「政治と實業者」
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時事新報に掲載された「政治と實業者」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
政治と實業者
我が國人が漫に政治に重きを置き他事を忘れて政論に熱心するの僻あるは今更云ふまでも無きことながら近來に至ては其弊習益々甚だしく殊に過般の撰擧競爭の際などには全國を擧て政熱の高點に達し政府に反對する者味方する者互に畢生の力を盡して相爭ひ政治の爲めとあれば生命財産を失ふも遺憾とせざる其有樣は殆んど正氣の沙汰とは思はれざる位なり如何に撰擧が大切に如何に政談が面白ければとて斯くまでに心を奪はるゝとは淺ましくも亦憐む可き次第にして我輩の歎息に堪へざる所なれども然れども自から政治を好んで自から之に狂するは所謂自業自得にして他人の與り知る所に非ざるのみか其狂人たる本人は必ず我狂を以て狂となさず却て大に得意なる可きが故に其爲す所に一任して差支なきに似たれども其狂亂の他に波及するは誠に迷惑なる次第なり元來政治社會に功名手柄を顯さんなどの野心なき實業一偏の人は唯平安に家業を營み自から勞して自から食ふの本分に安んする者なるに世間の政熱盛なるが爲めに自然に殖産の領分を犯されて直接間接に損失を蒙るのみならず過般の撰擧の時の如く政黨劇爭の際には其爭の間に狭まりて俗に所謂傍杖の難を免かれず各派の政客交々入來りて或は某候補者の爲めに運動す可しと云ひ或は何黨の爲めに黨費を寄附す可しと云ひ種々雑多の注文を吹掛けて若しも之を承諾せざるときは直に壮士を差向るなど亂暴無法の談判に及び無理とは知りながらも止むを得ず其需に應じて空しく政治家の道具に利用せらるゝ者寡しとせず誠に迷惑千萬のことゝ謂ふ可し抑も世間に民黨吏黨など稱せらるゝ者は本來政治上の問題に係る意見の異同に由りて黨派を爲すものには非ず其内實に期する所を尋ぬれば一方は今の政府を倒して之に代らんとする者にして他の一方は飽くまでも今日の儘に政府を存在せしめんとする者なれば其爭の點は主義論説の不同に在らずして政權の取合に在るものなり或は之を酷言すれば自家私の利害に關するの爭にして天下公衆の利害には關係なきものと謂ふも可なり或は政治を専門として之に依て名聲を博せんとする者に於ては先づ第一に國の政權を握るに非ざれば充分に技倆を現はすの機會なきが故に官民兩黨の人々が只管政權を我が手に取らんことを勉めて互に相爭ふは無理ならざれども去りとて此政權の爭を以て第一の事となし是が爲めに廣く世人に迷惑を及ぼして顧みざるに至ては其弊も亦甚だしと謂はざる可からず然りと雖も今日の實際に於て彼の政治専門の人々に向ひ君等が私の利を謀らんが爲めに縁もなき他人に迷惑を及ぼすは不都合なりなど論談するも固より馬耳東風にして何等の効力もある可らざれば我輩の所見を以てするに此弊習を一掃するの方法としては唯實業者が自から奮發して獨立の團體を組織し何れの黨派の道具とも爲らざることを勉むるの一事あるのみ凡そ一國民が其政府の政略方針の如何に就て利害を感するの輕重は所有財産の多寡に準すること固より論を俟たず然るに我國の政客は不幸にして大抵皆資産に乏しきが故に身分上より視て之を商工實業の人に比較し孰れか最も多く政治に利害を感する者ぞと問はゞ無論實業者なりと答へざるを得ず左れば今日の如く無財産の貧生が政治を専有して社會に横行するは身分不相應の事を行ひ、入らざる世話をする者なれども實業社會の人々には曾て一言の聲もなく却て他の道具に利用せらるゝとは實に甚だしき間違にして畢竟するに其人々に勇敢の氣力なく自から己の利益を保護する能はざる歟然らざれば不明遅鈍にして自家の利害の在る所を知らざるが爲めなり思ふに今日國中の實業者が地租問題なり鐵道問題なり都て政治上の問題に付き利害を同ふするの點を以て相團結し政府黨にても民黨にても唯其爲す所言ふ所の我心に叶ひたる者を助くることゝ爲さば茲に始めて有力なる眞實の政黨を造り出して大に政治社會に勢力を張り自身自から政壇に登らざるも天下の政客を使役して之を自家の道具にすること容易なる可し我輩は實業者の直に政治に奔走するを好まざれども隱然の間に其根本の大勢力を握り以て自家の利害を保護せんことを希望する者なり