「米商同盟の結局如何」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「米商同盟の結局如何」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

米商同盟の結局如何

近頃世間に米穀買占の噂頻なり曰く大坂屈指の米商が相結托して大に買占の策を講じ期米正米の差別なく各地を買廻して正米のみにても既に百萬俵の上に越たり今後ますます買占め買煽りて由々しき勝負を決せんとするものなりと此事果して世評の如く初めより意ありて聯合を形造りたるものか或は又老商輩の見る所期せずして相一致し遂に事の爰に及びたるものか裏面の事は知る可きにあらざれども兎に角に目下の事態は正に商戰の佳境に入るものと云ふ可し今事の起より今日に至りし其大略を述べんに昨年の米作は關東の豐作に引換へ西筋中國より九州に掛けては稍や劣作を告げたるより大坂以西の米商は一體に強氣を催ほし未だ秋収の實を見ずして早く既に其見込を發表し平年よりは凡そ幾割減なりとて人にも吹聽すれば自身にも之を信し腕を揃えて買立てたるが事の發端にして當時未だ聯合の體を爲したるにあらざるべしと雖も其後これが爲めに大坂市塲の相塲は日に昂進して其極遂に昨年中の最高直段九圓十錢にまで推上げ東京市塲も連れて八圓六十錢の呼聲を聞くに至りたるなど再び一昨年の暴騰を演せんとしたる折柄、近地の豐作を眼前に見て弱氣の念去り難しき關東の米商は此期失ふべからずとなし大坂の強氣連に對して總掛りに賣を試みたるより昨年々末以來は東西兩方に分れての大取組を現出し東に目星しき勇將とてはなけれども疎筋の入れ代り立代りて實米を賣かくる事なれば虚を以て實を制せんとする者は勢に於て挫折せざるを得ず遉が老錬なる大坂米商も旗色稍や動き始めたる上に東京、大坂の高直に誘はれて全國の米穀は續々兩市塲に集り倉所に在米の多きこと古來其比を見ず弱氣は是等の聲援に一入の力を得て益々賣り頻り、爾來米價は兎角引立ち兼ねて動もすれば下落の方向に傾き強氣者に取ては甚だ苦しき状勢とはなりたり左れば常には全國を引受けて物の數ともせざりし大坂屈指の老商も大勢には敵すべくもあらずして勢ひ聯合を形造くるの止むを得ざるに至り今日の大勢に逆て自家の商略を維持するの手段としては啻に虚を以て期米を制するのみならず實際に正米をも買占め實を以て實を制せざるべからずとて爰に初めて老商數輩の團結を計り相結托して西は馬關、博多より東は桑名、東京を始め越中越後の各地を買廻し徐々に品攻を試むる其一方には外國輸出米もあり麥作の氣遣ひもあり時に不思議の異變もあるべければ賣手の煎るゝを俟て益々引締め引澁ぶり一擧に全勝を制せんとして時節の到來を俟つ其間に手を分て買入れたる石高は實に莫大の數に達し現に今日にては正米のみにても東京の在米六十餘萬俵中過半は大坂一味の持米にして大坂市塲にも亦三十四五萬俵あり之に全國各地にて買付けたる分までを合すれば少なくも百萬俵以上の數に及び尚ほ定期に買付けたる玉數も少からず實に古來未曾有の大取組にして商略の得失は姑く擱き其大膽は凡商の企て及ぶ所に非ず之を傍觀しても愉快なりと云ふ可し既に此境にまで深入りしたる上は尋常一樣の手段を以て戰地を引上ぐ可きに非ざれば或は今日勝負して不利なるときは夏秋天災の時まで持堪へて商運を卜し以て死生を決するの策もある可し是れ亦望なきに非ず假令ひ彼等は今日に於て既に重荷に苦しむ所あるも聯合體の死力を盡すに至らば昨今金融緩慢の折柄、此上尚ほ許多の石高を買入るゝこと必ずしも至難に非ず又大坂米商仲買中にも所謂呑屋と稱せらるゝ輩の中には弱氣の者もなきにあらざれども聯合買ひの勢力を氣に構へて從來客筋の賣玉を呑み居たること少なからず今更ら之を塲に出して賣り崩すこともあらんか呑屋は自殺するに異ならざれば止むを得ず強氣に同盟して遂に總仲買協議の上團結して買方に廻はることに内議を調へたりとの噂もあり買占同盟は此の先き愈々多きを加へて愈々強固に赴き純然たる一團のシンジケートを組織し得たるものゝ如し實に近來珍らしき商戰にして經濟社會の活劇と云ふ可し若し不幸にして買占めの破ることもあらんか米價は一時下落して堂嶋の米商は大に苦しむことならん或は之を逆にして勝利に歸せんか米價は一時騰貴して一時農家の利益たることもある可し其利害は兎も角もとして我輩の爰に特に注目するは我商賣社會の次第に發達して近年大に面目を改めたるの一事なり十數年前には一所の相塲所にて僅に一二十萬俵位の米を賣買したりと云へば忽ち人の耳目を驚かしたるものが今日は實米百萬の俵數を左右し然かも全國の各市塲に氣脈を通して事を謀るが如き畢竟電信郵便の利器を利用して然るものとは雖も商賣社會に資本の運動すること舊時に倍したると云はざるを得ず或は米の相塲は虚なりとて古流の不平を鳴らす者もあらんかなれども是れは學者の偏窟論にして取るに足らず虚實共に其盛大なるは商人の技倆を進めたるの徴候にして即ち國力の盛大を示すものなり况んや相塲は米價の平を得せしむるの器械にして假令ひ一時の變を生ずるも人為は自然の大勢に克つを得ず遂に歸す可き所に歸するに於てをや我輩は今度の米穀買占の一事を見て其勝敗の如何を喜憂するに非ず唯商賣社會の漸く發達して斯る大運動あるを祝するのみ