「政府黨組織の困難.」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「政府黨組織の困難.」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

政府黨組織の困難.

我輩は過日の紙上に於て政府は一日も速に超然主義を廢し言論以て大に民間の反對者と爭ふの覺悟なかる可らずとの趣旨を述べたるが聞く所に據れば政府の筋にても同樣の説を唱ふる人尠からずして或は斷然政府黨を組織して彼の民黨の攻撃に當る可しと主張する者さへありと云ふ立憲政治の今日我輩は固より其實行を望む者なれども扨こゝに思案す可きは之を組織して果して政府維持の實効を奏す可きや否やの一問題なり或は政府が自から其主義方針を公にして普く天下の人心に訴へたらんには同感同主義の士人は爭て來集し立ところに一團の政黨を組織し得べしなど思ふ者もあらんなれども是れは政黨の名に欺かれて其實を知らず政黨は單に政論同主義の團體なりと信ずる者の謬見にして畢竟するに素人の考たるに過ぎず如何となれば凡そ政治社會に政黨の主義綱領など稱して發布したるものを見るに何れも皆漠然たる文字を並べたるのみ之を讀む者の註釋次第にて如何なる意味にも了解するを得可きが故に斯る曖昧、空を攫むが如き主義を根據にして數多の人が團體を組織し身命を棄てゝ熱心運動するの理由は萬々ある可からざればなり故に我輩の所見を以てすれば政黨は主義を同ふする者の團體と云はんよりは寧ろ利害を同ふする者の團體と云ふ方適當なるが如し政論の是非は人民の利害に由りて制せらるゝものと知る可し然るに政治なるものは其影響する處極めて廣大にして政府の一擧一動に由て直接の利害を感ずる者國中に甚だ多きが故に其感ずる所の利害を同ふする者が相結んで自家の利益を謀るが爲めに玆に始めて政黨を生ずることにして例へば米國にて製造業の盛なる北部諸洲の人民は輸入税を高くして内國の工業を保護するを以て自家の利益となすものなれば其地方には保護貿易を主張する所のレパブリカン黨に屬する者多く之に反して南部諸洲の工業未だ盛ならざる地方に於ては輸入税の高きは徒に物價を高くして生活を困難ならしむるの不利あるが故に自由貿易を主張するデモクラチック黨の勢力甚だ強大なり畢竟するにレパブリカン黨に加入する者も叉デモクラチック黨に屬する者も眞實經濟學の原理に徴して自由貿易と保護貿易と孰れが國家の爲に利益なるやを研究し先づ政論の根本を定めて然る後に己の所屬を决する者には非ずして唯單に自家の利益損害のみを考へ直接の利害を共にする者が相結んで政黨を形造りたるの事實は之を爭ふ可らず其他歐洲諸國に於て貴族金滿家等社會の上流に位置を占むる者は大概皆保守黨に屬し貧賤なる勞働者の類に過激なる進歩黨員の多きを見ても亦以て政黨は政論の是非に關係少なくして利害を同ふする者の團體なるを證するに足る可し左れば今日政府の人が其現在の地位を維持せんが爲めに自から政黨を組織せんとならば先づ第一に廣く現政府と利害を同ふする者を求め其人々を集めて一團結を組織するの工風なかる可からず然るに爰に甚だ不都合なる事と云ふ可きは目下我國に行はるゝ政黨なるものは元來重大なる政治上の問題に就て利害を同ふする者が自己の害を除き利を求むるが爲めに相結んで團體を成したるに非ずして其起原を尋ぬれば多年來政論に熱心なる士人等が強ひて西洋立憲國の風に傚はんとして人爲の工風を以て無理に黨派を組織したるものなれば其黨員たる者が各自に感ずる所の利害は决して一樣なるを得べからず若しも今日にても國民の利害に關する重大なる政治問題の起ることもあらんには政黨の人々は其地方の異同に由り、其人の職業叉は貧富等に由りて思ふ所は决して一樣なるを得べからず或は之が爲めに同黨中非常の混雑を見る可き筈なれども實際は然らずして斯る烏合の衆とも云ふ可き政客等が尚ほ能く互に連結し一黨派の運動を爲して別に不都合を見ざるは何ぞや他なし其衆目が皆同一樣に政府に敵對するを以て目的となすが故なり即ち今の民間の政黨は現政府を倒すの目的を以て組織したるものにして之に加名する人々は皆政府を倒して之に代り以て自から利せんと欲す者なれば其一點に於ては黨員悉く利害を同ふする者と云はざるを得ず改進自由など云ふ漠然たる主義綱領の文字に感服して集りたる者は極めて稀なるを知る可し斯る事實なるが故に政府が今日の儘にて直に政黨を組織して民黨に當らんとせば官民兩黨の爭は是非とも政權取合の一點に歸し今の政府を倒すを以て我が利益となすものは民黨に屬し之を維持して自から利せんとする者は官黨と爲りて其結果は政府の爲めに甚だ不利ならざるを得ず何となれば今の政府の當局者を今のまゝに差置き之に政權を托して直接の利益を蒙むる者は唯政府の官吏及ひ官邊に親密の縁故ある一部分の人のみにして其數甚だ多からざる其反對に政府の地位を奪て之に代らんと欲する者は極めて夥しく是等の者は皆政府の倒るゝを以て自家の利益と心得る者共なれば官民兩黨相對するときは官は民に比して遙に少數なる可けれはなり加之事の實際に就て見るも現在の當局者たりとて其人々が相互に結合し眞實に一身同體なるや否や多少に疑なきを得ず或は一朝今の地位を離るゝ上は最早政府と利害を異にして之に對する感情も自から冷淡なる可きのみならず甚だしきに至りては政府を去ると共に忽ち飜て其反對者となる者さへなしと云ふ可からず右の如き次第なれば政府が今日政黨を組織して大に其勢を張らんとならば今日の如く政權の取合を以て政治上唯一の問題となすの風を緩和し別に利害論の大なるものを講して民心を導くの工風肝要なる可し其方法としては政府の官吏が例の尊大を止めにして磊落を勉め身を輕くして民間の人に交はり世間一般に官途の地位の羨むに足らさるを知らしめて先づ民情を慰め又一方に於ては積極的に民利國益の大策を斷行して實際上に政府の方針を明にし以て官吏以外の人に政府と利害を同ふする者を求むるの方案ある可し其手段の細論は之を他日に讓り唯爰には政府黨組織の容易ならざる次第を述ふるのみ