「創業の功臣」
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時事新報に掲載された「創業の功臣」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
創業の功臣
東西の事例に徴するに古來創業の功臣にして其終を善くするものは甚だ少なし盖し蓋世の功に兼ぬるに震主の威を以てし加ふるに位、人臣を極めて榮、一世に耀くあり假令ひ君臣の間は甚だ相得て水魚も啻ならずと雖も滿社會の耳目は一身に集りて恰も羨望の府たるが故に種々の讒間浮説は何時しか其間に入りて知らず知らずの間に地位を動かして果ては意外の失敗なきを得ず即ち狡兎盡きて猟狗烹らるゝの譬にして之を古今の事例に徴して疑ふ可らず或は支那古代の歴史家の如き彭越の終を善くせざるを以て漢高の薄恩を咎るものあれども社會衆怨の歸する所は流石、寛仁大度の人主も爲めに忍ぶ所なきを得ず其人の薄恩なるに非ず社會の勢に從て然らざるを得ざるものあればなり殊に社會の耳目次第に發達すれば人言も亦次第に喧しく苟も功臣の身に關する事とあれば一毫の微も忽ち世上の問題と爲るが如き今日の時勢に於ては其進退いよいよ難きを知る可し然らば之に處する法如何にして可なるやと云ふに彼の後漢の光武帝が創業に參したる人々の俸禄を豐にして却て其權力を奪ふたるが如き功臣を處するの法を得たるものにして後世則る可きの銘案なれども今日は時勢の相違もあるが故に獨り之を人主たるもゝ處置に任ず可きに非らず唯その局に當る者が自身の利害と社會の治安との爲めに自から謀るの外なかる可し我國明治初年以來の當局者を見るに何れも創業の功臣にして既に功業の一世を葢ふものある其上に近來は爵位勲等の如きも頻りに上進して人臣の榮を極めたる其上に至尊の御信任は厚くして一般の尊敬も乏しからざれば古代の所謂功臣と同日に論ず可きに非ずと雖も功名位地の盛にして且高きは羨望の府たるを免れざるものにして啻に社會の燒點たるのみならず同流同輩の間に於ても互に相下らずして互に相嫌ふの意味なきを得ず明治初年以來維新の功臣にして往々晩節の全からざるものありしは即ち其一證として見る可きものにして現に今日に於ても政府内部の情實とて老政治家の間に兎角折合の妙ならざるものあるが如きも畢竟その邊の意味合に外ならざる可し或は其人々の心事に於ては維新革新の擧は幸に銘々の盡力を以て其功を奏したれども更に前途を眺むれば内治に外交に事の擧らざるもの甚だ多し即ち維新の大業は尚ほ其半に居るものなれば功臣なる吾々の責も未だ盡さゞる所ありとて自から任ずること深きことならんなれども凡そ國家の大事業は國運の發達進歩に伴ふの約束にして十年二十年の間に其效を見ざるのみか或は五十年百年にして尚ほ結果の顯はれざるものもなきに非ず僅々一世一代の力を以て非常の大功を奏せんとするは到底望む可らざることゝ觀念せざる可らず左れば今の功臣の人々も少しく此邊に心して自家の功名の既に大にして社會羨望の燒點たる其上に内部の情實も遂に一掃の望なくして萬事意の如くならざるを合點したらんには維新以來今日に至るまでの事業を以て人間一生の功名には最早や滿足なりとして後半の事業を他人の功名に付するこそ一身の利害の爲め否な社會の治安の爲めに策の得たるものなる可し或は自から任すること大なるものは自から信ずることも深くして吾々にして去らば其後を如何せんとの心配もあらんなれどもビスマルク去てカプリヴイありグラツトストン死するも第二のグラツトストンなきを憂へず今の政府中に在る第二流三流の政治家なり又は民間後進の政治家なり諸老の後を承けて維新の大業を大成す可きもの世間自から其人に乏しからず後の心配は先づ以て無用なる可し然りと雖も一生の事業未だ半に至らずして自から引退するは男子の事に非ずと云へば是れも亦一説にして傍より云々す可きに非ず其人々にして果して斯る決心ならんには浮世の俗榮を脱却して尊大の痴情を去り磊落簡易維新當初の精神に立戻りて直に大政の難局に當り今日唯今を政治出身の門出と覺悟して更に第二の維新を企るの心得なかる可らず功名既に一世を蓋ひ爵位既に人臣を極めながら區々たる情實の爲めに覊されて事業の更に見る可きものなきときは滿社會の衆怨は其一身に集まりて政治の運轉は益々圓滑を欠くに至る可し我輩は其一身の爲めのみならず國の治安の爲めに斷然の進退を見んと欲する者なり