「大臣の訪問」
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時事新報に掲載された「大臣の訪問」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
大臣の訪問
頃日政府當局の一大臣が民間政黨の首領を訪問し一塲の談話を爲したりとて世間にては種々の想像を催ほし或は暗に其擧動の輕卒を非難するものもあれば又は之を以て官民調和の端を開きたるものとして窃に喜ぶものあり元來其大臣と首領とは現在の地位こそ異なれども素是れ舊友知己の間なれば時々訪問往來するも固より怪しむに足らず尋常一樣の事なるに事々しく之を評判するこそ却て奇なるが如くなれども政治社會の成行を見れば自から其由縁なきに非ず元來政府の大臣輩は尊大自から居りて容易に人に近かず又人を近けず其門に伺候するものは多くは自から爲めにして求むる所ある者のみなるが故に平生の交際甚だ狭く隨て其見聞も狭きのみならず朋友故舊にても一たび地位を異にするときは忽ち楚越の人と爲り政府と人民との間に概して氣脈の通ずることなき其有樣は恰も牆壁を中間に据えて之を遮りたるものに異ならず之が爲めに常に政機の運轉を妨ること多けれども當局者は曾て之を憂るの意なく政風一變して専ら愛嬌親切を旨とす可き立憲時代の今日と爲りても尚ほ依然として舊時の色を改めざるが故に人民の眼を以て政府の當局者を見れば痛痒相知らず利害相關せず所謂雲上の客に非ざれば路傍の人の如し然るに今その路傍無縁の他人が突然官民間の牆壁を排して在野政黨の首領を問ひ而も政治の事に談及したりなど聞ては奇異の思を爲さゞるを得ず從來政府の邊にのみ接近して一種の空氣中に生活し大臣たる可き者の擧動は常に斯くある可き筈のものなりと思ひ込みたる輩が遽に此出來事を見て其輕卒に驚くも無理ならず又民間の政客中にも表面の言論の強きに似ず内實は大臣輩の一擧一動に注目して竊に喜憂する者共が其折の談話中に施政上の事もありしとて忽ち推測を逞ふし官民調和の兆候なりなど吹廳するも決して怪しむ可らず如何となれば政府一般の慣行は依然舊の如くにして毫も變ずる所なき其中に一大臣が端なく突然の奇を演して人の意表に出でたるが故に是れは尋常の事態に非ず何か意味のあることならんと種々の臆測を下すは凡俗の情に於て免れざる所なればなり故に今回の事の如きは尋常一樣の人事にして敢て奇とするに足らざれども世人をして之を奇視せしめたるは政府年來の慣行に反して其蟄居主義に異なるが故のみ或は其訪問者に於ては敢て奇を演ずるに非ず専心一意國の爲めにして年來壅塞したる官民間の蔽障を撤し雙方の情實を通ずるの精神なるやも知る可らずと雖も顧みて政府全體の有樣を見れば依然たる舊日の尊大政府にして更に其邊の趣向とては見えざるに其部内の一人が全體の氣候如何に拘はらず突然外に現はれたりとて時ならぬ狂花を見ると一般にして滿山爛漫の春色とは認む可らず徒らに世間の怪訝を招くに足る可し我輩は敢て其擧動を非難するに非ざれども政府の決心尚ほ未だ固からざるを憾むのみ嚴冬に蟄居して世間と交通を絶つも可なり陽春に開花して国民と調和するも可なり其利害は別問題として兎にも角にも政府の全體を一致して一樣に運動せんことを勸告するものなり