「海軍省」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「海軍省」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

海軍省

衆議院の多數は海軍省の要求即ち軍艦製造及び製鋼所設立の費目に對して不同意を表し悉

く之を否决したり抑も製鋼所の設立は我國目下の事情に於て必要を感ずるのみならず我輩

の所見を以てすれば十分成立の見込なきに非ざれども何を云ふにも草創の事業にして熟練

經驗の點に於いては聊か掛念もある其上に當局者の主張する如く軍備獨立云々の一點張り

を以て斯る大事業に着手するは輕忽の譏なきに非ざれば議會の衆論が遽に之を判斷せず更

に調査を遂げ來期の議會に提出す可し云々との理由を附して之を否决したるは至當の决議

として我輩の同意する所なれども軍艦製造費の否决に至りては前號の紙上にも述べたる如

くにして何分にも感服せざる所なり盖し當局者の要求にして從來の方針を一變し一時に數

隻の船艦を製造するが如き計畫ならんには利害の關係する所甚だ大なるが故に其諾否は容

易に决す可らずと雖も今度の要求は决して斯くの如きものに非ず唯その老朽を補充し現在

の艦數噸數を維持するまでの目的にして即ち説明にも「帝國軍艦の内戰鬪の用に堪ふ可き

現在のもの及製造中のものを合して二十八艦五萬九千四百五十八噸とす而して三十年度以

前に於て老朽に入るもの三艦五千二百七十六噸なり軍艦を造るには製造决定の時より竣功

を告るに至るには凡六個年を要す三十年度以前に老朽に入る軍艦に代る可きものを造らん

とせば宜く二十五年度より着手す可し國庫幸に餘裕あり二百七十五萬圓を以て軍艦製造費

に供することを得べし故に二十五年度より右の二艦を造るを要す云々」とあり誠に睹易き

の道理にして何人も異議なかる可しと思ひきや議會の衆論が單に政府の不信用云々を理由

として之を否决したりとは案外至極と云はざるを得ず若しも其議决の通りに行はれて日本

の軍艦は年々老朽に入り次第に勢力を減ずる其最中に一旦不慮の事變を生じて其急に應ず

ること能はざるの不始末もあらば如何す可きや政府の信用の有無を云々して之を爭ふは國

内の事として姑く咎めざるも之が爲めに護國の急務を忽にして國權の伸縮を問はざるに至

りては我輩の决して與せざる所なり

夫れは夫れとして序ながら更に當局者の注意を望む所のものあり彼の民黨の輩が徒らに既

往の失策を云々し寧ろ漠然たる感情を以て反對する如きは固より取らざる所なれども凡そ

海軍の事業は國費を費すこと最も大なるものにして其費用は詰り一般納税者の負擔に外な

らざれば國會開設の今日に於ては殊に萬事に注意して一般の公衆及び納税者に對して愛嬌

を盡すことも亦大切なる可きに實際に於ては其邊の注意を欠くものあるに似たり過般九州

の沿海に於て施行したる海軍の大演習の如き我輩の兼てより其必要を認めたるものにして

其實行を見たるは竊に喜ぶ所なれども一般の人民は唯海軍省が會計年度の替り目に際し少

なからざる金額を費して大演習を施行したるを傳聞せしのみにて實際の景况及び其結果に

就ては毫も聞知する所なし元來實地演習の必要なる次第は出師準備、洋上の戰鬪、要港攻

防の方略の如き平時の計畫と實際の塲合とは案外の差あるものにして上出來のこともあれ

ば不出來のことも多かる可し例へば出師準備に於ては開戰公布の曉に何港の石炭庫に欠乏

を告げたるより遽に某商社に就て之を求め、又某處より廻送したる水雷艇は途中にて手間

取り期限内に着するを得ず、或は着したるも故障を生じて實用に適せざりし等、又洋上の

戰鬪に於ては何艦は僅々何時間の全速力の爲め汽鑵に損所を生じて廢艦と爲り、或は信號

の法不充分にして諸艦の運動指揮の如くなる能はざりし等、又要港の攻防に於ては沈沒水

雷は久しく倉庫内に在りしが故に其用を為さず或は魚形水雷は發射の度ごとに其頭部鈍却

して實用に適せざりし等凡そ此種の出來事は枚擧に遑あらざる可し即ち是れ實地演習の効

能なり聞く所に據れば歐洲諸國の演習も新聞紙などの評判にては通例上出來七分、不出來

三分ぐらゐの處にして當局者も之を認むれども實際に觀察すれば不出來の方多しと云へば

我演習とても十が十まで上出來とは往かざる可し而して彼國にては演習施行の折には殆ん

ど毎艦に新聞通信者を乘組ましめて其景况を一般に知らしむるを勉むるは無論、指揮官又

は艦長の人々は海軍の事に熱心なる國會議員一兩名を賓客として乘艦せしめ實地の模樣を

目撃せしむる等一般の公衆納税者に對して親切を盡すの注意一方ならざるよしなれども我

海軍に於ては此邊の事に就て頗る注意を欠くものゝ如し誠に小事なれども畢竟不人望を招

くの基を爲すものなれば序ながら一言して今後の注意を促すものなり