「都て斷行す可し」
このページについて
時事新報に掲載された「都て斷行す可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
都て斷行す可し
今度北海道炭礦鐵道會社々長の免職は會社の一小事變にして左まで驚くにも足らず官撰の會社長を其主務官より免〓するは尋常一樣の事として見る可しと雖も事の裏面より窺へば種々樣々に入込みたる事情もある可し抑も北海道に〓〓の事を創設したるより以來その事は専ら舊強藩人の手に歸して他人の得て喙を容る可き限りに非ざるのみか中央政府の權力を以てするも容易にこれを左右すること能はざる程の勢を成し所謂情實の最も錯雜したるものにして其餘勢は今尚ほ跡を絶たず使を改めて縣と爲し縣を廢して道廳を設け幾回か其長官を更迭したれども施政の運動何分にも意の如くならざるよし兼て傳聞する所なりしが今度の一擧は事小なりと雖も其運動は頗る活溌にして殆んど情實政府の姑息なる慣手段とは思はれず凡そ人事の流行は四時の節物に似て突出の奇を呈することなきを常とす春山に一樹の落葉を見ず、秋野に櫻花の開くなし故に情實政府の緩慢手段も常に緩慢にして其緩慢中、自然に百方の釣合を取るの風なりしなれば世間普通の竊に期する所にても現政府のあらん限りは相替らず舊筆法に從て特に奇抜なる擧動はなかる可し北海道の事なども不如意ながら日一日を消し三百六十日を經て一年を過ぎ三千六百日を無事に渡れば十年の無事なりとして可もなく不可もなく目出度く施政を維持することならんと思ひの外こゝに一發の小劇變を見たるこそ不思議なれ扨この劇變を見て單に一局部の一變なりと認る者もある可きなれども我輩の所見は聊か之に異なり如何となれば多年來政府の慣手段に於て斯る劇變は小なりと雖も容易に發す可らず然るに今にして其劇發は春山の紅楓、秋野の櫻花に等しく時候外れに似たれども何ぞ料らん世人が年來春と思ひしものは今日既に春にあらずして秋に移り秋は變じて春に返り正に其節物の一班を示したるものなればなり即ち明治政府は多年の間、情實の海に浮沈して常に施政の不如意に苦しみたれども國會の開設以來特に時勢の急に切迫して復た内の情實を顧るに遑あらず一旦豁然として大に悟り大政の權柄を維持して天下の人心を収攬し退て守るに非ずして進んで事を爲さんとするには男子の決斷なかる可らずとて全體に政略の面目を改め扨こそ從來の慣手段外に一種の新奇相を現はしたることならん左れば今度炭礦會社の變の如きは唯新政略の端緒を示したるまでの事にして是れより着々歩を進めて尚ほ幾多の敢斷策ある可きは疑を容れず炭礦會社の事決して偶然に非ず時候外れに非ず正に是れ四時の節物春花秋楓に等しきのみ政府が果して斷然の政略に決したる上は爲す可き事に乏しからざるのみか爲さゞる可らざるものこそ多けれ第一に超然主義を廢して政海の波瀾中に打て出で巧に人心を籠絡して國會に多數を制するの工風なかる可らず、貴顯輩が浮世尊大の痴心を去て他の羨望の念を緩和せざる可らず、官吏登用法を改めて人才を容るゝの道を開くと同時に老朽の老官を沙汰せざる可らず既に内部を整理して更に進んで進取の方針に向ては差向き鐵道處分の問題あり、航海擴張の要用あり、海外貿易の事あり、移住民の事あり就中條約改正の如きは片時も捨置く可きに非ず凡そ是等の事項は政府に於ても其重要なるを知らざるに非ず常に當局者の心配する所なれども唯内々の情實に妨げられて今日に至るまで斷行の機を失ふのみなりしに然るに今や政略を一變したりとあるからには苟も民利國益の在る所には眞一文字に進行して左右を顧るの要なし都て人事は難しと思へば難し、易しと思へば易し、政府の全權を掌握したる當局者にして其職權の内に運動するまでのことなれば又何の顧慮する所ある可きや唯十名ばかりの内閣員が誓て同意一致さへすれば一切他に相談に及ばず何事にても行ふて行はれざるものはある可らず俗に云ふ案ずるよりも産むが易しの諺に洩れず無遠慮に斷行して却て成跡の美なるものある可し政府の決斷果して此邊に在ることなれば彼の炭礦會社の問題の如き固より些々たる細事件にして其是非を論するに足らず唯我輩の祈る所は當局者全體の決意尚ほ未だ固からずして一時の勇敢にも拘はらず復た舊時の情實に陥り斷行に續くに因循を以てして施政に竜頭蛇尾の譏を招くことなきの一事のみ