はなかる可し伯がいよいよ内に留ると决斷して其决心のいよいよ確なる上は今の當局者とても現在の地位を讓るに吝ならざること明白なれば此一擧は即ち伯が〓〓を〓するの機會にし〓是れより始めて青天白日政府の大局に當り目覺ましき運動〓〓ことならんと我輩〓信じて疑はざる所なり然りと雖も人の出處行藏は其人に存して傍より言ふ可きに非ず亦知る可きに非ざれば我輩〓信ずる所全く齟齬して伯は必ずしも今日爲さんとするの〓なく唯外に出でざるのみにして敢て内に入るにもあらず進むが如く退くが如く曖昧模糊の間に去就して表面に閑散の地を求め又もや例の黒〓の〓〓を再演するが如き奇觀なきを期す可らず若し萬一も斯る始末にては過般以來の擧動は唯是れ小兒の戲に非ざれば隱居の片意地にして無益に人を困却せしむるのみならず遂には人に厭はるるにも〓〓可し一個の男子たり政治家たる伊藤伯其人の進退とは見る可らず我輩は伯が男子たり又政治家たるを信じて今後の進退に注目する者なり