「漢法醫開業の請願」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「漢法醫開業の請願」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

漢法醫開業の請願

聞く所に據れば漢法醫家の中には今の開業醫試驗の外に獨立して別に一派の試驗法を定め開業許可の事を議院に〓願せんとして貴衆兩院の中にも内々賛成の議員少なからざるよし我輩の會て〓べたる如く國會は西洋文明の産物にして文明の政器に外ならざれば其文明の議塲に列する議員は多少に文明の思想を備えざる可からず然るに今の議員の人々を見るに材略人物の〓は兎も角もとして西洋の書を讀み文明の理を解するものは割合に少なきが如し斯る有樣にしては實際に文明政器の〓能を見ることも如何あらんとて聊か疑を存したりしに前記の如く漢醫の〓願に對して兩議員中にも賛成者少なからざる事實果して然るときは恰も我輩の所論を證するものにして驚入りたる次第と云わざるを得ず抑も醫學なるものは學問經驗を以て生理病理の次第を極め薬剤技術の力を以て病に當るものに外ならず即ち有形理學の應用にして天然の眞理原則に從うものなり然るに漢法の醫術に至りては空々漠々更に據る所のものなく唯古來の口傳秘法を當にして草根木皮に依頼するに〓ぎず其有樣は日本船を以て太平洋を渡り弓矢を以て大砲と戰うに異ならず眞理原則に據りて攻來る其病に當らんとするは迚も望む可からざる所にして利害得失は今更ら喋々を要するにも及ばざる次第なれば假令へ多少の賛成者はあるも今日の〓會に斯る不學無術の醫法を復活せしめ文明の醫學と對立を許すが如きことは萬々ある可からずと我輩の確信する所なれども今假りに兩院の多數が之に賛成して漢法の獨立を許したりとして其結果を如何なる可きやと云うに殆んど意想外のものある可し其開業を許すに就ては何れ試驗の法は設くることならんと雖も元來漢法にては醫は意なりとの確言ありて病の治療は唯意の向う所に任ずる流なるが故に其試驗法とても亦その意を試驗するに止まりて有形學理上の規則とては設く可からず左れば其試驗に及第して開業の免許を得るものは〓〓蒼公の徒もあらん灸〓針醫の類もあらん種々薩多の漢醫先生が全國各所に流行して一部の傷寒論に依頼し意を以て薬劑を制し意を以て治療を施し醫者意也の言を實にするに至れば夫こそ〓會の大變にして彼の薬局法の如きも實際に行わる可からざるのみならず傳染病の豫防、流行病の取締等は之を如何す可きや折角是れまでに〓歩したる日本の衛生法も漢醫の意に壓倒せられて忽ちにして衛生〓會の〓〓を來たざるを得ず容易ならざる事なりと云う可し我輩は今回右〓願の兩院に〓〓するとせざるとを見て我國會議員の無識有識を卜せんと欲する者なり然りと雖も更に眼を轉じて醫〓全體の事〓を案ずるに〓年百事の〓歩と共に漢法醫の如きも次第に其跡を絶たんとする今日に至り遽に再燃の觀を呈し公然議院に〓願せんとするまでに立至りたるは一見不審に似たれども〓して不審ならず其原因を尋ぬるときは畢竟今の醫政の當局者が單に醫學に熱心して醫略に不注意なるが爲めなりと云わざるを得ず現行の開業試驗は其學科頗る高尚にして及第すること容易ならず〓ば受驗して〓ば落第するもの多きのみならず中年以上の輩に至りては其難きに驚て始めより斷念するものさえなきに非ずと云う是に於いてか天下の醫たらんとするものは恰も其門を鎖されて出づるに路なく苦痛煩悶の餘り偶ま漢醫獨立の工風を案出し此門に由りて試驗の難を免れんとする窮策に出でたるものなるのみ其衷〓は寧ろ憐れむ可きものと云う可し單に醫學の一〓よりすれば試驗を高尚にして開業醫を〓撰するは敢て非難す可からざるのみか實は〓會一般の人をして多少は學理の心得もあらしめんことこそ願わしけれども顧みて凡俗世界の有樣を見渡せば學理の〓用する區域は誠に狭少にして賣薬〓〓の類に生命を托するものさえ多き次第なれば今の醫政の急務は學理の高尚を望むよりは寧ろ斯〓の廣く行わるゝを目的とし開業試驗の如きも學理の大體に〓ずるものは先ず十分なりとして唯その學醫の數の一人も多からんことに注意す可きのみ即ち醫〓の隆盛は其高くして難きよりも低くして廣く行わるゝに在ればなり彼の漢醫獨立の〓の如き偶然に以て〓して偶然ならず當局者は今度の醫政に就て大に〓意す可きなり