「社會の開進」
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時事新報に掲載された「社會の開進」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
社會の開進
世人皆曰く我國三十年來の開明〓歩は非常のものにして世界古今に其例を見ざる所なりと我輩も亦その然るを信じて疑わざるものなれども學者の眼を以て之を見るときは其所謂開明〓歩とは中等〓會以上の事にして以下一般に至りては開〓の氣〓甚だ遲々として其間の懸隔甚だしきものある事實を知らざる可からず抑も開明〓歩とは西洋文明の風を學んで其方向に〓む義に外ならず年來日本〓會の有樣を見るに教育は次第に高尚に赴き法律は益々改良し殊に政治の如きは着々歩を〓めて〓に東洋未曾有なる立憲代議の治風を見るに至り其他商工業百般の事に至るまで專ら彼の流義を宗として成蹟の見る可きもの一にして足らず即ち世人の稱して開明〓歩と爲す所のものにして〓會の上流に於ては其兆候頗る著しきが如くなれども一般の下流〓會を眺むれば依然たる三十年前の有樣にして開〓の實を見ること甚だ稀なり例えば〓年來衛生の術大に〓歩して傳染病の如き豫防の〓あるにも拘わらず下流の人民中には尚ほ針治〓〓の類を信仰し又は賣薬などに依頼して非命に〓るゝもの少なからず又農業その他の製〓業の如き學者の間には〓々新奇の學理論なきに非ざれども多數の農民は依然たる無智文盲の民にして其〓を實地に應用して大に利したる談を聞かず其他百般の工業製〓も大抵皆同樣の舊套を演ずるもの多くして之を要するに下流〓會は今日尚文明の思想に乏しと云わざるを得ず左れば日本の所謂開明〓歩なるものは唯上流に著しきのみならず三十年間の〓歩は恰も上下の懸隔をして益々甚だしからしめたる事實を認む可きのみ如何となれば一方は三十年間に長足の〓歩を爲し今尚〓々舊套に安んじて毫も〓歩の實なしとすれば其間の相〓は容易に推測すること能わざるものあればなり西洋の諸國が今の世界に開明〓歩の稱を〓にする所以のものは敢て他奇あるに非ず能く文明の智識を一般に應用して〓會最多數の人々が〓等一樣に其利澤を蒙るが爲めのみ即ち其これを發明し之を主唱するものは固より上流〓會の人に外ならざれども之を一般に應用するに至りては誰れ彼れの別なく其用を同くして殊に下流〓會に益する所多きを常とす蓋し彼の國々に於ては上流の〓歩固より尋常ならずと雖も下流最多數の知見も亦相應に發〓して他の發明智識を取りて自家の利益に供する能力あればなり即ち西洋諸國の開〓は〓會最多數の開〓と稱して可なるが如し然るに日本〓會の開明〓歩は前〓の如く上流〓會に其勢力を逞くするのみにして一般の最多數は之に與らずと云う抑も一國の〓會は詰り最多數の〓會に外ならざれば其最多數のものにして開明〓歩せざるときは其一部分の發〓は如何にしても之を稱して〓會の開明とは云う可からず我國三十年來の開明は單に〓會の一部分のみに行われて一般の有樣は依然舊に異なる所なしとの事實果して然るときは年來の〓歩は唯是れ面上に紅粉を粧いたると同樣にして眞實に面目を一新したるものに非ず此有樣を以て西洋諸國と對峙せんなどゝは思いも寄らざる所にして彼の絛約改正の如き世間にては對等云々とて頻りに議論もある由なれども到底空論たるを免る可からず日本〓會の一大欠典として認む可きものなり故に苟も經世の志あらんものは深く此邊に〓意して其欠典の因て來る所の原因を察し三十年來の弊源果して此に在りと認めたらば何は兎もあれ〓に其弊源を治療して今後の〓歩を謀る工風肝要なる可し(以下次號)