「社會の開進」
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時事新報に掲載された「社會の開進」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
抑も日本の社會にて上流と下流との間に智德の懸隔甚だしきは由來久しきことにして其次
第を尋ぬれば封建三百年の間に養成馴致したるものと云はざるを得ず封建の時代に於ては
政治を始め敎育學問の事は專ら士族の關する所にして百姓町人は全く之に與らざるの風を
爲し秩序一定亦動す可らず以て三百年の長年月を經過したるが故に其間に於て發達するも
のは益々發達し萎縮するものは益々萎縮して非常の懸隔を生じたるや疑ある可らず彼の王
政維新の大業の如きは全く士族の手に成り百姓町人は一切與り知らずと云ふも可なり然り
而して維新革命の精神たる從來の宿弊を一掃し西洋文明の主義に從て四民を同等にし三千
幾百萬の人民と共に日本帝國の獨立を維持せんとするの主意に外ならざれば當時の當局者
たるものは何は兎もあれ三百年来上下懸隔の弊を匡して眞に四民同等の實を収め全國民擧
て開明進歩の域に入るの心掛大切なる可きに實際の手段は全く反對にして爾來三十年の間
に其懸隔をして益々甚だしからしめたるこそ返す返すも遺憾の至りなれ盖し四民同等とて
法律上に權利を同一にするは甚だ易しと雖も實際に於て智德の度均しからざるものが同等
の地位を占むるは到底能はざる所にして殊に斯民と開明進歩を共にして國の獨立を維持せ
んとするには先づ社會最多數の智德を進めて共に文明の利澤に浴するの工風なかる可らず
思ふに維新以來時々の當局者は果して此邊の事情に注意したるや否や我輩を以て事の成行
を見るときは其誤は當局者が日本の社會に智德懸隔の大欠典あるを認めず或は之を認むる
も單に法律規則の力を以て其不平均を平均し得るものと信じたるに在るが如し即是れ封建
士族流の舊筆法、法を以て民を率ゆるの流にして爲めに文明の事を誤りたるものと云はざ
るを得ず試に維新以來施設の跡を見るに政治に法律に人民の權利を同一にするの精神に於
ては或は見る可きもの少なからずと雖も斯民と開明進歩を共にして文明の利澤に均霑する
の點に至りては一として感服す可きものなし例へば敎育の如き開進の風を社會に導くに於
て最も有力のものなれば其實行に就ては周密に注意して能く民度の如何を區別し其度の低
きものには夫れ相應の敎育を施し次第に之を誘導して始めて効を見る可きものなるに政府
にて發したる學制なるものは唯敎育の普及を旨として實際の事情を問はず其敎則敎科の如
きも當局者自身の考にて適當と信したるものを取りて直に之を行ふたるものなるが故に一
般の社會には實際に益する所少なき其反對に曾て敎育の素ある上流の社會は益々高尚に赴
て底止する所を知らず近來は寧ろ其弊に堪へざるものあるが如し其他政府より發したる法
律規則の類は何れも大同小異にして唯一般の煩累を增したるのみ曾て之が爲めに益したる
の談を聞かず畢竟當局者が日本の社會に智德懸隔の欠典ある事實を等閑に付し去り實際に
其欠典を醫するの術を講ぜず單に法律規則の力を以て一般の人民を率ゐんとしたるが爲め
にして其結果は智德の懸隔をして益々甚だしからしめたるに過ぎざるのみ如何となれば法
律規則は一般の民度に適し人々その便利を感じてこそ始めて効能を見る可きものなるに今
の人民は其高尚繁雜に堪へずして寧ろ之が爲めに狼狽を致し却て其利澤を蒙るものは上流
の一部分に過ぎざればなり彼の新法典の如きも社會の氣運次第に發達するに至れば必要欠
く可らざるものならんと雖も今の民情を其儘にして實行を急ぐは恰も法を以て人民を驅る
に異ならず一般の迷惑は此上ある可らず然るに其迷惑に頓着せずして強いて之を行はんと
するは或は他に爲めにするの事情もある可しと雖も畢竟は社會の事情を知らざるものにし
て若しも萬一實行の曉に至れば其結果は單に一部分の便利を爲すに過ぎざる可し之を要す
るに維新以來今日に至る施設の跡を見れば當局者が日本の社會に固有なる智德懸隔の欠典
を等閑に付し去り只管法を以て人民を率ゐんとして却て益々その欠典を大ならしめたるの
事實は掩ふ可らざるものあるが故に苟も國の開明進歩を謀らんとせば今日以後は其方向を
一新して全國民と共に文明の利澤に均霑するの覺悟必要なるを知る可きなり(以下次號)