「水力と電氣」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「水力と電氣」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

芝區三田慶應義塾英語會の席上に於てクレー マッコーレー氏の演説は立論の趣意奇抜にして然も架空に非ず大に見る可きものあるが故に其概略を筆記して社説に代ふ

水力と電氣

我輩は今正に工業上、恐らくは古今未曾有なる大革命の或に棲息する者なり諸君の知らるゝが如く當世紀は之を名付て蒸氣の時代と云ふ蒸氣は燃料即ち石炭、油又は木に由て生ず近時文明の大なる蒸氣器械の其用を爲すは燃料の一定不變なる供給に依頼せること勿論なり左れば若しも此燃料を用盡して之に代る物を發見せざるに於ては世界の一切文明も敗頽に歸すること疑ふ可くも非ずこの敗頽の將に人間世界を壓碎し去らんとするを觀て識者の之を憂へ居りしや久し今に於て如何なる力にもあれ無盡藏なる器械力の新源を發見せざれば世界の進歩も今後、永續の見込なきものと云はざる可らず扨如何なる源やあると見廻すに先づ第一に水力は屈強のものなるが如しと雖も如何せんこは多くは深山幽谷の邊に在るか但しは人戸稠密の塲處には達す可らざる處に在り水力の無盡藏なりとのことは慥かなりと雖もロンドン、ニウヨーク、東京の如き世界中にて工業の焦點は迚も此力の利用を期す可らず左れば爰に一ツの質疑あり世界現時の工業の文明は燃料の永存に依頼し居れりと雖も其燃料の永存なきを如何せん苟も教育あらん人には今日の割合を以て之を消費し行かば現今人に知られたる石炭並に其他の燃料は數百年を出でずして燒盡す可きや數に於て明なり扨これを盡したる所にて彼の無盡藏と頼みたる程の石炭坑又は瓦斯及び油の井戸或は又果てしも見えぬ森林を如何にして恢復し得可きや其手段なきに當惑することならん然らば之を如何せんと云ふに唯電氣の應用のみ獨り後來に多望なるものゝ如し數年前、電氣の機關を以て器械を運轉する法を發明せし者ありしかども其電氣を發生する機關は蒸氣の力又は水の力を借りて之を運轉せざる可らず然るに今日の人智の有樣にては斯る輔けに依頼す可らざるは勿論のことなり如何となれば蒸氣の力を以て發生せいたる電氣の力を用ると直接に蒸氣の力を用ると其間に存する相違は固より五十歩百歩の相違にして正しく同一樣の困難あればなり其困難とは何ぞや今後、力の源の盡る期の到ること是れなり前號に陳べたるが如く水力は多くは人里遠き邊に在りて用を爲さず是に於てか起りたる質疑は果して電力を遠方に送る能はざるかの一義なり若しも之を送るの法にして發明せられんには世界工業の進歩は此一事を以て安きを得るなり

扨これまで縷々、陳じ來りて諸君の清廳を煩はしたる所以のものは電氣の力を遠方に送りて其遠方の器械を運轉するの法は既に發明せられたり斯るが故に石炭、油並に其他の燃料の有無は人間世界に如何なる影響をも及ぼさゞる時期の來るは蓋し甚だ遠きに非ざる可しとの一事を諸君に告げんが爲なり今日に於て確定したる二事あり第一、電氣は器械力として遠隔の地へ之を送り得可く第二、世界上の處々方々にありふれたる無盡藏の水力は電氣を生ずる源として依頼しられ得可しとの此二條なり昨年、獨逸國フランクフォルト府の電氣博覧會に於て百八哩先きなるラウフェンの瀧より電氣を引來りて器械を運轉し電燈を輝かしたることあり然るにフランクフォルトに於て利用したる力は彼のラウフェンに於ける初發の力の凡そ四分の三にして百八哩の間に消散したる力は僅に四分の一のみなりしとぞ電氣の前途また多望ならずや又明年シカゴ府に開く世界博覧會に於ては五百哩先きなるナイアガラの瀧を利用して器械を運轉し塲内を耀かし室を暖め食物を煮る爲めの電氣を引來る可しとの議あり左れば今後、人類は器械力を源として石炭を頼むに及ばすとの次第を單に示したるの譯を以て此世界博覧會を堺に世界の工業の文明に新紀元を成すことあるも更に驚くには足らず近き距離の間に電氣の器械力を送りたるは數年前より其例ありと雖も山間の濂または海邊の波の運動を利用して電氣の力を數百里先きの都府へ送り幾千萬の人の便利を爲さしむるは盖し今代の發明中にても最大發明なり

この大發明の爲めに生ず可き變化を考ふるに迚も我輩の想像の及び難きものあり其變化の中の一箇條は現今巨額の石炭を専有するが爲めに世界の器械力を専有し夫れが爲めに工業に由り生ずる品物を掌握して世界に雄飛する國々も終には非常の水力を掌握する國々に雌伏するに至る可しとのことなり譬へば北米合衆國には二億馬力の水力あり其中に就き今日利用せられつゝあるものは二百萬馬力、即ち總馬力の百分の一なり軈て彼の大なるナイアガラの瀧は周圍五百哩以内の器械を運轉しロッキー山の急流は大なるミシシッピーの谷間の工業を統轄するに至る可し歐羅巴に於てアルプス山の急流瀑布は幾多の器械を運轉するに至ることならん扨日本が今後、工業の焦轉として如何なる働を爲すかを考ふれば前途、實に春の海の如きものあり世界中にて人口斯の如く稠密にして其大さ之に同じき處にて日本ほど水力に富みたる處はある可らず貴國の都府をして斯の如く手近に在る水力を利用せしむるに何の之を妨ぐる物かあらん數年を出でずして貴國は當に彼の石炭を手頼に品物を製造する諸國に頓着せず獨立獨行して彼等の製造費よりは廉き費用を以て品物を製造し之と競爭して種々の製造品を世界の處々方々に輸出するを得るに至る可し余が之を斷言する所以のものは貴國の水力に富めるを知ればなり諸君は器械力の中にて最も廉き力に由て諸君の町と家とを耀し諸君の食物を料理し家を暖むる等、生活の快樂を得るが故に衣食住の最大要素は既に諸君の掌中に在りとも云ふ可し貴國の斷岸絶壁に直下する飛流または山間に奔流する溪川は皆是れ日本をして未来の富國たらしむる寶なり

以上陳じ來りしものは假空の妄想に非ず乃ち電氣の器械力を遠方に送り得可しとの最近の最大發明に基きたる眞面目の眞理なり